入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

    ’16年「晩夏」 (9)

2016年08月14日 | 入笠にまつわる歴史


 牛の朝は早い。日が昇りかけるとともに草を食み、反芻の時間以外は、日の暮れるまで一日中食べ続ける。以前にも書いたが、一日に消費する草の量は体重のおよそ12パーセントと言われているから、例えば400キロの牛なら48キロの草に相当する。その牛たちも、あと1カ月半もすれば、秋風の中山を下る。
 牛の寿命も乳牛は近年さらに短くなり、2回から3回も子牛を産めばそれで役目は終わると聞く。ということは、長くても4、5年くらいか。そう思えば、一心に草を食む姿がまた違って見えてくる。

 伊那市の白鳥市長が発信する「たき火通信」を見たという人から反響が寄せられ、それについて案内役をした者としての感想を述べよというコメントを頂戴した。
 市長ともなれば忙しい日程を割いて来てくれたわけで、まずそれだけでも有難かった。また入笠の魅力についてもその語るところは詳細適切、特に草花については詳しかった。「日本一の星空」と言ってもらえたのも、我が意を得たりの気がした。もっと欲を言えば、もう少し周囲の映像を流してもらえたらと思ったが、これは時間的な制約もあったから仕方ない。
 もう一つ仕方のないことを言えば、「大阿原」がいつの間にか「大阿原湿原」として定着しつつあることだ。それに加え、入笠山の表登山口が、これまた今や「御所平峠」もしくは「御所平」として通用しつつあることだ。
 このブログでは大阿原は「ヒルデエラ」と書き、括弧で囲って「大阿原」としている。「阿原」は湿原を意味するから、「大阿原湿原」とはしない。また、「御所平」は、なんとなく聞こえの良い地名だからと、最近になって勝手に盗用されたものと思っていたが、神足勝記の研究家であるO沢氏によれば、「昭和6年〈1931年〉刊行の本で現在地を『五所平』と命名している事実です」と指摘された。しかし、元来の御所平や峠がそう呼ばれるようになったのは、1300年代という遠い昔の史実に依る、とだけは言っておきたい。
 確かに誰かがそれとなく耳にした地名を思い違いして、いつの間にかそっちが”本家”となってしまうということはあろう。加えて、正しい御所平峠と比べ、”偽(ニセ)”の御所平峠の方が峠としてその名にふさわしいかも知れない。また、本家・御所平峠を訪れる人と、偽・御所平峠を訪れる人の数を比べたら全く喧嘩にならない。やがては偽が本家になってしまう可能性が高い。
 しかしそれでも、このような地名の変遷については、今日はこれ以上書かないが、複雑な思いを一人で捨て切れずにいる。

 かんと氏やTBI氏、T永氏も去り、キャンプ場には一組だけ。今夜は4日ぶりに下界へ下りる。美味い物が食べたい。
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