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57.Dominican Republic

2009-03-14 20:25:35 | 『万国巡覧記』

ドミニカ共和国
(Dominican Republic)


1.面 積  48,442平方キロメートル(九州に高知県を併せた広さ)
2.人 口  約975万人(2007年:世銀)
3.首 都  サント・ドミンゴ(人口 91.6万人、2002年:国勢調査)
4.言 語  スペイン語
5.民 族  混血73%、ヨーロッパ系16%、アフリカ系11%
5.宗 教  キリスト教(カトリック)
6.主要産業 観光、農業(砂糖)、鉱業(フェロニッケル)、軽工業(フリーゾーンにおける繊維、縫製業)
7.GDP 367億米ドル(2007年:世銀)
8.一人当たりGDP 3,550米ドル(2007年 世銀)
9.通貨・為替レート ペソ、1米ドル=約34ペソ(2008年7月平均)
10.3文字コード DOM
(外務省HP)

前回がドミニカ国だったのですから、次に来るのは当然、ドミニカ共和国です。
ドミニカ国との違いは、植民地時代の支配国がイギリスであるかスペインであるかと。その違いであることは前述の通りです。

歴史もほぼドミニカ国と同じなのですが、現国名は1875年にハイチ条約によって独立が認められた時につけられたそうです。
本当は、この独立時のごたごたも興味深いところなのですが、そこはハイチのためにとっておきましょう。
独立後、しばらく政情不安が続きますが、大きく動いたのは1916年。第一次世界大戦において、ドイツの植民地化を防ぐためにアメリカが軍事介入してきたのです。
となるとですね、当然次に待っているのがクーデターと独裁政治なんです。
いったんは民主制大統領を得ましたが、1930年、ラファエル・トルヒーヨ(1891~1961)がクーデターを起こし、中米でもっとも完成されたといわれる独裁制を敷きます。
なんていっても、まず首都名を自分の名前にするわ、自国最高峰を自分の名前にするわとやりたい放題ですよ。あげく、ドミニカ共和国白人化構想を練り、ドミニカ人を大量虐殺に及びます。
その独裁は、トルヒーヨが暗殺される1961年まで、実に30年にも及びました。
その後も共和と独裁を行ったり来たり。1965年にはドミニカ内戦が勃発するなど、政情不安が続いております。
その裏には、資本主義と社会主義のせめぎ合いがあります。

ドミニカといえば、何と言っても野球。野球が強い国です。
キューバにも引けを取らない、野球強豪国の一つ。
有名どころですと、1998年にマクガイアと熾烈なホームランキング争いをしたサミー・ソーサ(1968~)選手や「史上最高の投手」といわれたペドロ・マルティネス(1971~)選手。年はまちまちですが、本塁打王・打点王・首位打者をそれぞれ獲得しているマニー・ラミレス(1972~)選手など、実にそうそうたる顔ぶれ。
今年のワールドベースボールクラシックでも優勝候補の一角と騒がれましたが、ヨーロッパ屈指の強豪であるオランダに競り負けて、一次ラウンドで姿を消してしまいました。
アメリカ本土に上陸すれば、かなりの活躍をしそうだっただけに残念です。

ところで、ドミニカ共和国にはカープアカデミーというものがあるらしいです。
カープというのは、取りも直さず日本の広島東洋カープのことです。
ドミニカ共和国の潜在的な野球力にいち早く目をつけた広島が、1990年に設立。毎年、何名かが広島に所属しているといいます。
1997年に広島に在籍し、2002年にはニューヨーク・ヤンキースで盗塁王に輝いたアルフォンソ・ソリアーノ(1976~)は、このカープアカデミーの出身だそうです。
入所が適えば、日本に行くにしろアメリカに行くにしろ、プロになれるのかも知れませんので、ドミニカ共和国では登竜門なのでしょう。
意外なところに、日本との関わりがあるものです。


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