のんスケの‥行き当たりバッタリ!

ぐうたら人生を送ってきた私が、この歳になって感じる、喜び、幸せ、感動、時に怒りなどを、自由に書いていきたいと思います。

何故か心惹かれる、≪熊谷守一≫の世界

2014-06-10 17:29:49 | 日記

 彼は、東京・池袋の一軒家に住んでいた。

 その一軒家の庭で、彼は日がな一日、虫や花などを眺めて暮らしていた。

                   

 

 彼の名は、熊谷守一。

 1880年に生まれ、1977年に97歳で没した。

           

 

 

 熊谷は猫が好きだった。

 飼い猫の他に、野良猫も自由に家に出入りできるようにしていた。

 下は、生まれつき目が見えない猫で、熊谷が一番可愛がっていた猫だそうだ。

                  

                                「猫」 (1965年)

 

 次は、熊谷が自宅の庭の花や虫を描いたもの、2点。

                 

                               「豆に蟻」 (1958年)

                      

                                    「ハルシヤ菊」 (1954年)

 


 

                        

 

 6月1日の「日曜美術館」は、熊谷守一の特集だった。 (『ひとり“命”の庭に遊ぶ~画家・熊谷守一の世界~』)

 私はそれ以前にも彼の作品の幾つかを知っていて、とってもステキな絵だと思っていた。

 そして今回、番組を通して彼の人生と絵とをより詳しく知ることによって、熊谷守一の存在と絵は、私にとってますます魅力的なものになった。 

                               

 

 熊谷守一は、二十歳で入学した東京美術学校を、首席で卒業。

 (同期には、青木繁などそうそうたるメンバーがいた。)

 卒業後描いた「自画像」は、名立たる展覧会で受賞し、将来を嘱望されてもいた。

 しかし、母の死をきっかけに、彼は東京を離れて故郷の岐阜に帰り、絵の世界から遠ざかる。

 数年後再び上京し42歳で結婚、子どもも次々と生まれるが、彼は絵を描こうとはしなかった。

 生活は困窮し、妻からも絵を描いてほしいと頼まれるが、彼はどうしてもお金のための絵が描けなかった。

 そんな中で不幸が起こる。

 次男の陽が、わずか2歳で、肺炎で死んでしまったのだ。

                    

                            「陽が死んだ日」 (1928年)

 彼は泣きながら上の絵を描いた。

 でも絵を描いている自分に気づき、嫌になって途中で止めたのだそうだ。

 

 その後も熊谷は、なかなか絵が描けなかった。

 その彼に友人が日本画を勧めた。

 勧められて当時描いた日本画、2点。

                 

                               「蛙子」 (1940年)

                      

                                 「蒲公英に蝦蟇」 (1938年)

 

 熊谷は、日本画から、絵を描くヒントを少し得たようだった。

 しかし戦後まもなく、熊谷を2度目の不幸が襲う。

 21歳になったばかりの長女を、結核で亡くしてしまったのだ。

 彼の悲しみは、もちろん深かった。

 しかし彼は、今度は8年の歳月をかけて彼女の死と向き合い、模索の末、一枚の絵を描く。

                    

                            「ヤキバノカエリ」 (1948年~1955年)

 

 70歳過ぎ、病をキッカケに、熊谷はほとんど外出しなくなる。

 彼は一日の大半を庭で過ごした。

 夜になると、「学校に行ってくる」と言って、アトリエにこもって、1~2時間絵を描いた。

 それでも冬になると、「冬眠だ」と称して絵は描かなかった。

 愉しみは、妻を相手の囲碁だけだったそうだ。(それも、いつも負けてばかりだったとか…)

                  

 

 そんな生活の中で生まれた、斬新で温かみのある彼の絵の何点かを、次にあげておきます。

                 

                               「雨水」 (1959年)

                 

                                「雨滴」 (1961年)

 

                   

                               「紅葉」 (1961年)

 

                 

                               「あじさい」 (1966年)

                  

                            「朝のはぢまり」 (1969年)

 

 一番最後の「朝のはぢまり」は、朝目覚めた熊谷が、雨戸の節穴から射し込む光を描いたものだそうだ。

 

 最後に、題名は分からなかったけれど、私が好きだと思った4点の絵を載せさせていただきます。

                  

 

        

 

 

                

 

                        

 

 

 

 

     

                

                 

 

 

 

 

 

 

 


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2 コメント

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Unknown (ようこ)
2014-06-10 21:54:01
こんばんわ またまた素晴らしい絵を見せていただきました。知らない世界がまだまだいっぱいありますね。私は、雨滴 と最後のほうの椿が好きです。 心があったまる絵をありがとうございました。   そうそう蛍が飛び始めました 今夜9時ごろどうかな~~と近くの川にいったら10匹ほどポワ~~フワ~~と飛んでいました
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ようこさんへ (のんスケより)
2014-06-11 17:45:16
 雨滴と椿、私もこの2つがです好みが一致してうれしいナ
 ホタルかあ‥イイなあ 名張が羨ましいです
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