なぜか億単位の当選がない。
「何故だ。」
我々は悩んだ。
鳳来寺山。
百間滝。
パワースポットだの、御利益ありそうな場所だの、を巡れば、きっと高額当選できるだろう、そう考えた我々は、恥も外聞も忘れ、様々な場所で心から祈りを捧げた。
結果は、いつもとちがう手ごたえを感じた。
・祈願中にサンリオファミリーコンサートの当選通知が来た。
・通常よりの当選確率よりも高めでスクラッチくじの千円が当選した。
・コンビにでくじをひいたら1等が当たった。
・祈願翌日のパチンコで大勝ちした。
・難度高めの仕事を無事にクリアした。
等々。
これはこれで確かにすごい。
しかし、我々は当初の
「宝くじ当たるといいね。」
から
「宝くじどうしても高額当選当てたい。」
になり
「はよ高額当選しろ。なぜ当たらん。」
になっていた。
そして、いつしか共同購入分よりも各人が自分の分として購入する宝くじの方が高額になっていった。
そして、皆で出資した宝くじよりも、自分で購入した宝くじの方を熱心に祈っている。
※証拠写真サンプル。
人の弱さ、を、まさに今、ブログを読んでいるあなたは目撃しているのだ。
我々の弱さを哀れんでくれ。
僕達はまだ億単位の当選番号を見ていない。
何かの歌詞のように、ちょっとかっこ良く言ってみた。
が、所詮、修羅の群れ。
実は既に高額当選を果たしているが、それを口にすると今まであったことがない親戚が増えることを懸念して、口外していない者がいるかもしれない。
そんな疑いの目でこっそりとお互いを見ているようになっていた。
今のところ、常日頃の言動を見る限り、そのような演技をしている者はなさそうであり、そう信じるしか、我々の切れそうな結び目をかろうじて繋ぐものはない。
修羅道に落ちた我々は戦い続けるしかない。
そんな我々が今回目指すのは、郷土が誇る『長篠城』。
※鳶ヶ巣砦から望む。画面中央の森が長篠城。
戦いの場として、これほどふさわしい場所があろうか。
なぜ長篠城が今回選ばれたのか。
きっかけは、あるメンバーの報告だった。
「新城市内で宝くじの高額当選を連発する売り場は、長篠城付近の『何か』を移転した時期と一致するらしい。」
「『何か』って何だ!」
我々は色めき立つより殺気立った。
太陽にほえろの聞き込みのシーンさながら、我々は人を訪ね歩き情報を収集した。
そして、それは判明した。
長篠城に祀られている稲荷様だという。
「それは『おとら狐』のことだな。」
「おとらきつね?」
地元でもなかなか知られていない『おとら狐』の伝承。
説明しよう。
お虎狐は、長篠城のお稲荷様のお使いとして住んでいました。
ある日、城中で何やら評定の最中でした。お虎狐は立ち聞きしていましたが、思わず身をのり出しましたので、切りつけられて左足に大けがをして、それ以来足をひきずるようになりました。
また、合戦がひどくなったとき、流れ弾にあたって片目になりました。
やがて戦いが終わると、お城は新城へ引っ越していしまいましたので、お虎狐はさびしくてたまりません。近くの家や畑でいたずらをして人々を困らせました。
お虎狐にとりつかれると、その人は長篠合戦の話をするということです。
(出典:「新城文化財案内」 新城市教育委員会)
なんだか、かわいそうな狐さんです。
この本では可愛らしく話がかいてありますが、結構霊力が強いという話を別の本で読んだことがあります。(残念ながら出典が探せない。)
どうもお稲荷さんというのは,城の守り神として祀られることが多いようです。
そこから派生した話なのかもしれませんが、今となっては、狐が先か稲荷が先かわからない。
おとら狐を祀る『城藪稲荷』は、長篠城の土塁上にあったのですが、古く荒れてきたので近くの大通寺に新しい稲荷を造って移転したという。その時期と市内の売り場で高額当選が出始めた時期が一致している、という一部の噂があるらしい。
「これは・・・。すぐにお参りに行かねば。」
皆が一斉に色めきだつ中、私には一つ気がかりな点があった。
お稲荷様って荼枳尼天(だきにてん)と同一視されるのではなかったか。
荼枳尼天。
※出典:ウィキペディア
荼枳尼天は、一代限りの栄華を与えるがその末路はよろしくない、という。
『源平盛衰記(げんぺいじょうすいき)』という話の中で、
平清盛が狩りをしていて追い詰められた狐が突然話し掛けて来ます。
「私を助けて、おまつりしてくれるなら、お前を出世させてやろう。」
その時、清盛はあまり裕福ではなく、
「荼枳尼天は一時の栄華を与えると言うが、まぁ、このままくすぶっているよりも、一時でも夢を見た方が良い。」
と、考えて狐を助けます。
すると清盛は、あっというまに出世して栄華を極めますが、さいごには源氏の叛乱により一族は滅んでしまいます。
その他、建武の親政で鎌倉幕府を倒して天皇親政を実現したものの、すぐに足利尊氏に叛乱を起こされて、結果的に天皇家が南北朝に分かれて争うことになったきっかけを作った後醍醐天皇も、その護持僧である文観が荼枳尼天を祀っていたと言われます。
ちなみに、この文観は相当強烈なエピソードを持ってます。
本筋から外れる上に、お子様にはとても読ませられない内容なので書きませんが、興味のある方は「文観 立川流(もんかん たちかわりゅう)」で検索。
立川談志の立川流(たてかわりゅう)とは全く別物ですので要注意。
ひょっとすると、近年の一発屋と呼ばれる方々も稲荷にお祈りしたのかもしれない。
荼枳尼天の威力はかように強烈、と、私の頭に刷り込まれていたため、
『そんなものに祈願をしてしまったら、大変なことになりはしまいか。』
と、懸念した訳です。
そして、私は事前に皆に警告を発した。
「今回は本当に大当たりしてしまう可能性がある。が、その結果は怖いことになるやも・・・。」
当日。
私が集合場所に行くと、皆は大はしゃぎしていた。
「うらにわさんが言うには、今回は当たるかもしれんて!!」
『え・・・。』
人間、見たいものしか見ない、という。
私の警告は、自らが見たい部分しか顧みられていなかったようです。
それもまたよし。修羅の群れだし。
私は納得した。
さて、城藪稲荷があった長篠城といえば、
「落ちなかった城」
として、有名。
なにせ、500の兵で当時天下最強といわれた武田兵1万5千の攻撃に持ちこたえたのです。
そして、長篠城救援にやってきた織田・徳川連合軍と設楽原で武田軍は決戦に及び大敗。
この時点で、織田信長は天下統一の覇者として決定的になったと言われています。
長篠合戦後、奥三河に対する武田氏の脅威が去り長篠城の重要性が薄れて廃城となった際、長篠城の廃材を近隣の城が争って欲しがったとの話があります。
当時、建物の資材は貴重で使い回されるのが普通でした。
なので、廃城になれば使える物は転用されるのが普通なのですが、特に長篠城は『落ちなかった城』としてあまりにも有名だったため、希望者が殺到した、という訳です。
この城を守りぬいた奥平貞昌は、織田信長から「信」の字を貰い信昌と改名した上に、徳川家康の長女を嫁にし、大坂城代や京都所司代も勤め、江戸幕府では枢要の地位を占めつつ、結果的に10万石もの所領を得ます。徳川家臣の譜代大名は給料を安く抑えられており、多くても2万石、とかが多い中の10万石は異例。
>落ちない上に出世する城。
この城で受験祈願するとすごいのではないか。
うちの子ども達が受験年齢に達したら連れて行こうか、と、真剣に考えております。
こんな城と荼枳尼天。
これだけの材料が揃っていれば、皆が浮かれるのも無理は無い。
そして、今回、いつもとは違う結果をご報告することになります。
舞い踊る一堂。
そして気になる結果は。
驚愕の事実は、ジャンボ宝くじの結果発表後!
最後まで目が離せない長篠城編。いよいよスタートです!
(やっとかい!)
いつものように共同購入分の宝くじを購入する。
※当たりますように。
そして、争うように始まる個人分の購入。
※毎度毎度の修羅の群れ。三度目ともなると、もう風物詩です。
当たる可能性が高そうなところは巡れるだけ巡ろう、
と、我々が最初に向かった先は、
「中央構造線長篠露頭帯」
※こんたく長篠の向かい側にある看板。
さて、このシリーズでやたらと出てくる「中央構造線」。
日本を作ってる地層が大きく二つあって、その境目、と、言ったら意訳しすぎか。
で、この中央構造線が剥き出しになっている、露出している部分が「露頭帯」といわれるもので、なかなか無いものだそうです。
ちなみに長野の分杭峠にせよ、新城の百間滝にせよ、結局は中央構造線上にあることがそのパワーの源だという。そのため、中央構造線が露出している場所である「露頭帯」は、相当なパワーが出ていると言う話を聞いたことが、今回の訪問のきっかけだった。
これは祈らずにはいられない。
それに、長篠城を拝むにしても、まず大地の気を取り込んでからお参りしたほうがよかろう。
大地の気って、何やわからんけど。
足元の悪い道を抜けると、そこには足場が組んである。
積載400kg、大人6名まで、との記載が見える。我々は思わずM田氏を見た。
M田氏は0.1t。3桁クラブの会員です。
大人6名までという表記を信じても良いものか。一瞬迷う。しかし、女性陣が平均値を下げたためか、崩落はしませんでした。
で、実際の露頭帯はというと。
こんな感じ。
写真下が灰色っぽく、上が黄土色っぽいのがお解かりいただけますでしょうか。
領家帯だのなんだの帯だのとそれぞれ、名前がついているそうです。
正直、どっちがどっちだかよくわからない。とにかく、日本列島を構成する二つの地層がぶつかり合っている様が直視できる貴重な場所。ぐにゃりと曲がった地層を見ると相当な力が加わっている様が見て取れます。
と、なれば、
「その相当な力をオイラに分けてくれ!」
ドラゴンボールの孫悟空のように叫ぶ。
孫正義のようになりたいのだ。
孫つながり。
そして、恒例のなすりつけタイムが始まる。
※われもわれも。
※ハッスルハッスル~。踊り子さんにはお手を触れないようにお願いします。
そして気になる結果は!
やはり、褌じゃないから駄目なのかな?、という結果でした。
が、なにぶん珍しい場所だけに、長篠城へお越しの際は忘れずにお立ち寄りを。
ちなみに、注意深い方はお気づきかと。
中央露頭帯の看板は「馬場美濃守の墓」の案内表示とセットになっています。
(確認し忘れた方は、今すぐスクロールで確認を!)
実は、私、このお墓の位置を不思議に思っておりました。
馬場美濃守信房(信春)といえば武田四天王の筆頭にも位置する名将中の名将。
この方、長篠合戦で負けて討死してしまいますが、討死したと言われる場所は、もっと北側の出沢(すざわ)のあたりです。新城総合公園へ向かう途中に石碑があり、その石碑を更に北に行くと「馬場美濃守殿戦地」というものがあります。落ち行く武田勝頼を見届けて、静かに敵に頸を渡した最期の場所がそこだと言われています。(花の木公園の近く。)
その場所からここは結構遠い。
はて?何故こんな場所に墓が?と、不思議に思っていたのです。
すると、「奥三河の伝承 熊谷丘山遺稿集録」なる本とめぐり合いまして、この中に「二箇所になった馬場美濃守信房公の墓所」という話がありました。
明治時代に馬場美濃の子孫が訪れた際、地元の人があまり確認をせずに長篠城の馬場だった場所にあった墓に案内してしまった誤解の場所がある、という話があります。で、この墓の主についても出典を明らかにして述べています。
詳しくはこちら。
位置関係からして熊谷丘山説の方が正しいと思われますので、今回の宝くじ祈願はパスしました。
さて、その後、郷土の英雄鳥居強右衛門勝商が長篠合戦で叫んだと言われる場所へ。
強右衛門様、かなり城の中核本丸近くまで連れてこられています。
よくこんなところまで攻め込まれて耐えたな長篠城!
すごいぞ!
どの程度近いかは動画で確認!↓
縁起がいいらしい新城ー長篠城編1ー
さて、いよいよ城にやってきた我々。
果たしてどのような結果が待ち受けているのか!?
次回は意外な結果が!
乞う、ご期待!
「何故だ。」
我々は悩んだ。
鳳来寺山。
百間滝。
パワースポットだの、御利益ありそうな場所だの、を巡れば、きっと高額当選できるだろう、そう考えた我々は、恥も外聞も忘れ、様々な場所で心から祈りを捧げた。
結果は、いつもとちがう手ごたえを感じた。
・祈願中にサンリオファミリーコンサートの当選通知が来た。
・通常よりの当選確率よりも高めでスクラッチくじの千円が当選した。
・コンビにでくじをひいたら1等が当たった。
・祈願翌日のパチンコで大勝ちした。
・難度高めの仕事を無事にクリアした。
等々。
これはこれで確かにすごい。
しかし、我々は当初の
「宝くじ当たるといいね。」
から
「宝くじどうしても高額当選当てたい。」
になり
「はよ高額当選しろ。なぜ当たらん。」
になっていた。
そして、いつしか共同購入分よりも各人が自分の分として購入する宝くじの方が高額になっていった。
そして、皆で出資した宝くじよりも、自分で購入した宝くじの方を熱心に祈っている。
※証拠写真サンプル。
人の弱さ、を、まさに今、ブログを読んでいるあなたは目撃しているのだ。
我々の弱さを哀れんでくれ。
僕達はまだ億単位の当選番号を見ていない。
何かの歌詞のように、ちょっとかっこ良く言ってみた。
が、所詮、修羅の群れ。
実は既に高額当選を果たしているが、それを口にすると今まであったことがない親戚が増えることを懸念して、口外していない者がいるかもしれない。
そんな疑いの目でこっそりとお互いを見ているようになっていた。
今のところ、常日頃の言動を見る限り、そのような演技をしている者はなさそうであり、そう信じるしか、我々の切れそうな結び目をかろうじて繋ぐものはない。
修羅道に落ちた我々は戦い続けるしかない。
そんな我々が今回目指すのは、郷土が誇る『長篠城』。
※鳶ヶ巣砦から望む。画面中央の森が長篠城。
戦いの場として、これほどふさわしい場所があろうか。
なぜ長篠城が今回選ばれたのか。
きっかけは、あるメンバーの報告だった。
「新城市内で宝くじの高額当選を連発する売り場は、長篠城付近の『何か』を移転した時期と一致するらしい。」
「『何か』って何だ!」
我々は色めき立つより殺気立った。
太陽にほえろの聞き込みのシーンさながら、我々は人を訪ね歩き情報を収集した。
そして、それは判明した。
長篠城に祀られている稲荷様だという。
「それは『おとら狐』のことだな。」
「おとらきつね?」
地元でもなかなか知られていない『おとら狐』の伝承。
説明しよう。
お虎狐は、長篠城のお稲荷様のお使いとして住んでいました。
ある日、城中で何やら評定の最中でした。お虎狐は立ち聞きしていましたが、思わず身をのり出しましたので、切りつけられて左足に大けがをして、それ以来足をひきずるようになりました。
また、合戦がひどくなったとき、流れ弾にあたって片目になりました。
やがて戦いが終わると、お城は新城へ引っ越していしまいましたので、お虎狐はさびしくてたまりません。近くの家や畑でいたずらをして人々を困らせました。
お虎狐にとりつかれると、その人は長篠合戦の話をするということです。
(出典:「新城文化財案内」 新城市教育委員会)
なんだか、かわいそうな狐さんです。
この本では可愛らしく話がかいてありますが、結構霊力が強いという話を別の本で読んだことがあります。(残念ながら出典が探せない。)
どうもお稲荷さんというのは,城の守り神として祀られることが多いようです。
そこから派生した話なのかもしれませんが、今となっては、狐が先か稲荷が先かわからない。
おとら狐を祀る『城藪稲荷』は、長篠城の土塁上にあったのですが、古く荒れてきたので近くの大通寺に新しい稲荷を造って移転したという。その時期と市内の売り場で高額当選が出始めた時期が一致している、という一部の噂があるらしい。
「これは・・・。すぐにお参りに行かねば。」
皆が一斉に色めきだつ中、私には一つ気がかりな点があった。
お稲荷様って荼枳尼天(だきにてん)と同一視されるのではなかったか。
荼枳尼天。
※出典:ウィキペディア
荼枳尼天は、一代限りの栄華を与えるがその末路はよろしくない、という。
『源平盛衰記(げんぺいじょうすいき)』という話の中で、
平清盛が狩りをしていて追い詰められた狐が突然話し掛けて来ます。
「私を助けて、おまつりしてくれるなら、お前を出世させてやろう。」
その時、清盛はあまり裕福ではなく、
「荼枳尼天は一時の栄華を与えると言うが、まぁ、このままくすぶっているよりも、一時でも夢を見た方が良い。」
と、考えて狐を助けます。
すると清盛は、あっというまに出世して栄華を極めますが、さいごには源氏の叛乱により一族は滅んでしまいます。
その他、建武の親政で鎌倉幕府を倒して天皇親政を実現したものの、すぐに足利尊氏に叛乱を起こされて、結果的に天皇家が南北朝に分かれて争うことになったきっかけを作った後醍醐天皇も、その護持僧である文観が荼枳尼天を祀っていたと言われます。
ちなみに、この文観は相当強烈なエピソードを持ってます。
本筋から外れる上に、お子様にはとても読ませられない内容なので書きませんが、興味のある方は「文観 立川流(もんかん たちかわりゅう)」で検索。
立川談志の立川流(たてかわりゅう)とは全く別物ですので要注意。
ひょっとすると、近年の一発屋と呼ばれる方々も稲荷にお祈りしたのかもしれない。
荼枳尼天の威力はかように強烈、と、私の頭に刷り込まれていたため、
『そんなものに祈願をしてしまったら、大変なことになりはしまいか。』
と、懸念した訳です。
そして、私は事前に皆に警告を発した。
「今回は本当に大当たりしてしまう可能性がある。が、その結果は怖いことになるやも・・・。」
当日。
私が集合場所に行くと、皆は大はしゃぎしていた。
「うらにわさんが言うには、今回は当たるかもしれんて!!」
『え・・・。』
人間、見たいものしか見ない、という。
私の警告は、自らが見たい部分しか顧みられていなかったようです。
それもまたよし。修羅の群れだし。
私は納得した。
さて、城藪稲荷があった長篠城といえば、
「落ちなかった城」
として、有名。
なにせ、500の兵で当時天下最強といわれた武田兵1万5千の攻撃に持ちこたえたのです。
そして、長篠城救援にやってきた織田・徳川連合軍と設楽原で武田軍は決戦に及び大敗。
この時点で、織田信長は天下統一の覇者として決定的になったと言われています。
長篠合戦後、奥三河に対する武田氏の脅威が去り長篠城の重要性が薄れて廃城となった際、長篠城の廃材を近隣の城が争って欲しがったとの話があります。
当時、建物の資材は貴重で使い回されるのが普通でした。
なので、廃城になれば使える物は転用されるのが普通なのですが、特に長篠城は『落ちなかった城』としてあまりにも有名だったため、希望者が殺到した、という訳です。
この城を守りぬいた奥平貞昌は、織田信長から「信」の字を貰い信昌と改名した上に、徳川家康の長女を嫁にし、大坂城代や京都所司代も勤め、江戸幕府では枢要の地位を占めつつ、結果的に10万石もの所領を得ます。徳川家臣の譜代大名は給料を安く抑えられており、多くても2万石、とかが多い中の10万石は異例。
>落ちない上に出世する城。
この城で受験祈願するとすごいのではないか。
うちの子ども達が受験年齢に達したら連れて行こうか、と、真剣に考えております。
こんな城と荼枳尼天。
これだけの材料が揃っていれば、皆が浮かれるのも無理は無い。
そして、今回、いつもとは違う結果をご報告することになります。
舞い踊る一堂。
そして気になる結果は。
驚愕の事実は、ジャンボ宝くじの結果発表後!
最後まで目が離せない長篠城編。いよいよスタートです!
(やっとかい!)
いつものように共同購入分の宝くじを購入する。
※当たりますように。
そして、争うように始まる個人分の購入。
※毎度毎度の修羅の群れ。三度目ともなると、もう風物詩です。
当たる可能性が高そうなところは巡れるだけ巡ろう、
と、我々が最初に向かった先は、
「中央構造線長篠露頭帯」
※こんたく長篠の向かい側にある看板。
さて、このシリーズでやたらと出てくる「中央構造線」。
日本を作ってる地層が大きく二つあって、その境目、と、言ったら意訳しすぎか。
で、この中央構造線が剥き出しになっている、露出している部分が「露頭帯」といわれるもので、なかなか無いものだそうです。
ちなみに長野の分杭峠にせよ、新城の百間滝にせよ、結局は中央構造線上にあることがそのパワーの源だという。そのため、中央構造線が露出している場所である「露頭帯」は、相当なパワーが出ていると言う話を聞いたことが、今回の訪問のきっかけだった。
これは祈らずにはいられない。
それに、長篠城を拝むにしても、まず大地の気を取り込んでからお参りしたほうがよかろう。
大地の気って、何やわからんけど。
足元の悪い道を抜けると、そこには足場が組んである。
積載400kg、大人6名まで、との記載が見える。我々は思わずM田氏を見た。
M田氏は0.1t。3桁クラブの会員です。
大人6名までという表記を信じても良いものか。一瞬迷う。しかし、女性陣が平均値を下げたためか、崩落はしませんでした。
で、実際の露頭帯はというと。
こんな感じ。
写真下が灰色っぽく、上が黄土色っぽいのがお解かりいただけますでしょうか。
領家帯だのなんだの帯だのとそれぞれ、名前がついているそうです。
正直、どっちがどっちだかよくわからない。とにかく、日本列島を構成する二つの地層がぶつかり合っている様が直視できる貴重な場所。ぐにゃりと曲がった地層を見ると相当な力が加わっている様が見て取れます。
と、なれば、
「その相当な力をオイラに分けてくれ!」
ドラゴンボールの孫悟空のように叫ぶ。
孫正義のようになりたいのだ。
孫つながり。
そして、恒例のなすりつけタイムが始まる。
※われもわれも。
※ハッスルハッスル~。踊り子さんにはお手を触れないようにお願いします。
そして気になる結果は!
やはり、褌じゃないから駄目なのかな?、という結果でした。
が、なにぶん珍しい場所だけに、長篠城へお越しの際は忘れずにお立ち寄りを。
ちなみに、注意深い方はお気づきかと。
中央露頭帯の看板は「馬場美濃守の墓」の案内表示とセットになっています。
(確認し忘れた方は、今すぐスクロールで確認を!)
実は、私、このお墓の位置を不思議に思っておりました。
馬場美濃守信房(信春)といえば武田四天王の筆頭にも位置する名将中の名将。
この方、長篠合戦で負けて討死してしまいますが、討死したと言われる場所は、もっと北側の出沢(すざわ)のあたりです。新城総合公園へ向かう途中に石碑があり、その石碑を更に北に行くと「馬場美濃守殿戦地」というものがあります。落ち行く武田勝頼を見届けて、静かに敵に頸を渡した最期の場所がそこだと言われています。(花の木公園の近く。)
その場所からここは結構遠い。
はて?何故こんな場所に墓が?と、不思議に思っていたのです。
すると、「奥三河の伝承 熊谷丘山遺稿集録」なる本とめぐり合いまして、この中に「二箇所になった馬場美濃守信房公の墓所」という話がありました。
明治時代に馬場美濃の子孫が訪れた際、地元の人があまり確認をせずに長篠城の馬場だった場所にあった墓に案内してしまった誤解の場所がある、という話があります。で、この墓の主についても出典を明らかにして述べています。
詳しくはこちら。
位置関係からして熊谷丘山説の方が正しいと思われますので、今回の宝くじ祈願はパスしました。
さて、その後、郷土の英雄鳥居強右衛門勝商が長篠合戦で叫んだと言われる場所へ。
強右衛門様、かなり城の中核本丸近くまで連れてこられています。
よくこんなところまで攻め込まれて耐えたな長篠城!
すごいぞ!
どの程度近いかは動画で確認!↓
縁起がいいらしい新城ー長篠城編1ー
さて、いよいよ城にやってきた我々。
果たしてどのような結果が待ち受けているのか!?
次回は意外な結果が!
乞う、ご期待!