さじかげんだと思うわけッ!

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横浜訪問記 後編

2009-08-23 22:00:00 | 旅行記

Kが提案します。
船に乗って移動しようと。
K曰く、みなとみらいのぷかり桟橋からシーバスという定期船が巡回して、路線バスのような感覚で乗れるらしい。
電車で移動するのもアレですし、いいんではないかと話がまとまりました。
みなとみらいのパトロールをしている警備員のおじさんがセグウェイに乗っているのを見て驚愕したり、横浜ベイブリッジを背景にして面白い写真を撮ったりしながら、その乗り場へと向かいます。
あまりに写真撮影に熱中しすぎて一本乗り過ごしたりしましたが、15時20分のバスに乗ることができました。


赤レンガ倉庫は、すごい人だかり

一駅目の、赤レンガ倉庫で降りました。磐田のMが赤レンガ倉庫を見たことがないというので、せっかくだし降りようと言うことになったのです。
赤レンガ倉庫といえば、横浜の定番観光スポットですが、まぁわたしも遠巻きに見たぐらいでマジマジと見たことはなかったのでいい経験でした。
敷地の真ん中に砂浜がこしらえておりましてね。そこで無数の子どもらが遊んでいました。
すぐ近くには、「開国博Y150」のブースがありましてね。中華街にOを待たせているにもかかわらず、中を物色して、買い物をしておりました。すいません。
というわけで、結局中華街に到着したのは16時半。まったく、平塚のOには悪いことをしました。ごめんなさい。

まぁとにかく、合流できたというので、中華街を歩き回ります。
磐田のMはこれが、神戸以来の中華街ということで、神戸のそれと比べても大きいので驚いているようです。
神戸の中華街は露店が多く、庶民的なのに対して、横浜の中華街は豪華で、派手なお店が建ち並んでいます。
それぞれにいいところがありますから、どちらがいいということはありませんが、やはり比べてしまうと横浜の繁栄っぷりがよくわかります。
というわけで、日本三大中華街は横浜・神戸と制覇し、残りは長崎であるわけですが、これがなかなか難しいところですねぇ。
さて、一行は関帝廟を見たり、「横浜大世界」という総合エンターテインメント施設をのぞいたりしながら中華街を楽しみます。
…とはいえ、中華街は「食」あってこその場所であり、もはやご飯を食べるところが決まっており、つまり楽しみがあまりなかったわけです。
その点、横浜大世界はトリックアートミュージアムがあったり、様々なお土産屋が入っていたりして暇を潰すにはいいところでしたね。

しばらくぶらぶらして19時になりますと、本日のメインイベントである「金龍飯店」に向かいます。そこで豪華なコース料理を食べるのです。
何と、通常一人1万円かかるところを、Kの見事な交渉とクーポン券によって半額の5千円で食べることができるというのですから驚きです。しかも飲み放題つき。なんと太っ腹なことでしょうか。
料理はどれも本格的。前菜から唸ってしまうようなおいしさなわけですが、フカヒレなんか初めて食べましたけど、なんかもさもさしてましたよ。点心なんて肉まんと見まごうばかりの詰められ放題。いやぁさすが、中華街ですねぇ。
そしてやってきましたのは、北京ダックです。
わたしたちは、北京ダックといえば、まるまる一匹食うもんだと思っていたのですが、出てきてみれば、人数分の香味野菜と包む皮、そしてきれいな焼かれたアヒルの皮が出てきただけでした。
もっとね、こうイメージとしてカートに乗せられてきて、シェフが切り分ける的なものを想像していたんですが…まぁ1万円のもの5千円に値切っておいて何を言うのかって話なんですけどね。


きれいに包まれた北京ダック

以降にも出てきた料理には、何もいうことない素晴らしい料理の数々。皆残さず食べました。大満足で店を出たのでした。
四人でまたの再会を願いながら、みなとみらい線元町・中華街駅に向かいます。
中華街の朝陽門をくぐっていくのですが、その門の下に「洗手亭」と書かれた公衆トイレがありました。そのときにわたしの頭…いや、腹によぎった嫌な予感はのちのち現実のもとなっていくのです。
すでにわたしの腹の中では恐ろしいことが起きていたのです。

わたしの帰りの予定です。
横浜駅を21時24分に出て、東神奈川駅で横浜線に乗り換え。22時27分には八王子につき、22時35分の特急かいじに乗車。甲府着が23時41分。
次の日は仕事もありましたし、まぁ最終よりも一つ早いこの便が無難であろうと。
しかし、わたしがいく旅には常に不測の事態が付きものです。
どうも駅に向かう途中から、腹が痛い。うんこ…そう、うんこの予感。
しかも、ゲーリーが襲来したっぽい。
わたし一人のために、みなを遅れさせるわけにはいかないので、ここは我慢して電車に乗ります。しかしまた、この電車。冷房をがんがんに掛けてわたしの胃腸と肛門を、必要以上に刺激します。
次第に黙り始めるわたし。このときには、KもOもMもわたしの異変に気がつき、気に掛けてくれます。
このとき、Kも胃腸に異変を感じていたようで、冷たいものを飲み過ぎたのだろうといっていたのですが、わたしは油の取りすぎではないかと思っていました。
昼間は濃厚な吉村屋、夜は中華料理。
むしろ、その両方が原因だったのかも知れません。
とにかく、今にも肛門が決壊しそうな感じです。横浜駅について、小走りでトイレに駆け込みます。
しかし、わたしは知っていたのです。この手のゲーリーは、一度ではケリがつかないであろうことを。波状攻撃なのです。
取りあえず、途中で脱糞などしたらえらいことです。一次攻撃が収まるまでトイレに籠ります。
わたしがトイレから出たとき、時計は21時35分を回っていました。つまり、この時点でわたしの帰甲作戦は失敗。最終列車である八王子を23時36分に出るかいじに乗れなければ、わたしの帰りは翌日となってしまう。
これは非常とも言える事態です。
とにかく、横浜駅で平塚のOと別れます。彼には明るい未来が待っているということなので、わたしにもその幸運を祈らせて欲しいと思います。
横浜駅を出て、修善寺のKと磐田のMは新横浜で新幹線に乗るので、そこまでは一緒です。
東神奈川駅で乗り換えるのも一緒…だったはずだったのですが…。
ここで第二波がわたしの肛門を直撃。これはとても適わんと二人でここでわかれをいって、わたしは見ず知らずの東神奈川駅のトイレに籠ります。
磐田のMにもまた、春が訪れたということで、実にめでたいことです。幸せを祈らせてください。
修善寺のKは…まぁわたしの兄弟ですから。何もなくても、常に幸せを祈っています。
東神奈川から八王子までは、実に60分かかりますから、とにかくその60分は発作が来ないようにしなければいけません。
15分はトイレに籠り、万全期して電車に乗り込みます。
八王子でもしばらくトイレに籠り、かいじにはトイレがあるのでいささかの発作が起きても問題はありません。
というわけで、甲府についたのは24時45分。
その後、二日間はゲーリー氏の襲来に悩まされ続けました。わたし、ゲーリーはすぐ来るんですが、早めにお帰りになるんですが、今回はずいぶん長居をなされました。

と、結局4分の1はうんこの話になってしまったわけですが、困ったものです。
こんなグダグダな感じで終わりとしましょう。



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