5月7日は、学生時代の友だちAさん(姫路市在住)と、“高野山参り”をすることになっていた。
“高野山参り”と言っても、それは、信仰心の厚いAさんに当てはまるだけで、信仰心のない私は、ただ、高野山の自然に触れたいという思いだけだった
けれど。
当日は天候にも恵まれ、絶好の高野山参りの一日となった。
先ずは南海高野線で、高野山の麓まで行く。
車窓は緑にあふれ、いろんな花が私たちの目を楽しませてくれた。
次は、臨時停車した「かみこさわ駅」の、車窓の風景と、反対側のホームのシャクナゲの花。
南海電車の次はケーブルに乗り換える。
ケーブルは、周りを緑にとり囲まれて、かなりの急勾配を昇っていく。
そしてケーブルの中からも、シャクナゲやシャガの見事な群落が眺められたが、写真には撮れなかった。
ケーブルの駅から循環バスに乗ったが、私たちは先ず金剛峯寺を参拝するために、一旦バスを下りた。
金剛峯寺の周囲にも、シャクナゲが群れ咲いていた。
そのシャクナゲを愛でながら、山門をくぐる。
中に入り、正面のお堂に向かって進む。
そのお堂で、一番私の注意を引いたのは、屋根の上に置かれた桶だった。
「やっぱり、消火用かしら?」
Aさんは、お堂の前で一心に祈りを捧げられていた。
私も一応は祈りを捧げたが、あとは周りの緑や花にカメラを向けた。
新緑が、お寺の建物とよく調和している。
お寺の中に入る。
入り口から程なくのところに、巨大な高野杉が展示してあって、その迫力に圧倒された。
「金剛峯寺」の額とその下の襖絵にも、歴史の重みが感じられる気がした。
建物の中から庭を眺めると、太陽の強い光を受けて、シャクナゲは輝き、若葉をつけた木は、砂利の上に影を映している。
金剛峯寺を後にした私たちは、今度は歩いて「奥の院」を目指した。
奥の院までは、かなりの距離がある。
途中、枝垂れ桜がまだ花を残していた。
「一の橋」を渡って、奥の院の聖域に入る。
高い高い杉木立に囲まれて、空気は澄み渡り、私たちの体は隅々まで、浄化されていくような気がした。
奥の院でかなり時間を掛けたので、初めの予定から言えば、もう帰らなければいけない時間になった。
私はまだしも、Aさんは姫路まで帰られなければならない。
でもAさんは、せっかくの機会だからと、せめて後一つ「根本大塔」だけは見て帰りたいと言われた。
そこで私たちは再び循環バスに乗り、根本大塔の近くのバス停で降りた。
根本大塔に向かう路は、逆光の夕陽を受けて、趣きのある風情だった。
路を抜けると、根本大塔の鮮やかな朱色が、目にとび込んできた。
あまりに鮮やかすぎて、ちょっと目がくらみそう!
聞けば、この塔は、比較的最近再建されたのだとか‥。
私はむしろ、「東塔」の落ち着いた色合いや、周りの古びた感じの建物の方に、より心惹かれた。
根本大塔を後にした私たちは、再度循環バスでケーブルの駅に向かった。
無事ケーブルに乗り込んだ私たちの目に、車窓の夕暮れの風景が優しく映った。
ケーブルから南海電車、そして地下鉄と乗り継いで、大阪梅田に戻ったのが、8時前。
私の家はそこからすぐだが、Aさんからも、10時には無事家に着いたとメールがあって、ホッとした。
高野山の緑と澄んだ空気に癒されて、本当に充実した一日だった。
鮮やかな塔よりも渋い色彩の東塔に惹かれます。 砂利と石塔の写真が好きです。
高野山はとっても空気がキレイで、体も喜んでいる感じでした。