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50.Croatia

2007-09-15 23:25:42 | 『万国巡覧記』

クロアチア共和国
(Republic of Croatia)

1.面 積  56,542平方キロメートル(九州の約1.5倍)
2.人 口  444万人(2001年国勢調査)
3.首 都  ザグレブ(人口78万人)(2001年国勢調査)
4.民 族  クロアチア人(89.6%)、セルビア人(4.5%)等
5.言 語  クロアチア語(公用語)
6.宗 教  カトリック、セルビア正教等
7.主要産業 繊維、石油製品、船舶、化学製品、食品
8.GDP 556億3,800万ドル
9.一人当たりGDP 12,364ドル
10.通貨・為替レート クーナ(HRK)、100 円=4.578クーナ
11.3文字コード ISO/HRV、IOC&FIFA/CRO
(外務省HP、Wikipedia)

クロアチアといえば、2006年ワールドカップドイツ大会で、日本と同じ予選リーグに所属し、ともに予選敗退の苦渋を味わった国ですので、記憶に残っている人も多いと思います。
また、そのあまりにも印象深いチェック柄の国旗も、特徴的ですね。
クロアチアは、バルカン半島の付け根にありますが、イタリアやハンガリーと国境を接しておりますので、印象としては西欧よりなのかなとも思ってしまいます。
ところが、歴史はばっちり東欧的で、波瀾万丈に富んでおります。

3~5世紀まで西ローマ帝国に属し、600年前後に、現在のクロアチア人がかの地に移住しました。その後はフランク王国とビザンツ帝国との中間に位置していると言うこともあり、あっちに引き込まれ、こっちに追いやられしますが、9世紀に一時、カール大帝(742~814)治下のフランク王国に含まれたときに、カトリックを受け入れました。
10世紀には、トミスラヴ(?~928)によりクロアチア王国が成立し、発展を遂げます。
トミスラヴの死後、ハンガリー王国の介入を受け、クロアチア一帯は同君連合の一因となってしまいます。
15世紀、第10代スレイマン1世(1494~1566)治下のオスマントルコの脅威にさらされますが、ハプスブルク帝国の一員に組み込まれる代わりに、その進行を食い止めることができました。
以後、ハプスブルク帝国崩壊までの約300年間は、比較的平和な時代を送ります。
しかし、その後は実に70年の長きにわたり、苦難の時代を迎えます。
1918年、第一次世界大戦敗戦に端を発し、オーストリア・ハンガリー帝国が崩壊すると、クロアチアはハプスブルク帝国から離脱。セルビアの提案を受け入れて、1929年に南スラブ民族の連邦国家・ユーゴスラヴィアを形成します。
ところが、成立当初からクロアチアはこの連邦に強い不満を持ち、1941年にはナチス・ドイツの支援を受けて、クロアチアの周辺諸国は独立国を形成します。
のちのち、これが1990年代まで脈々と続く、紛争の火種となります。
戦後は、チトー(1892~1980)の抜群の政治力のもとで、かろうじて国家を形成していたユーゴスラヴィアでしたが、セルビア民主主義を掲げるミロシェビッチ(1941~2006)が大統領となると、不満が一気に爆発。
1991年、6月25日、クロアチアは独立を宣言しましたが、まもなくクロアチア領内のセルビア人保護を名目に、ユーゴスラヴィア軍が侵攻。クロアチア軍とユーゴスラヴィアとの間に、激しい戦闘が起こりました。
世に言うクロアチア紛争で、1995年に多大な犠牲を払いながらも終結しました。
2005年には、EU加盟交渉も始まり、欧州の一員として、積極的な外交政策がとられているようです。

ときに、ネクタイは、クロアチアが発祥だといいます。
まぁ、その原型は紀元2世紀のローマ帝国にはできあがっていたようですが。

17世紀のこと。ルイ13世(1601~1643)は、自らの警備として、クロアチアからやってきたという傭兵を雇うことにしました。
彼らは、みな一様に首に変わった布を巻き付けています。それは彼らにとって見れば、弾避けのおまじないだったといいます。
それに目をつけたのは、当のルイ13世ではなく、息子のルイ14世(1638~1715)でした。
ルイ14世といえば、のちに太陽王と呼ばれ、「朕は国家なり」という名言を残すことになるブルボン王朝最盛期の王です。
目の付け所も、また違っていたということでしょうか。
クロアチア兵が首に巻き付けている布に目をつけたルイ14世は、近従に質問します。

参考にしたサイトなどによりますと、
「あの者たちの、首に巻き付けているものは何だ」
と尋ねたと言います。
それを、近従が「あの者たちはどこの国だ」と聞き間違えて、クロアチア兵を意味する「クラバット」と答えたというのですが、いくらなんでもその聞き間違いには無理があると思いませんか。
「朕は国家なり」なんていう、どんだけぇな言葉を残した王様ですからね。もっと、横柄で理不尽に質問したんじゃないかなと思います。
例えば…こんなふうに。

ルイ14世は、近従に質問します。
「おい、あれはなんだ?」
どんだけぇーと、近従は思ったことでしょう。
「あれって何?」「あれってどれ?」と、近従は困惑したことでしょう。しかし、聞き返すことなどできませんから、とりあえずアタリをつけて質問に答えるしかありません。
出身地か?
手に持つ武器か?
身につける鎧か?
それとも、首に巻いている変な布か?
近従は悩んだ末、「きっと王子は、彼らがどこから来たかを尋ねている」と判断して、クロアチア兵を意味する言葉を、質問の答えとしました。
「王子、クラバットです。クラバット」
「おおー、あれはクラバットというのか。変わった名前の布じゃのー。ちょっと持て来てたも」
と返事をしたとき、答えた近従はアチャーと思ったに違いありません。
首に巻いている変な布だったのかー、と。

そんなこんなで、以後、フランスでは「首に巻く布」のことを「クラバット(cravat)」と呼ぶようになり、今でもネクタイのことをクラバットと呼ぶようです。
フランス以外でも、スペインやポルトガル、ドイツなどでクラバットやそれに近い言葉を使うということです。
さすがルイ14世の思いつきですね。
わたしも「朕は国家なり」なんて言葉を、平然と使えるようになれば、もっと出世できるかもしれませんねー。


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