農文館2

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絵を観て(戦争を)考える―寄せられた感想

2014-08-21 10:03:27 | 日記
 原爆投下、敗戦の日を迎え、康花美術館では彼女の残した戦争に関連した作品を展示していますが、今のところ来館者は少なく、予想以上に期待外れの日々が続いています。今回の企画展「食と戦場と人間」の動機は、もちろん、上述の今と言う時期的なことにもよりますが、その背景には、特定秘密保護法、武器輸出三原則の解禁、そして集団的自衛権の閣議決定と尖閣諸島問題など、昨今の情勢に、杞憂とは思えないほどにキナ臭い臭いが鼻にまとわりついていたからでもありました。

 多少の学問をし、多少の人生経験を加味していえることは、人は必ずしも理性的には判断し行動しえないことです。人は誰しも常軌を逸することがあるということです。第一次世界大戦が、セルビアの青年によるオーストリア皇太子の暗殺から世界中に広がったことは、歴史を学んでいるものにとっては周知のとおりです。残念ながら、原爆投下はもとより、日中戦争、日米戦争すらも知らない世代が、日本では大量に生み出されています。良くも悪くも過去を「水に流す」国民性からすれば避けえないことなのでしょうが、近年流行っている「自虐史観」批判とやらもそれに拍車をかけているのかもしれません。

 未来志向、大いに結構。しかし歴史に学ぶことが不得手とするならば、せめて戦争と言うものがどういうものであるのか、考え想像するくらいは、戦争をできる国に方向転換しつつある国の民として当然の義務ではあるように思います。幸か不幸か、戦争を知らない世代に育った画家康花は、両親の話に加えて、活字や映像を通じて、戦争について考え想像をめぐらしました。それは身近な肉親の死と常に死に至るであろうと思っていた己の病を抱えていたがゆえに、死そのものを大量に作り出す戦争に無関心ではいられなかったことにもよるのでしょう。それは正に「幻想か 現実か」とタイトルにも掲げたように、画家康花の頭と心の中から描き出されたものでした。

 先日、小学校6年生のお子さんと一緒に来られたお父さんは、帰りしな、戦争を知らない自分と子供にとって、非常に有意義な時間を過ごすことができました、「また来ます」と言って美術館を後にされました。

 もうひと方は、後日ブログに寄せられた感想です。「康花さんの心と頭の中に居るような感覚になり、何度も何度も作品に見入ってしまいました。特に食3という作品が印象的で、私には人間が大自然に食われ、戦い乃至人間の終幕を迎えたような穏やかな画にも見えました。また作品の入れ替えがありましたら是非伺いたいと思います。有難うございました。」T.R.

 戦争は体験しなくても「知る」ことはできます。もちろんその「知る」程度は人それぞれですが、想像、考えることによってその程度を広げることはできます。画家康花も戦争を知らない世代でした。その戦争を知らない世代が描いた作品とともに一緒に想像、考えてみませんか。もとより展示してある作品すべてが戦争に関するものばかりではありません。また、戦争に関していると思っている作品も、作者に直に聞いたわけではありませんから推測の域を出ない作品もあります。確かなことは、田舎の風景を除いて、彼女の作品のほとんどが考えさせる作品であることは間違いないことです。ご来館をお待ちしています。