これまで岩井俊二には、これと言って評価らしい評価をしたことはなかった。いいとも悪いとも明らかにしなかった。だが、その悪意ある無視が愚行に思えてきた。そろそろ降参しろよ。もう一人の自分が耳元でそう囁いている最中だ。
私が20代の頃に演出のアシスタントをほそぼそとやりながらシネフィル道を愚直に邁進していたとき、岩井俊二という、少し年上の人が突然出てきて、その上映会がアテネ・フランセでおこなわれた。入口の廊下に電通やら大手メディアから贈られた花束なんかが物々しく飾ってある。なんだ、この岩井というのは。あの峻厳なるシネフィルの礼拝堂たるアテネが、ぽっと出てきた寵児とやらに穢された気がした。
それからあっという間に、岩井俊二は若手のトップランナーに躍り出た。『Love Letter』(1995)の試写を見た直後の「カイエ・デュ・シネマ・ジャポン」の編集会議で、Aが「『Love Letter』には泣いちゃったけど、泣いたからって良い映画とは限らない」と言った。私は我が意を得て、うなずいた記憶がある。「カイエ」では岩井俊二を大々的には擁護しないことが決定した。
2002年ワールドカップ日本代表の密着ドキュメント『六月の勝利の歌を忘れない』(2002)が岩井俊二の監督作としてリリースされたことも、複雑な心境を抱かされた。あのドキュメンタリー映像は、私をマネージメントしてくれているプロダクションが製作したのだが、日本代表にずっと密着したディレクターの存在を、私たち内輪の人間は知っている。あれは結局、彼の知名度のなさが招いた悲劇だ。
『花とアリス』以来(2004)12年ぶりとなる日本での劇映画『リップヴァンウィンクルの花嫁』は、大雑把な言い方をすれば、初心に帰ってやり直した映画だ。そして、それがすごい。魔法を使っているのではないかと疑いたくなるほどすごいのだから困ってしまう。『花とアリス』以降、他人の映画のプロデュースとか、ハリウッドへの移住とかいろいろあったが、結局戻ってきたのだ。彼のハリウッド活動って、いったい何だったのだろう。『リップヴァンウィンクルの花嫁』は、その総括を脇に置いてなされた成果物だ。宿題はまだ残っている。
何事にも自信がなく、その場限りの取りつくろいでやり過ごしてばかりいるヒロイン(黒木華)は、いわゆる「へたれ」というのかしら、腹立たしいほどにナイーヴな女性である。そこに善意と悪意の入り交じったメフィストフェレス的存在が現れて(綾野剛)、ナイーヴな彼女を騙しに騙し、人生を翻弄してまわる。偶然も折り重なったりして、すべてが綾野剛の差し金ではないにしろ、とにかく流転に次ぐ流転である。受け身の女としての黒木華のおののきぶりを、ひたすら3時間も見続けるという映画体験となる。いろいろと事件は起こるが、いずれもたいしたものではない。なのになぜかすごくて、ラース・フォン・トリアーの大仰な運命劇よろしく、ヒロインと共に私たち受け手を木っぱ舟に乗せ、荒波で悪酔いさせる。
この映画作家について詳細に分析するのは、不肖私の役目ではない。私はただ目を丸くして「これは岩井魔術だ」などと陳腐な感嘆文を叫びながら、過去20年の非礼に少しばかり恥じ入るという段階にある。
3/26(土)よりユーロスペース、新宿バルト9、品川プリンスシネマなど全国で上映
http://rvw-bride.com
私が20代の頃に演出のアシスタントをほそぼそとやりながらシネフィル道を愚直に邁進していたとき、岩井俊二という、少し年上の人が突然出てきて、その上映会がアテネ・フランセでおこなわれた。入口の廊下に電通やら大手メディアから贈られた花束なんかが物々しく飾ってある。なんだ、この岩井というのは。あの峻厳なるシネフィルの礼拝堂たるアテネが、ぽっと出てきた寵児とやらに穢された気がした。
それからあっという間に、岩井俊二は若手のトップランナーに躍り出た。『Love Letter』(1995)の試写を見た直後の「カイエ・デュ・シネマ・ジャポン」の編集会議で、Aが「『Love Letter』には泣いちゃったけど、泣いたからって良い映画とは限らない」と言った。私は我が意を得て、うなずいた記憶がある。「カイエ」では岩井俊二を大々的には擁護しないことが決定した。
2002年ワールドカップ日本代表の密着ドキュメント『六月の勝利の歌を忘れない』(2002)が岩井俊二の監督作としてリリースされたことも、複雑な心境を抱かされた。あのドキュメンタリー映像は、私をマネージメントしてくれているプロダクションが製作したのだが、日本代表にずっと密着したディレクターの存在を、私たち内輪の人間は知っている。あれは結局、彼の知名度のなさが招いた悲劇だ。
『花とアリス』以来(2004)12年ぶりとなる日本での劇映画『リップヴァンウィンクルの花嫁』は、大雑把な言い方をすれば、初心に帰ってやり直した映画だ。そして、それがすごい。魔法を使っているのではないかと疑いたくなるほどすごいのだから困ってしまう。『花とアリス』以降、他人の映画のプロデュースとか、ハリウッドへの移住とかいろいろあったが、結局戻ってきたのだ。彼のハリウッド活動って、いったい何だったのだろう。『リップヴァンウィンクルの花嫁』は、その総括を脇に置いてなされた成果物だ。宿題はまだ残っている。
何事にも自信がなく、その場限りの取りつくろいでやり過ごしてばかりいるヒロイン(黒木華)は、いわゆる「へたれ」というのかしら、腹立たしいほどにナイーヴな女性である。そこに善意と悪意の入り交じったメフィストフェレス的存在が現れて(綾野剛)、ナイーヴな彼女を騙しに騙し、人生を翻弄してまわる。偶然も折り重なったりして、すべてが綾野剛の差し金ではないにしろ、とにかく流転に次ぐ流転である。受け身の女としての黒木華のおののきぶりを、ひたすら3時間も見続けるという映画体験となる。いろいろと事件は起こるが、いずれもたいしたものではない。なのになぜかすごくて、ラース・フォン・トリアーの大仰な運命劇よろしく、ヒロインと共に私たち受け手を木っぱ舟に乗せ、荒波で悪酔いさせる。
この映画作家について詳細に分析するのは、不肖私の役目ではない。私はただ目を丸くして「これは岩井魔術だ」などと陳腐な感嘆文を叫びながら、過去20年の非礼に少しばかり恥じ入るという段階にある。
3/26(土)よりユーロスペース、新宿バルト9、品川プリンスシネマなど全国で上映
http://rvw-bride.com
今回の岩井作品の夢のような浮遊感覚は、8ミリ自主映画研究会で撮った様な初期の差し迫った自分探しの初々しさとは何処か違う。手持ちカメラでは無くてフィックスな為にそんな印象を与えるのか…。前作の(ヴァンパイア)も、もう覚えていないのだが…。