「ウォーキング三昧」in 滋賀

「ウォーキング三昧」は2013年3月以来発信して来ましたが2019年5月1日、「スローライフ滋賀」に移行しました。

南房総ぶらり一人ウォーキング 館山航空隊及び沖ノ島ウオーク

2013年05月27日 05時39分38秒 | 戦争遺跡

昨日(5/26)は「海上自衛隊館山航空基地」と基地の崎の「沖ノ島」を目指してウオーキングした。先週の日曜日には館山城に登り眼下に基地があることが分かっていたので館山の北条海岸を一路西に向かってウオークした。自宅から距離にして4km程度のところにある。
館山は東京湾の要塞として明治初めから砲台が築かれ館山航空隊は1930年(昭和5年)、海軍の5番目の実戦航空部隊として創設された。しかし太平洋戦争時にも直接館山基地から出撃したことはなく艦載機の訓練基地であったと言う。
現在の館山航空基地司令部は今でも使われている。戦時中は滑走路もあったようだが現在の基地には滑走路はなく艦載用のヘリ基地となっている。基地の中には勿論入れないが入口からの撮影は問題ない。毎年10月から11月に基地の一般公開がある。
基地の西の先端に沖ノ島があるが基地一周は許可されておらず沖ノ島で折り返すことになる。
沖ノ島は周囲1km程度の小島であるが現在は砂で繋がっており徒歩で入れる。釣り、シュノーケルなどを楽しむ人が多く居る。島内は迷路のような道があり島内を廻ることができる。
今回初めて知ったが戦後米軍が上陸用艇で上陸したのはこの沖ノ島だったのだ。
航空基地と沖ノ島からの帰路、「赤山地下壕跡」の標識があった。日曜も地下壕に入れることが分かったので200円を支払いヘルメットと懐中電灯を借り入った。地下壕総延長1.6kmもあるが250mだけ公開されている。中は薄暗く迷路のようになっており真っ暗なところもある。航空隊のために終戦前に地下壕を掘ったようだ。確かに地下壕は基地から直ぐのところにある。
館山にはこんなところに戦時の歴史が残っている。私は戦史が好きなので館山の戦争遺跡を勉強し関係のあったところをウォーキングしたいと思う。

↑航空基地のゲート

↑フェンス越しに見る航空基地

↑沖ノ島を目指す(戦後米軍が日本本土上陸したのは実は沖ノ島からだった)

↑途中、修理中の大きな船

↑沖ノ島全景

↑沖ノ島公園

↑沖ノ島入口(砂地で繋がっている)

↑沖ノ島の島内説明

↑沖ノ島から見た基地

↑沖ノ島にある宇賀神社

↑迷路のような島内の道

↑波で浸食された島内の岸

↑浸食された岸壁

↑渚の駅から出港した海中遊覧船は沖ノ島まで来ていた

↑沖ノ島前の航空基地のフェンス(基地を周回することはできない)