入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

   ’18年「初夏」 (33)

2018年06月18日 | 入笠にまつわる歴史


   
   父の日や ブリキの猿が 手を叩く  ― 逍遊

 昨日は父の日とか。友人逍遊君の古い句。少し苦い。
 
 本日の牧場、午前8時45分の天候は雨、気温10度C。雨はその後も降ったり止んだりを繰り返した。霧が深く、牛の確認に手間取ったが、全頭が無事。

 また、「御所平」についてだが、確かに、昭和の初期の諏訪大社に関する文書に、現在の入笠山登山口の辺りを「御所平」と表記してあったのを見たことがある。
 しかし、地形、物見台跡、口碑などからして、やはり「御所平」の場所は伊那側に少し下った、牧場南側の一部を含む一帯だとするのが妥当だと思う。
 地形に関しては、潜伏場所である以上はできるだけ人の目に触れない山中を選ぶはずで、入笠山登山口近辺では火を焚いたりすれば、下からすぐに目に付いてしまう。それに対して牧場の近くの「御所平」は、周囲を山や森に囲まれていて潜伏するに都合よく、物見台だったと思われる遺構らしきも残っている。
 また、芝平の住民だった人たちは、身を隠していた当人の名前は忘れても、そういう人たちがいたということは、現在まで伝わっていて知っている。「芝平史」には「諏訪盛高は、亀寿をつれて、芝平の山中御所平にその隠遁の地を求めた」とある。「亀寿」とは北条高時の次男時行の幼名である。
 一昨年、6月28日の独り言で紹介したが、明治時代、初代御料局測量課長神足(こうたり)が残した記録に出てくる「御所平」とも、場所は一致する。続いて「仏平」の地名も登場し、かれらはここから「雨請岳(入笠山)」に登っている。

 こんなことに何故拘るかと言えば、今や入笠を紹介する印刷物のほとんどに、御所平の場所が入笠山登山口辺りを指すようになってしまっている。このままだと、それが定着してしまいそうだから、それでは困る。多くの人の苦労や努力が無になってしまう。富士見側でもこのことを理解してくれている人はいるが、肝心の伊那側がまったく暖簾にナントヤラ・・・。
 こうなれば「スズラン峠」でも「富士見峠」でもいいが、ひとつ、峠の名前を公募してみたらどうだろうか。

 FAXでも予約や問い合わせに対応できるようになりました。ご利用ください。 入笠牧場の営業案内は「入笠牧場の山小屋&キャンプ場(1)」
「同(2)」をご覧ください。
 

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