佐久島へ初めて行きました。
※アートの島としても有名。写真はおひるねハウス。
一色さかな広場横の渡船場から船に乗ると
「しぶきがかかるので船内に入ってください。」
と、係の人に言われる。
船内は大混雑。よく島へ行く人達はデッキのまま。私も少々かぶっても仕方ないのでスペースのあるデッキに立っておりました。
大間違い。
ぶわしゃーーーー!と豪快な水しぶきが襲いかかる。
うわ、こんなすっごい奴だったのか!と、思った時には、もう手遅れ。
思い切り海水を被りました。花祭りの湯囃子か、という位に。
※直撃弾が被弾した上司。後ろの色が濃い方が被弾側。
海、舐めてました。
すいません。
佐久島西港についても、服はびたびたのまま。
※こんなに天気が良いのに。三河湾の黒真珠と言われる黒板の建物群。
目的は佐久島年末ライブなるイベントを見学するため。
開始まで時間があったので 少しお散歩。
アートの島としてあちこちに体験型のアート作品があるのですが、最も人気が高いおひるねハウスに行く。聞けば行楽シーズンには行列が出来る程の人気でお昼寝しようにも背後からのプレッシャーで落ち着いて寝られない、と、聞いていました。
到着すると
まさかの誰もいない!
そりゃ確かに年末の朝一番の便で、クソ寒い時期にやってくる人も少ないわな、と、納得するも、行列覚悟で来たので拍子抜け。
これはありがたいとよじ登って寝転がる。
これは落ち着く。
自分は器が小さいので狭い所に来ると安心するのでしょう。
中は意外と暖かくゆったりできました。
が、意外と最上階の3階は高さがあり、登るときは良いですが、降りるときは結構怖いです。
ご注意ください。
そして、近くの古墳へ。
石垣古墳と書いて「しがけこふん」と読むそうです。
円墳でしょうか。そして、土が海風で飛ばされたのでしょうか、石室部分が露出しています。
中を覗くと石で壁が綺麗に作られています。
同行者に
「古墳とかは要注意なんですよね。昔、自分が考古学研究会で発掘してたらスズメバチに襲われたり倒木で頭を打って運ばれたりと、何かあるので結構自分は拝んでから見るんですよ。」
と、いうと、
「え、それ、結構苦手な奴。」
と、怯えられてしまいました。
一応、私も怖いので南無南無言ってから拝見しました。
この辺りの石は剥離しやすく加工しやすそう。ただし、脆さもあるので大きな塊で取り出すことが難しそうです。
海岸の石に筋が入って特徴的です。
自然に入った亀裂のようなものが見えます。
幾何学模様的に規則正しく入っており、なぜこのようになるのか大変不思議。
この原因を教えてくれる人がいたら、もっと楽しめるのですが。
あと、こんな石も。。。
結構グロテスク。ポットホールのようなものでしょうか?あちこちに穴の空いた岩があり、これまた面白い。海岸で石を見ているだけでも十分に楽しめます。海水も大変綺麗で心が洗われます。
さて、本題の年末ライブ。
どうも、ドイツやイタリヤの高名なオペラ歌手とジャズシンガーが日本公演の合間を縫って、お遊び的に開催をするものだそうです。
オペラなどという高尚な趣味は持ち合わせていないので、生で聴くのは初めて。
結構、島外からのお客さんも多かったようで盛況でした。
実際、始まると迫力が違う。
なぜか、パーカッションに忍者がいたりと遊び心も。
やはり声量が違う。
体全体で共鳴させて体が楽器、というのがよくわかります。
1時間程度の演奏会でしたが、拍手喝采で大盛況のうちに幕を閉じました。
さて、その後、帰りの船までに少し時間があるので島を散策。
こんなトトロが出そうな森を抜けると
紫色の海岸が。
きっと写真ではわかりにくいと思うのですが結構紫色なんですよね。
感動。
海岸も大変美しく夕陽が沈む様を見ていると、極楽浄土を昔の人が思ったのもよくわかる。補陀落渡海したくなってしまいます。
などと見とれていると
「うわっ!」
と、悲鳴が。
みると同行していたN君が水たまりに足を突っ込んでしまった。
※結構凹んでいる。
原因は綺麗すぎる水。
水たまりがわからないのです。
そして歴史好きがこじれ気味な自分としては見逃せないものが!
筒島に弁財天があるのですが、お宮の隣に兜岩なる岩がある。
説明書きを読むと
「武田軍勢が追っ手を迎え撃つためこの島に立てこもった際、信玄公が脱いだ兜を置いたと言われる。」
とのこと。
よく見るとこの弁財天にまつわる逸話が。
武田家の家臣なるものが弁財天を拝んだ際に玉眼が綺麗なのでくりぬこうとしたら地震が起きて家臣も病気で苦しんだ、とか。
なぜ佐久島に武田家にまつわる伝承があるのか。
当然、信玄が佐久島に来ることなどありえないはず。しかし、伝承があるということは、なんらか伝承を生み出す背景があったはず。別の話が信玄になったにしても、一体、信玄の勢力の影響など受けえないはずの佐久島に、なぜこのような伝承が生まれたのか。
大変に疑問です。この話、もう少し突っ込んで考えると、結構面白いのではないかと思います。
ちなみにこの弁財天。
入り口が枡形虎口形状で、まるで城。
この島には神君伊賀越えで家康が逃げてきた際に寺に立ち寄り家康を匿ったことから褒められた、という伝承もあるようです。この伝承は満光寺の鶏の話と同じ背景で生まれたのではないかと睨んでいます。
島の歴史をもっと掘り下げたい!と、痛切に思う。
と、まぁ、最後の最後は、やはり城だの歴史だのに落ち着いてしまう訳ですが、ゆったりとした時間が流れる佐久島は、都会の喧騒に疲れた身には大変安らぐ場所です。
アート作品や音楽、そして歴史。
訪れた人の好みに応じ対応してくれる島のように感じました。
※アートの島としても有名。写真はおひるねハウス。
一色さかな広場横の渡船場から船に乗ると
「しぶきがかかるので船内に入ってください。」
と、係の人に言われる。
船内は大混雑。よく島へ行く人達はデッキのまま。私も少々かぶっても仕方ないのでスペースのあるデッキに立っておりました。
大間違い。
ぶわしゃーーーー!と豪快な水しぶきが襲いかかる。
うわ、こんなすっごい奴だったのか!と、思った時には、もう手遅れ。
思い切り海水を被りました。花祭りの湯囃子か、という位に。
※直撃弾が被弾した上司。後ろの色が濃い方が被弾側。
海、舐めてました。
すいません。
佐久島西港についても、服はびたびたのまま。
※こんなに天気が良いのに。三河湾の黒真珠と言われる黒板の建物群。
目的は佐久島年末ライブなるイベントを見学するため。
開始まで時間があったので 少しお散歩。
アートの島としてあちこちに体験型のアート作品があるのですが、最も人気が高いおひるねハウスに行く。聞けば行楽シーズンには行列が出来る程の人気でお昼寝しようにも背後からのプレッシャーで落ち着いて寝られない、と、聞いていました。
到着すると
まさかの誰もいない!
そりゃ確かに年末の朝一番の便で、クソ寒い時期にやってくる人も少ないわな、と、納得するも、行列覚悟で来たので拍子抜け。
これはありがたいとよじ登って寝転がる。
これは落ち着く。
自分は器が小さいので狭い所に来ると安心するのでしょう。
中は意外と暖かくゆったりできました。
が、意外と最上階の3階は高さがあり、登るときは良いですが、降りるときは結構怖いです。
ご注意ください。
そして、近くの古墳へ。
石垣古墳と書いて「しがけこふん」と読むそうです。
円墳でしょうか。そして、土が海風で飛ばされたのでしょうか、石室部分が露出しています。
中を覗くと石で壁が綺麗に作られています。
同行者に
「古墳とかは要注意なんですよね。昔、自分が考古学研究会で発掘してたらスズメバチに襲われたり倒木で頭を打って運ばれたりと、何かあるので結構自分は拝んでから見るんですよ。」
と、いうと、
「え、それ、結構苦手な奴。」
と、怯えられてしまいました。
一応、私も怖いので南無南無言ってから拝見しました。
この辺りの石は剥離しやすく加工しやすそう。ただし、脆さもあるので大きな塊で取り出すことが難しそうです。
海岸の石に筋が入って特徴的です。
自然に入った亀裂のようなものが見えます。
幾何学模様的に規則正しく入っており、なぜこのようになるのか大変不思議。
この原因を教えてくれる人がいたら、もっと楽しめるのですが。
あと、こんな石も。。。
結構グロテスク。ポットホールのようなものでしょうか?あちこちに穴の空いた岩があり、これまた面白い。海岸で石を見ているだけでも十分に楽しめます。海水も大変綺麗で心が洗われます。
さて、本題の年末ライブ。
どうも、ドイツやイタリヤの高名なオペラ歌手とジャズシンガーが日本公演の合間を縫って、お遊び的に開催をするものだそうです。
オペラなどという高尚な趣味は持ち合わせていないので、生で聴くのは初めて。
結構、島外からのお客さんも多かったようで盛況でした。
実際、始まると迫力が違う。
なぜか、パーカッションに忍者がいたりと遊び心も。
やはり声量が違う。
体全体で共鳴させて体が楽器、というのがよくわかります。
1時間程度の演奏会でしたが、拍手喝采で大盛況のうちに幕を閉じました。
さて、その後、帰りの船までに少し時間があるので島を散策。
こんなトトロが出そうな森を抜けると
紫色の海岸が。
きっと写真ではわかりにくいと思うのですが結構紫色なんですよね。
感動。
海岸も大変美しく夕陽が沈む様を見ていると、極楽浄土を昔の人が思ったのもよくわかる。補陀落渡海したくなってしまいます。
などと見とれていると
「うわっ!」
と、悲鳴が。
みると同行していたN君が水たまりに足を突っ込んでしまった。
※結構凹んでいる。
原因は綺麗すぎる水。
水たまりがわからないのです。
そして歴史好きがこじれ気味な自分としては見逃せないものが!
筒島に弁財天があるのですが、お宮の隣に兜岩なる岩がある。
説明書きを読むと
「武田軍勢が追っ手を迎え撃つためこの島に立てこもった際、信玄公が脱いだ兜を置いたと言われる。」
とのこと。
よく見るとこの弁財天にまつわる逸話が。
武田家の家臣なるものが弁財天を拝んだ際に玉眼が綺麗なのでくりぬこうとしたら地震が起きて家臣も病気で苦しんだ、とか。
なぜ佐久島に武田家にまつわる伝承があるのか。
当然、信玄が佐久島に来ることなどありえないはず。しかし、伝承があるということは、なんらか伝承を生み出す背景があったはず。別の話が信玄になったにしても、一体、信玄の勢力の影響など受けえないはずの佐久島に、なぜこのような伝承が生まれたのか。
大変に疑問です。この話、もう少し突っ込んで考えると、結構面白いのではないかと思います。
ちなみにこの弁財天。
入り口が枡形虎口形状で、まるで城。
この島には神君伊賀越えで家康が逃げてきた際に寺に立ち寄り家康を匿ったことから褒められた、という伝承もあるようです。この伝承は満光寺の鶏の話と同じ背景で生まれたのではないかと睨んでいます。
島の歴史をもっと掘り下げたい!と、痛切に思う。
と、まぁ、最後の最後は、やはり城だの歴史だのに落ち着いてしまう訳ですが、ゆったりとした時間が流れる佐久島は、都会の喧騒に疲れた身には大変安らぐ場所です。
アート作品や音楽、そして歴史。
訪れた人の好みに応じ対応してくれる島のように感じました。