↑近江・湖東三山の1つ「百済寺」の参詣道からみる紅葉
11月25日(金)午前、近江・湖東三山の1つである「百済寺」の紅葉を見に出掛けた。偶々、朝のNHKローカル放送で百済寺の紅葉を紹介していたからだ。
「百済寺」は滋賀県東近江市(合併前の愛東町地域)にあり、前回訪問したのはいつだったか記憶が定かでない。いつでも行けることもあってか少なくとも何十年は来ていないだろう。昔のイメージは鄙びたお寺さんだったが今日では近江・湖東三山の1つとして知られるようになり、観光寺に変貌していた。紅葉シーズンともあって訪れる人も多かった。今回は時間がなかったので本堂は訪られず参道付近からの紅葉を観賞だけだったが久しぶりの百済寺は綺麗だった。
百済寺は、「金剛輪寺、西明寺」と共に天台宗の古刹で湖東三山と称されている。聖徳太子により創建され、重厚な石垣に覆われた山城の趣のある寺院で、三山の中でも歴史が最も古く謎に満ちた寺院でもある。
百済寺は、平安時代から中世にかけて、かなりの規模をもった寺院だったようだが、明応7年(1498年)の火災で全焼し、その数年後の文亀3年(1503年)の兵火でも焼け、この2回の火災で創建以来の建物ばかりでなく、仏像、寺宝、記録類なども大方焼けてしまった。さらに天正元年(1573年)には織田信長の焼き討ちに遭い、またも全焼している。当時、この地に勢力をもっていた佐々木氏の一族六角氏は、観音寺城(日本100名城)の支城である鯰江城(なまずえじょう)を百済寺の近くに築いていた。信長は自分と敵対していた佐々木氏に味方するものとして、百済寺を焼き討ちした。本堂をはじめ現在の建物は近世以降の再興である。(Wikipediaより抜粋)
↑城の趣を感じさせる石垣