ヴァレリー・ドンゼッリが監督・主演をつとめた『わたしたちの宣戦布告』は、闘病物についてまわる同情型のメロドラマ性は皆無で、スポーツ映画か芸道物のように研ぎ澄ました集中力で、8年におよぶハードな歳月を乗り切る。
衝撃、激高、安堵といったメンタルの起伏を、登場人物たちはミュージカルのように華々しく表現するが、デフォルメの嘘くささは微塵もない。大病院の院内ノイズ、医療器具の発するノイズが彼らのつくり出すテクノイズ・ミュージカルと一体化し、その調和ぶりは少しとぼけた味わいさえ出している。
脳腫瘍を患った赤ん坊をかかえた主人公カップルの意志は固く、行動は力強い。スクリーンを見つめる観客は、彼らの爽やかなファイティング・ポーズに勇気を与えられもするだろうし、「自分ならああまで強くあることができるだろうか?」と疑念も抱くだろう。
じっさい、重病患者をかかえた家族というのは、何度もやってくる多額の請求書に悲鳴を上げ、仕事場と病院と自宅の往復に消耗し、長期間の看病で疲労を蓄積させ、猜疑心と被害者意識でボロボロとなる。はっきり言うと、この映画のカップルは恵まれている。裕福な両親がいて、リスクを分散してくれる元気な親類、知人が集まっている。普通ではないのである。たしかに、クレジットカード会社からカードの破棄を宣告されたり、交友関係が狭まったりといった描写はあるにはある。しかし、仕事よりも病人の付き添いを完全に優先することを選んだり、看病人のための宿泊施設まで備えた病院の顧客になるというような振るまいは、やはり一般庶民には生活条件的に高嶺の花だろう。
私は本作の感覚的でダイナミックなつくり方を賞讃する。と同時に、これが監督自身の実話であるというリアリティにもかかわらず、選民的メルヘンであるとも感じた次第だ。
Bunkamuraル・シネマ、シネ・リーブル梅田ほか全国順次上映
http://www.uplink.co.jp/sensenfukoku/
衝撃、激高、安堵といったメンタルの起伏を、登場人物たちはミュージカルのように華々しく表現するが、デフォルメの嘘くささは微塵もない。大病院の院内ノイズ、医療器具の発するノイズが彼らのつくり出すテクノイズ・ミュージカルと一体化し、その調和ぶりは少しとぼけた味わいさえ出している。
脳腫瘍を患った赤ん坊をかかえた主人公カップルの意志は固く、行動は力強い。スクリーンを見つめる観客は、彼らの爽やかなファイティング・ポーズに勇気を与えられもするだろうし、「自分ならああまで強くあることができるだろうか?」と疑念も抱くだろう。
じっさい、重病患者をかかえた家族というのは、何度もやってくる多額の請求書に悲鳴を上げ、仕事場と病院と自宅の往復に消耗し、長期間の看病で疲労を蓄積させ、猜疑心と被害者意識でボロボロとなる。はっきり言うと、この映画のカップルは恵まれている。裕福な両親がいて、リスクを分散してくれる元気な親類、知人が集まっている。普通ではないのである。たしかに、クレジットカード会社からカードの破棄を宣告されたり、交友関係が狭まったりといった描写はあるにはある。しかし、仕事よりも病人の付き添いを完全に優先することを選んだり、看病人のための宿泊施設まで備えた病院の顧客になるというような振るまいは、やはり一般庶民には生活条件的に高嶺の花だろう。
私は本作の感覚的でダイナミックなつくり方を賞讃する。と同時に、これが監督自身の実話であるというリアリティにもかかわらず、選民的メルヘンであるとも感じた次第だ。
Bunkamuraル・シネマ、シネ・リーブル梅田ほか全国順次上映
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