ある日のこと、八ヶ岳はある山に声をかけられた。
「なぁ、そこの…背ぇが高いの」
「は、わたしのことですか?」
「そう、お主だ。すまんが、少し話をせぬか。お主と見込んでの話だ」
別段あやしい素振りを見せていたわけでもなく、何か悪いことをしようとしている目つきにも見えない。話をしたいという相手の申し出を断る理由もなかったので、八ヶ岳は話を聞くことにした。
その山は、鳳凰山と名乗った。鳳凰山といえば、この辺りでは非常な有力者であったし、ここらでは新参者の八ヶ岳にとっては、とても喜ばしいことであった。
ところが、話というのは、何ではなかった。駿河の富士のことだったのだ。
八ヶ岳は、ひどく退屈に感じたが、ここは後先のことを考え、おとなしく耳を傾けることにした。
富士の悪い噂は聞いていたが、どうやら聞く以上にひどい山らしい。散々、富士への愚痴をこぼした後、鳳凰山は八ヶ岳にささやいた。
「どうだい、八ヶ岳とやら。富士にがつんと食らわせてやってくれないか」
もともと正義感が強い八ヶ岳であったし、そんな気にくわない富士に低く見られていることも鼻持ちならなかった。
「しかし、がつんとといっても。実際にぶん殴るわけにもいきますまい。」
腕組みをし、良の目をつぶって深く考え込んでいた鳳凰山は、右の目をうっすらと開けて、八ヶ岳をにらんだ。
身体の大きさの割に気が小さいところがある八ヶ岳は、刺すような視線に息を呑んだ。
「見たところ、お主の背は富士と同等か、それよりも高い。そこで、背ェくらべをしてみてはどうか」
「背ェくらべねぇ。そんなことで富士の鼻をへし折ることはできるですかい?」
「できる。やつぁそれほど、自分の背ぇの大きさに鼻を長くしているのさ」
ふむ…と、今度は八ヶ岳が考え込む番だった。
その晩のこと。
昼間のことを蓼科に話すと、蓼科は不安そうな顔をした。
「兄上、あんまり危ないことをしないで下さいな」
八ヶ岳は笑った言った。
「危ないとはいっても、ただの背くらべじゃぞ」
「危ないと申したのは、背くらべではございません。お相手のことです」
蓼科はぷんぷんしながら、飯びつから飯をよそって、八ヶ岳に投げるように渡した。
「聞くところに寄れば、富士とやらはたいそうなかんしゃく持ちだそうではありませんか。もし、兄上が勝とうものなら、どんなかんしゃくが出るかわかりません」
「はっはっは。心配いらぬ。わたしは男じゃぞ。女なぞに後れはとらぬ」
この話を受けるべきかどうか、不安に感じて返事を保留にして帰ってきた八ヶ岳であったが、いもうと相手に大口を叩いていると自信が湧いてきた。
「しかし…」とまだ熟慮を促す蓼科を制し、八ヶ岳は
「やってみる」
と宣言してしまった。
次の日の朝早くには、さっそく鳳凰山に受けて立つ旨を伝えてしまった。
「なぁ、そこの…背ぇが高いの」
「は、わたしのことですか?」
「そう、お主だ。すまんが、少し話をせぬか。お主と見込んでの話だ」
別段あやしい素振りを見せていたわけでもなく、何か悪いことをしようとしている目つきにも見えない。話をしたいという相手の申し出を断る理由もなかったので、八ヶ岳は話を聞くことにした。
その山は、鳳凰山と名乗った。鳳凰山といえば、この辺りでは非常な有力者であったし、ここらでは新参者の八ヶ岳にとっては、とても喜ばしいことであった。
ところが、話というのは、何ではなかった。駿河の富士のことだったのだ。
八ヶ岳は、ひどく退屈に感じたが、ここは後先のことを考え、おとなしく耳を傾けることにした。
富士の悪い噂は聞いていたが、どうやら聞く以上にひどい山らしい。散々、富士への愚痴をこぼした後、鳳凰山は八ヶ岳にささやいた。
「どうだい、八ヶ岳とやら。富士にがつんと食らわせてやってくれないか」
もともと正義感が強い八ヶ岳であったし、そんな気にくわない富士に低く見られていることも鼻持ちならなかった。
「しかし、がつんとといっても。実際にぶん殴るわけにもいきますまい。」
腕組みをし、良の目をつぶって深く考え込んでいた鳳凰山は、右の目をうっすらと開けて、八ヶ岳をにらんだ。
身体の大きさの割に気が小さいところがある八ヶ岳は、刺すような視線に息を呑んだ。
「見たところ、お主の背は富士と同等か、それよりも高い。そこで、背ェくらべをしてみてはどうか」
「背ェくらべねぇ。そんなことで富士の鼻をへし折ることはできるですかい?」
「できる。やつぁそれほど、自分の背ぇの大きさに鼻を長くしているのさ」
ふむ…と、今度は八ヶ岳が考え込む番だった。
その晩のこと。
昼間のことを蓼科に話すと、蓼科は不安そうな顔をした。
「兄上、あんまり危ないことをしないで下さいな」
八ヶ岳は笑った言った。
「危ないとはいっても、ただの背くらべじゃぞ」
「危ないと申したのは、背くらべではございません。お相手のことです」
蓼科はぷんぷんしながら、飯びつから飯をよそって、八ヶ岳に投げるように渡した。
「聞くところに寄れば、富士とやらはたいそうなかんしゃく持ちだそうではありませんか。もし、兄上が勝とうものなら、どんなかんしゃくが出るかわかりません」
「はっはっは。心配いらぬ。わたしは男じゃぞ。女なぞに後れはとらぬ」
この話を受けるべきかどうか、不安に感じて返事を保留にして帰ってきた八ヶ岳であったが、いもうと相手に大口を叩いていると自信が湧いてきた。
「しかし…」とまだ熟慮を促す蓼科を制し、八ヶ岳は
「やってみる」
と宣言してしまった。
次の日の朝早くには、さっそく鳳凰山に受けて立つ旨を伝えてしまった。