さじかげんだと思うわけッ!

日々思うことあれこれ。
風のようにそよそよと。
雲のようにのんびりと。

49.Cote d'Ivoire

2007-09-01 21:45:04 | 『万国巡覧記』

コートジボワール共和国
(Republic of Cote d'Ivoire)

1.面 積  322,436平方キロメートル(日本の約0.9倍)
2.人 口  1,820万人(2005年、UNFPA(国連人口基金))
3.首 都  ヤムスクロ
4.民 族  セヌフォ族、バウレ族、グロ族、グン族、アチェ族、ベテ族、ゲレ族
5.言 語  フランス語(公用語)、各部族語
6.宗 教  イスラム教30%、キリスト教10%、伝統宗教60%
7.主要産業 農業(コーヒー、ココア等)
8.GNI 153億米ドル(2005年、世銀)
9.一人当たりGNI 840米ドル(2005年、世銀)
10.通貨・為替レート CFAフラン、1ユーロ=656.957CFAフラン(固定レート)
113文字コード CIV
(外務省HP)

古くは象牙海岸の名で知られたコートジボワールは、その名の通り大西洋に面する国です。
名前はフランス語で、読み方に従えば、「コート・ディボワール」となるはずです。
国名がフランス語ですので、以前がフランスの植民地であったことは予想がつくと思います。

この地に欧州人がやってきたのは、15世紀のこと。それ以前は、多くの王国が乱立していたようです。
欧州人がやってきた目的は、まずは象牙。その名が示すとおりであります。
欧州でも象牙は人気でした。硬度、加工のしやすさなどが人気となり、日本と同様に工芸品や美術品として人気がありました。
15世紀に喫煙の風習が欧州にもたらされると、喫煙方法の一つしてパイプが使われるようになり、その材料として使われ、17世紀後半にバルトロメオ・クリストフォリ(1655~1731)によってピアノが発明されると、その鍵盤として使われました。
それから、奴隷ですね。アフリカ大陸の住人を植民地での労働資源として見て、奴隷の売買拠点として使われたわけです。
フランスの植民地となったのは、1893年のことですから、思ったよりも昔のことではありません。
正式な独立は、やはり1960年のことです。
その後は「ディボワールの奇跡」とまで言われる高度成長を遂げましたが、問題が起こったのは1999年。
1999年クリスマス・イブに起こった軍事クーデターを皮切りに、2002年にはゴタゴタから内戦にまで発展。周辺諸国の尽力により、一時は収束しましたが、去年あたりから再び再燃しているということで、非常に気がかりですね。

さて、コートジボワールといえばやはり、象牙をなくしては語れないわけですが、1980年に日本もワシントン条約を締結し、1989年から輸入が禁止されたようです。
その後、個体数が激増したことを受けて、1999年に一度限りの輸入が行われたそうです。
というわけで、実際、現時点でコートジボワールの経済を支えているのは、カカオやコーヒーなどの農産物と石油です。
カカオの成分の話は以前したとして、コートジボワールはカカオの輸出量は世界一。
世界の3分の1にあたる約36%を輸出しているということです。
これはえらい量ですね。
また、豊富に産出される石油を使った石けんなどの石油製品も盛んに作られているといいます。
それから、コートジボワール出身の有名人といえば、イギリス・プレミアリーグの強豪チームのチェルシーFC所属のディディエ・ドログバ(1978~)選手。
ドログバ選手をはじめとして、欧州サッカーで活躍するコートジボワール出身者は意外と多いですね。
国際舞台でも、ザ・エレファンツという愛称で親しまれるコートジボワール代表は、去年のドイツワールドカップにも出場しました。

経済も、スポーツの世界でも活躍著しいコートジボワール。
早く内戦が落ち着いてほしいと思いますね。


最新の画像もっと見る