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入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

      ’24年「秋」(6)

2024年08月10日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 われらが列島には「天災は忘れたころにやってくる」どころか「忘れぬうちにやってくる」ようになった。今回の「日向灘地震」も震度6弱というから、かなりの規模だ。
 もしも「南海トラフ地震」が起きれば、飯田や伊那など南信、つまり長野県の南部にも被害の出ることが心配されている。駒ヶ根も南部ではそれなりの市のはずだが聞き漏らしたのか、ともかく天竜川流域である。主のいないわが陋屋も、今度は無事では済まないかも知れない。
 
 入笠も牧場を含め一部は伊那市に入る。大規模地震が発生すれば山崩れなどが起きて、現在の小黒川林道のように通行ができなくなる可能性もある。小屋の西側は急な斜面で崩落の危険もないわけではないが、まず大丈夫だとみている。
 小屋は壊れても、寝ていてトタン屋根の下敷きになるようなことはないとする理由は、テントに毛の生えたような簡素極まりない建物であるからで、そのことが幸いするだろう。うーん、「テントに毛の生えた」は言い過ぎだ。こうして世話になっているのだから。
 まぁ、起きてみなければ分からないが、里にいるよりか安心だということにしておく。

 というように、どうでもいいような自分のことをまず考える。しかし、実際に南海トラフ地震が起きたら、それこそ未曾有の事態になるだろう。
 この漢字で思い出すあの人は時々テレビで見かけるが、相変わらず政界の実力者ぶった姿に、つい頼もしさよりも不安を感じてしまう。ご自身はどう考えておられるのか、タミクサには伝わってこない。

 きょうは伊那市と富士見の合同企画で入笠山を周回する登山が行われる。それに、伊那市の50年後の森を想定した市長肝いりの森林政策を支援する「ミドリナ委員会」の会員も来ることになっている。
 後者については目的がよく呑み込めず、問い合わせに対してあんな気の乗らない、非協力的な返事をしてしまい反省している。しかし、テイ沢へ行くことぐらいは地図を見て調べれば案内人など要らないし、そのくらいのことは自分たちでしてほしい。
 あの時は作業道に埋没しかけたの大きな石に手を焼いていたのだが、どうせ来れば何もしないではいられない、もっと愛想よくしなければ。不評を挽回できるだろうか。

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 本日はこの辺で。明日は沈黙します。

 
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      ’24年「秋」(5)

2024年08月09日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 午前5時、気温15度、晴れ。東の空に珍しく朝焼けが見える。日中の天気はまずまずのようだが、夜になって一雨来る可能性が20%という本日の予報である。
 一応この時季「天気の急変」を織り込んだのだろうが20%、この解釈は難しい。昨日の「日向灘地震」に続き出された「南海トラフ地震」に対する「注意」はさらにもっと難しい。今年早々の能登半島地震の例もあり、気象庁や専門家と言われる人々もかなり苦しいだろう。

 霧が深くなってきた。囲い罠の中の牛の活動が活発になってきた。昨日の中間検査に合わせ上がってきた牛の中で、すでに入牧している幾頭かの乳牛と畜主が同じだという事情で、1頭だけだが和牛を乳牛のいる囲いの中に入れた。どうもこの牛の気紛れな動きが他の牛たちを少々翻弄させているようだ。
 だからといって今囲いを開けてしまえば、昨日入牧した子供同然の牛たちは新しい環境に馴化していないから何をしでかすかわからない。2,3日は全頭を安全な囲いの中に置いておくしかないだろう。

 それにしてもあの牛たちは生後1年かそこらで妊娠させられ、約10か月後(280日)には子を産む。人間では考えられないが、それでも母性はそれなりに発揮されて、自身が親であることが分かり、充分にそれを認識した行動を見せる。
 生まれた子供も、また親牛と同じ道をたどる。繁殖牛になれれば寿命は延びるが、そうでなければ、1頭の牛の牛乳が人間に役立てられる間は短く、3度も出産を繰り返せば役目は終わる。
 
 つい乳牛と呼んでしまっているが、そういう牛がいるわけではない。ホルスタインもジャージーも品種改良などを経て、本来は子供を育てるはずの乳を人間が、悪く言えば横取りしているのである。
 これを呟いている者も、いくら普段牛肉は食べないようにしていても、それに充分加担しているわけで、牛にとっては「罪深き者」の一人になるだろう。

 昨日、陣中見舞いに来てくれたTDS君から"教育的指導"を受けてしまった。題名を「秋」にするなら「立秋」を待ってからすべきだと。長年短歌をやる身内の者からも同じことを言われていた。確かにその方が良かったが、うーん、どうもこういうことに疎くていけない。

 ミズカミさん、折角ですがあれだけでは予約を受けることはできません。最低でも名前、携帯電話番号をお知らせください。宿泊は小屋でなく、テント泊となります。

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 本日はこの辺で。


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      ’24年「秋」(4)

2024年08月08日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 午前5時、それまでは動き出さないでいた牛たちが活動を始め、彼女たちの長い1日が始まった。見慣れた風景ながら、それを眺めるこちらの気持ちが自然と和む。薄い霧が流れる朝で、天気はまずまずのようだ。そのうち、権兵衛山も白い靄を払い、姿を見せるだろう。
 
 きょうは中間検査の日であり、すでに昨日、乳牛は囲い罠の中に、肉牛の黒毛牛は追い上げ坂に誘導してある。これができているか否かで、検査の進行に大きく影響する。後はパドックに付随する囲い柵の中に全頭を入れてしまえば、半分終わったようなもの、検査は午前中には終了するだろう。畜産課の職員は8時到着を目標に来ると連絡が届いている。
 放牧頭数が200頭近かった10数年前は、2か所の検査場に牛を集めるだけでも1日かかった。もう、あんな時代は戻ってこない気がする。

 牛の世話をし、作業道の整備をし、キャンプ場や小屋に来訪者を受け入れる。それに、きょうは中間検査だけでなく、一昨日から準備の始まった撮影の本番があり、数十人が来牧する。
 と、呟けば、さぞかし多忙の日々と思うかも知れない。確かに、一昨日の遭難騒ぎの時のように焦ることもあれば、大きな声を出すこともある。
 しかし、実際はそれほどとは思わない。今朝のような静かな朝を迎えることができれば、その印象が栄養剤のようにしばらくは効く。不足すれば、また新たに栄養剤を探し、補給すればいい。待望の秋を迎え、ここには無料の特効薬がいくらでもある。
 
 京都から来て1週間ここに滞在したKさんは、帰る前日に水場の掃除をしてくれた。気付いてはいたが今朝、その誠意ある丁寧な仕事に感動した。これも有難くも強力な栄養剤だ。
 それに反して、悪薬も届く。世界には紛争が絶えない。個人の性格が簡単には変えられないように、人類も悪い性格をあまり変えることはできないような気がする。
 平和な祭典とか言われるオリンピックに熱狂する人々がいれば、紛争によって生命を落とす人も絶えない。賢者は歴史から学ぶと言われるが、それに刻まれる悲劇の方がとめどなく続く。
 
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      ’24年「秋」(3)

2024年08月07日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

     戦い済んで、翌朝

 昨日も凄い夕立が来た。雷鳴、土砂降りの雨。そんな中、道路作業を中止して管理棟へ戻ってみれば、高座岩へ行った親子6人が帰ってきてない。その中には未就学の子供もいたはずだし、引率していたのは2名の母親である。
 天気の予測を充分にしないまま高座岩を勧めたりしたことを後悔しつつ、充分な準備もそこそこにとりあえず、時間的には御所平峠まで行けば出会えるだろうと考え、出発した。その前に、もしかしたら戻っているかと、念のためテントに声をかけてみたが返答はなかった。
 
 歩き慣れた山道ではあっても、普段とは状況が違うから気が急く。すぐに雨合羽を通して肌着しか着ていない身体に雨が沁みてくる。雷鳴はなり続ける。誰もがさぞかし心細い思いをしているだろうと思うと、峠までの道が遠い。
 期待は外れ、峠に着いても人影はなく、仕方なくもう少し行くことにした。

 その間気になっていたことがあった。と言うのは、もしかしたら6人はテントの中にいたのではないかという疑念である。雷鳴と激しい雨音で互いの声が聞こえなかったかも知れず、でなければ、高座岩から戻ってくる一行とそろそろ出会わなければおかしいという思いが膨らんできた。
 高見石まで行けばそこから先が見通せると期待し、もしそこまで行っても出会わなければ一度引き返すことにした。テントにいた可能性が一段と高まり、もしいなければ幼い子供たち4名と母親2名、こちらの対応、準備が必要になる。

 テントの中は空っぽだった。まだ6人は山の中にいる、事態は深刻になった。管理棟に戻って、着ているものと雨具を別のと取り換え、ヘッドライトや万一に備え子供を背負う場合を考えロープも用意した。
 小屋のO氏に後を頼み出掛けようとしたら「帰ってきた」という声。びしょ濡れの子供たちは舗装路の上を流れ下る雨水を川に見立てて、腹ばいになって泳ぐ真似をする者までいる。親もそれほど緊迫したふうを見せない。
 呆れつつも、とにかく子供たちを管理人室の隣の10畳二部屋に入れ、ストーブを点け、濡れたものを乾かすように指示した。

 その夜、露天風呂では元気な声がして、水中眼鏡とシュノーケルを持ち込み大喜びをしている子供たちがいた。彼ら彼女らは自由奔放で可愛い。母親2名はそれを寛大な態度で見守る。
 しかし、親は地図を読むどころか、見方さえ知らなかった。無知から来る怖さ知らずでなければいいがと、今後を案じた。

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      ’24年「秋」(2)

2024年08月06日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

 
 きょうは、この時間(7時半)としては気温が高く、すでに25度に達している。もしかすれば、この独り言の題名が「秋」になって早々、残夏はそれを嗤って30度を越すかも知れない。
 昨夜、一昨夜とかなり激しく雨が降り続き、昨日作業道に敷いた折角の砕石が流されたかも知れないと案じている。あの降り方だと、やはり牛たちのことやテイ沢の丸太橋も気になるし、ひどい雨音を聞きながら眠れぬまま長い時を悶々とした。

 心配していても仕方ないから牧区回りをしてきた。幸い土質の関係でか道に残る雨は心配していたほどではなく、砕石は流されず、しかしさらなる追加を催促しているように見えた。
 第2牧区に約30頭、第1牧区には50頭近くの鹿がいて、その中には角の伸びたかなりの頭数の雄鹿の一団も混ざっていた。1頭の雄鹿が多数の雌鹿を従えているのではない、雄鹿の一団がさらに多数の雌鹿を率いているのである。
 行政は実態も知らずに捕獲頭数が目標に達したか否かで一喜一憂する。あの有様を目にしたらどう思うだろうか。

 第1牧区の入り口で谷の反対側を見ると、第4牧区のかなり上部に白い点になって乳牛の群れが見えた。あの狂ったような雨に、昨夜のうちに少しでも雨よけできそうな林の方に移っていたのかも知れない。
 第1牧区の和牛軍団は御所平にも一番奥の「舞台」や「どん底」にもいなかった。残るは雷伝様しかないと、滑る草付の轍の跡を登っていったら、すでに車の音を聞いていたらしく、黒い和牛たちが塩場に集合していた。
 和牛は乳牛よりも強いと思っていて、今年はそれを裏切られた格好になったが、それでもあの姿を見ているとやはり、調教に従う和牛に親近感や、頼もしさやを覚えてしまう。当分、すき焼きは鳥で済ますしかない。

 とりあえずキャンプ場も牛たちも、そして昨日の作業の現場も大過なかった。きょうは小屋に6名が入るし、キャンプの予約もある。48畳の室内の清掃はもう済ませてあるし、この天気ならキャンプ場も問題ない。そうだ、簡易トイレが4台上がってくることにもなっているし、他にもいろいろある。
 しかし、今一番やらなければ、ではなく、やりたいことは、作業道の整備である。4か所に仮置きした砕石の山は2か所の物は昨日のうちにほぼ作業済みながら、2立米ではやはり足りない、もう4立米は欲しい。
 そうなれば・・・、どうなるか。入笠牧場の本当の実力が分かるだろう、あの人らにも、あの人にも

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 本日はこの辺で。

 


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