入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

    ’17年「冬ごもり」 (15)

2017年01月17日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 火山峠を伊那市側から駒ケ根市へと1キロも下らないうちに、左手に「芭蕉の松」と呼ばれる赤松の古木がある。芭蕉が訪れたわけでも、この地を意識して吟じた句でもないが、芭蕉の句碑がこの松の木の根元に置かれたことからこう呼ばれるようになったと案内板にある。井月の句碑もその奥に見える。そして振り返ると、雪の田が下方に続いている。恐らく、虫の息の井月が発見されたのはもう少し下だろう。

 
  暗機夜毛(くらきよも) 花能(の)明かりや 西乃旅
 

 それからがすごい話になる。その身は、面倒を嫌った村人により火山峠を越え、富県(とみがた)の南福地に放置されたらしい。井月のことを、この人たちもきっと知っていたのではないだろうか。幸い、親交のあった竹松竹風の知るところとなり、彼の手配で人を頼み、井月は隣村の河南村に住む六波羅霞松宅に担ぎ込まれた。霞松は先ごろ井月が養子縁組したことを知っていたため、そこでここでもまた人を頼み、彼らの手で三峰川を渡り、美すゞ末広の太田窪にある入籍先の塩原梅関宅にようやく運び込まれた。やっとのことで瀕死の井月は、ここで最後の年を越した。
 この距離、およそ10キロほどか。当時のこと、戸板に乗せて何人かの人の手で運んだらしい。実際の地理を知らないと分かるまいが、ひと口に10キロ、この距離は想像する以上に長くて遠い。峠を越え山道を通り、川まで渡り・・・。
 試みに、これを書くのと並行して井月の墓から火山峠を越え、前述の芭蕉の松までを最も合理的と思われる経路を選び、実際に運転してオドメーターで計ってみた。13キロあった。

 

 久しぶりに井月の墓を訪れたら驚いたことに、土の中に埋もれかけていた墓は、コンクリートの基礎の上に置かれていた。井月を慕う人たちのしたことだろうが酒瓶や、ビール缶が乱雑に供えられていた。気持ちが分からないわけではないが、酒やビールを注ぐなり飲むなりしたら、容器は持ち帰るべきだと思った。かの山頭火も井月の墓前に額ずき「お墓したしくお酒をそそぐ」などという句を残しているが、実際には酒を持っていって、そうしたわけではない。
 
 市内を行けばあちこちに井月の句碑が見付かる。ほかいびと(=乞食)とまで言われたいち俳人の生涯を思えば、今ごろになって異常破格の扱いという気がしないでもない。
 最後に昨日、「芥川龍之介をして『入神に至る』云々」とつい書いてしまったが、正しくは「入神と称するを妨げない」。訂正します。
コメント
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