のんスケの‥行き当たりバッタリ!

ぐうたら人生を送ってきた私が、この歳になって感じる、喜び、幸せ、感動、時に怒りなどを、自由に書いていきたいと思います。

最近のテレビ番組から (1) 「新日本風土記」 ≪福島 三春≫

2015-05-31 16:10:56 | 日記

 毎週金曜日にBSプレミアムで放映される「新日本風土記」は、私の好きな番組の一つだ。

 この間の金曜日(29日)には、≪福島 三春≫が取り上げられた。

        

 

 

 

 「福島 三春」と言えば、≪滝桜≫に代表される、“桜の里”だ。

                       

                   

 

 

 番組は、桜の下で繰り広げられる、三原の人々の暮らしに密着して、さまざまな心温まるエピソードを紹介していた。

 その中から、私が特に心を打たれた、(原発事故に関わる)二つのエピソードを、書き留めておきたいと思う。

 

 

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 まず一つめは、三春の象徴とも言える、滝桜にまつわるお話。

 滝桜は、樹齢千年以上、日本三大桜の一つだそうが、今ではかなりの古木になっている。

 三春の人たちは、滝桜の命をいつまでも永らえさせるべく、手入れに余念がない。

 そして一方では、滝桜の種をとって植え、芽を出した苗を『子桜』として育ててこられた。

 三春の里では、今では滝桜の子桜が、至る所で花を咲かせているのだそうだ。

 

 そして今では、滝桜の『孫桜』が育てられつつある。

 その孫桜の育苗に携わっておられるのが、柳沼喜久子さん。

                    

                      

 

 彼女によると、滝桜の孫桜の苗は、今では、北海道から屋久島まで送られているのだそうだ。

 

 

 その柳沼さんから滝桜の種や苗をもらって、育てられているのが、今野幸四郎さん。

                       

 

 

 今野さんが桜の種をまかれ、苗を植えられているのは、今なお帰還が許されていない故郷、『浪江町』だ。

 今野さんは原発事故以前は、浪江町で育牛の牧場を営まれていた。 

 沢山のチャンピオン牛を育てられ、震災発生時には、牛は100頭以上いたそうだ。

                    

 

 

 しかし、原発事故から4年を経過した今でも、浪江町への帰還は許されていない。

 今野さんは、1ヶ月に1度故郷の家に帰ることを許された日には、必ず実家に戻られ、神棚に手を合わされる。

         

 

 

 

 そしてその後必ず向かわれるのが、柳沼さんから譲り受けて浪江の道路沿いに植えられた、滝桜の孫桜のもとだ。

                    

 

 

 防護服に身を包んだ今野さんご夫妻は、わずかに花を付けた桜の枝を愛おしそうに撫でながら、言われる。

 「この桜が花を付ける頃には故郷に戻れると思っていたのに…。」と。

 

 しかし、今野さんは諦めてはおられない。

 彼は力強く言われる。

 「いつかこの浪江を、三春と同じような桜の里にするのだ!」…と。

 

 

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 もう一つは、三春で古くから行われてきた、“ひょっとこ踊り”にまつわるお話。

 

 ひょっとこ踊りの名手・橋本広司さんは、17代続く“三春人形”(紙人形)の人形師なのだそうだ。

 下は、“三春人形”制作中の橋本さんと、ユーモラスな“三春人形”の幾つか。

                     

 

                       

 

 

           

 

 

          

 

      

 

 

 ※ちょっと話が横にそれるが、三原は、古くから玩具や人形創りの盛んな土地なのだそうだ。

  玩具・人形には木彫りのものあり、紙を貼って創るものありだが、木彫りの「春駒」などは、今では全国的に有名なのだそうだ。

  (下は木彫りの人形に色を施しているベテランの職人さんと、美しく彩られた「春駒」。 私も「春駒」一つ、欲しいなあ!)

                      

                        

 

 

 

 話を元に戻して、人形師の橋本さんは、根っからの“ひょっとこ踊り”好きで、また名手でもある。

 彼は、ご自分で創られた人形のお面を被って、見事な“ひょっとこ踊り”を踊られる。

                   

 

 

 三春町には、大震災の仮設住宅がたくさん建てられ、現在でも1000人以上の方が、不自由な仮住まいをされている。

 その仮設住宅で暮らす『富岡町の人たちが、仮設暮らしの憂さを少しでも晴らすために“ひょっとこ踊り”を踊りたいと、橋本さん

指南を請われる。

 富岡の人たちは言われる。

 「あれ以来、心から笑うことがなくなった」 「踊っている間だけでも、何もかも忘れて笑いたい!」と。

 橋本さんは喜んで仮設に通われ、一緒に踊られる。

 そして仮設で何か月か踊られたあと、皆さんの中から、期せずして一つの計画が持ち上がった。

 富岡町も、もとは桜の名所。

 今年の春、その桜並木の下で、ひょっとこ踊りをみんなで踊ろう!というのだ。

 ひょっとこ踊りは、桜の下でこそ踊るのにふさわしいと!

 

 そして、桜が満開のある日、富岡町の皆さんの願いが実現した。

                    

 

 

 そしてこの日のために、人形師であり踊りの師匠である橋本さんが、素晴らしいプレゼントを創ってくださっていた。

 それは、『必帰』と書かれた、大きなだるま人形!

 

 富岡町の人々は、「いつか必ずこの富岡町に帰るのだ!」という決意も新たに、だるまを高く掲げられる。

                    

 

 

 私はこの光景(写真)を見るにつけ、涙を禁じ得ない。

 

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 富岡町のひょっとこ踊りの方々、そして、浪江町の今野さんご夫妻(に代表される浪江の方々)の、故郷への深くて強い想い!

 そして、帰りたくても帰れない、悔しさ、辛さ!

 それを思うと、私は言葉を失い、ただ唇を噛むしかない。

 

 「福島の復興なくして、日本の発展はあり得ない!」と、声高らかに宣言なさった政治家の方々!

 どうかその言葉を忘れないでください!

 もちろん、政治家だけに任せておくだけではいけないことも解っていますが、先ずは政治家が先頭を切って、ガンバってほしい!

 本当に、「福島の復興なくして、日本の発展はあり得ない」のですから。

 

 

 

 

 


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