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入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

    ’17年「冬ごもり」 (12)

2017年01月14日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 きょうの写真も昨日行った入野谷(いりのや)を流れる三峰川を撮ったもの。この上流に「杉島」という山村があり、こんな山の中にあるにもかかわらず、なぜか有名なドーナツ屋があった。その少し手前で三峰川を渡り、さらに右手の山側を登っていくと「浦」という集落がある。ここは平家の落人だと言われてるが、人里離れた山奥にあり、口碑の言うほど古い時代であれば今より余程辺境・奥地だったろう。古い立派な家が残っていることなど、訪ねてみれば少なくとも、平家に縁(ゆかり)のあった人たちの隠れ里だったと信じたい気持ちにはなる。
それにしてもその平家にまつわる人たちは、熊野灘を渡り、今年の大河ドラマの舞台である井伊谷辺りを北上して、山を越え、谷を越えしてこの山奥に至ったらしい。しかしその途中にいくらでも、隠棲するにふさわしい辺境の地はあったはずだと思うのだが、それがなぜこの地、浦でなければならなかったのかを考えると不思議だ。確か、後醍醐天皇の皇子・宗良親王も同じような経路を経て、赤石山脈の麓の大鹿村に落ち着いたはずだ。
 浦はそういう言われのある古い里だが、かつての住民の多くはすでに住んでいない。この地もやがて廃村になり、人々から忘れられていくだろうと思っていた。ところが一昨年だったか、塩尻にある農業試験場に古い蕎麦の種が残っていることが分かり、それをを育ててみる土地として浦の地が選ばれた。昨年蕎麦の実は植えられて、収穫もされたと聞く。味も悪くはなかったらしい。
 伊那市は地域活性化の一環として伊那を、「信州そば誕生の地」として売り出さんと様々な試みを行っている。他の地域の人、例えば木曽とか先日行った戸隠の人たちなどはどう思うかは知らないが、もしこんなふうにして隠れ里が甦ると聞けば喜びたい。

 今後もこうした山間の土地の過疎化は進み、地域を特色付けていた風物や時代の名残は消えていくだろう。正月の松飾さえも怠った者が、古い歴史や習俗に対していっぱしの感慨などを抱くなど、おこがましい限りではあるのだが。

昨日のブログで、「鹿嶺高原」の文字が誤っていました。赤面して訂正いたします。

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