農文館2

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

『原発はどのように壊れるか―金属の基本から』

2018-07-01 10:31:19 | 日記
  金属に学ぶ、『原発はどのように壊れるか―金属の基本から考える』(小岩昌宏・井野博満著)―所感       須藤正親


本書を読み始めて最初に頭に浮かび、最後まで頭を離れなかったのは、「金属に学ぶ」と題したように、法隆寺の宮大工・西岡常一さんの『木に学ぶ』でした。
 
 「金属は結晶である 金属は生きている 金属は老化する」とあるように、金属の種類によってその強さ、弱さも又違うのは木と異なることはないのだと再認識しましたが、問題は現代の技術者が「無色透明、客観的・中立的な科学や技術は存在しない」という前提はあるにしても、1300余年前の法隆寺の宮大工集団が、その木の強さ弱さ克服するために、同じ木の種類でも生育する土地柄まで考慮し分類し、「木組み・木の組み合わせ」に至る知見の積み重ねによって、今日もなお法隆寺の威容が目の前にあることを思うと、高々40数年の原発運転に固執し、残された核廃棄物の後始末すらできない、現代の技術者のお粗末ぶりは際立ちます。「美浜2号機において炭素鋼からステンレス鋼や低合金鋼に取り換えた個所の総数は約3200箇所」とあるに至っては素人の眼にも驚きです。原子力規制委員会に日本金属学会が入っていないからという単純な理由からなのでしょうか。
 
 古代も現代も、諸行無常、生老病死、と言う生死観は不変だと思いますが、この本を読んでいて、告発される側の現代の技術者たちが漸く明らかにされつつある金属学の成果を軽視までして偽装・正当化する背景には、相も変らぬ技術者の「水俣病」から離陸できない知性の薄っぺらさ、と言うより精神の空洞化を感ぜずにいられません。かつてバートランド・ラッセルは「日本は知性抜きで近代化に成功した唯一の国」と断じましたが、分野こそ異なれ近くには西岡常一、そして彼にそれを伝えた古代の宮大工集団には、技術の前に「生きるとは何か、死ぬとは何か」という根本的な哲学思想があったような気がすると、改めて強く感じています。
 
 もう一つこの本から学んだのは、金属の性質が人間にも重なってきたことでした。十人十色、フロイトの『精神分析』を通じて後継者のE.フロムの言葉を借りれば、今日の弱者の存在を糊塗して拡散する「グローバル病」と「原発病」が軌を一にしていることを気付かせてくれたことです。加えて『論理学』などにもつながる頭の体操・訓練になりました。
 
 ともあれ、筆者の所感を超えて、本書が「専門家と市民とのギャップを埋める」ためにも広く知られ読まれるべき一冊であることは間違いありません。1970年代、フランスの分子生物学者ジャック・モノーが著した『偶然と必然』がフランスではベストセラーになり、ドゴール空港の書店に山積みされていたという話を聞き、日本社会との隔絶の間を禁じ得なかったことが思い出されます。日本では野間宏の批判書『現代の王国と奈落』を介して多少広がりましたが、本書にも「専門家と市民とのギャップを埋める」橋渡しを痛感します。しかしそれもかなり難しい現実に振り返ると、この際もうひと踏ん張り、本書の要約版、ブックレットのようなものの出版を是非期待したいところです。(2018年6月28日記)

コメントを投稿