これも買ってました。
古文書をスラスラ読めるようになるとは良いと思いますが、しょっちゅう古文書を目にするような生活をしているわけでなし。
ただ、ミミズののたくったような、くずし字を活字に直している「翻刻」は、結構読みます。
その際に使われている言葉がわからない、ということがある。
例えば、
「相働」(あいはたらき)
自分の今までの経験からすると「相」にはそう意味がなく、時代劇などで「あいわかった。」などと言っている奴だろう、だから、ちょっと攻めたった位に思っていたら、ある郷土史を読んでいたところ、「誰かが攻めてきたので、こちらからも…」と、いうニュアンスで捉えて話が書かれている。
「え?」
と、なる訳です。
独学者ですから。
しかし、自分が調べたいと思ったところで重要な役割を果たす文書だけに、ここの解釈でえらいこと差が出る。
で、保留。
と、いうことが起こる。
ところが、この本には用語の読みと意味の章があり、「相」は、
「動詞につく接頭語で、語調を整えたり語勢を強めたりする。」
と、明言してくれています。
やっぱり「あいわかった。」的な解釈で良かったんだ、と、納得。
それこそ、解体新書作ってる杉田玄白とかと状況は一緒な私としては、貴重な翻訳コンニャクなのです。
※翻訳コンニャクは食べると通訳なくても言葉の通じない相手と話ができる便利グッズ。byドラえもん
まぁ、こんな感じで遅々として進まないのですが、大まかな奥三河の戦国時代研究は猛烈な勢いで学者さんたちが解き明かしており、それを読めば良い、という状況になっており助かります。
が、自分などが気になってしまう、ほんとどうでも良いようなこと、となると、誰も調べていないようなものも多い。
で、現在調べている最中なのが
「満光寺の鶏はいつ鳴いた」
と、いうもの。
多分、ここだろう、ということを書こうと思ったのですが、折角だから、と、その近辺の長篠周辺の状況を翻刻で総まくりしていたら、全然ブログに書けません。
ただ、近々まとまりそうなので、そのうち書きます。
相変わらず、細かすぎる部分にしか興味がいかないもんですから。。。
古文書をスラスラ読めるようになるとは良いと思いますが、しょっちゅう古文書を目にするような生活をしているわけでなし。
ただ、ミミズののたくったような、くずし字を活字に直している「翻刻」は、結構読みます。
その際に使われている言葉がわからない、ということがある。
例えば、
「相働」(あいはたらき)
自分の今までの経験からすると「相」にはそう意味がなく、時代劇などで「あいわかった。」などと言っている奴だろう、だから、ちょっと攻めたった位に思っていたら、ある郷土史を読んでいたところ、「誰かが攻めてきたので、こちらからも…」と、いうニュアンスで捉えて話が書かれている。
「え?」
と、なる訳です。
独学者ですから。
しかし、自分が調べたいと思ったところで重要な役割を果たす文書だけに、ここの解釈でえらいこと差が出る。
で、保留。
と、いうことが起こる。
ところが、この本には用語の読みと意味の章があり、「相」は、
「動詞につく接頭語で、語調を整えたり語勢を強めたりする。」
と、明言してくれています。
やっぱり「あいわかった。」的な解釈で良かったんだ、と、納得。
それこそ、解体新書作ってる杉田玄白とかと状況は一緒な私としては、貴重な翻訳コンニャクなのです。
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まぁ、こんな感じで遅々として進まないのですが、大まかな奥三河の戦国時代研究は猛烈な勢いで学者さんたちが解き明かしており、それを読めば良い、という状況になっており助かります。
が、自分などが気になってしまう、ほんとどうでも良いようなこと、となると、誰も調べていないようなものも多い。
で、現在調べている最中なのが
「満光寺の鶏はいつ鳴いた」
と、いうもの。
多分、ここだろう、ということを書こうと思ったのですが、折角だから、と、その近辺の長篠周辺の状況を翻刻で総まくりしていたら、全然ブログに書けません。
ただ、近々まとまりそうなので、そのうち書きます。
相変わらず、細かすぎる部分にしか興味がいかないもんですから。。。