↑金杉城があった場所は個人所有の畑と土塁の一部
晴天で暑い10月6日(木)、「金杉城」と「高根城」を探すべき訪れた。
まず最初に高根城を探したが場所が判らず、今回は断念し後日再捜索をすることにした。
で、次に「金杉城」が合ったと言われる金杉に向かった。
どうやら船橋運動公園の裏道を金杉方面らしい。この道は船橋歩こう会の「運動公園イヤーラウンドコース」上にあり、いつも通っていたがまさかこの辺りが金杉城があったらしいのだ。改めて歩いてみたが城趾の形跡はまったく見当たらなかった。先人がいう辺りを探索したが畑と高台の小山しかない。どこに城があったのか定かでなかった。
はっきりしなかったので10月7日(金)、再度トライし、足で探すため今回は全ウォーキング体制で臨んだ。昨日も近所まで辿り着いていたのだが特定できなかった。よって近所の方(ラッキーなことに元校長先生だった)に尋ねた結果、場所が判った。
金杉城があった辺りは10年ほど前、宅地開発のため土塁は壊され、畑の部分にのみ土塁が残っている。そのとき船橋市の調査が行われ、出土をしている。また畑の中央の土塁付近には石碑が3つ残っているという。写真は承諾を得て撮影した。
金杉城は金杉交差点から近くだが存在の形跡は外見上全く判らないし、尋ねてみて初めて判った。詳しいことは不明だが城と言っても中世の城は砦、館的なものではなかろうか。いずれにしても歴史のミステリーで面白い。
↑一部残っている金杉城の土塁
↑中央の盛り上がったところには石碑が残っているらしい。
↑船橋運動公園の裏道辺りから見た高台が金杉城があったところ
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