今から100年くらい前に≪スペイン風邪≫というのが流行って、世界中で(日本でも)多くの感染者・死者が出たらしい、と
いうことは知っていた。
しかし、この≪スペイン風邪≫についても、私は大きな誤解をしていたことを、最近のテレビ番組で初めて知った。
まず≪スペイン風邪≫って言うけれど、これは「風邪」ではなく「インフルエンザ」であること。
そして何より驚いたのは、≪スペイン風邪≫って言うくらいだから、当然「スペイン」で発症した風邪、インフルエンザなん
だろうと思っていたんだけれど……さに非ず!だった。
実はこの≪スペインインフルエンザ≫の感染が初めて分かったのは、1918年3月で、「アメリカ」の中西部地方だったのだ
そうだ。
当時は、第一次世界大戦のさなかであり、アメリカの基地で多くの兵士がインフルエンの症状を発症したとのこと。
そしてそれは、兵士たちの転戦によって、瞬く間(4ヶ月の間)に世界に広まっていったのだそうだ。
戦争時、インフルエンザの感染が明らかになると、それは兵士の士気に影響し、戦況の悪化につながる。
そこで、アメリカは自国での発症を認めず、インフルエンザはそのまま世界に広まっていったのだ。
ではなぜ 「スペイン風邪(インフルエンザ)」って言うのだろう?
当時スペインは第一次世界大戦には参加せず、中立国だった。
中立国であったスペインにも、このインフルエンザは広まった。
戦争参戦国は、自国でインフルエンザが流行っていることを認めたがらなかったが、中立国であるスペインは、自国での
感染を明らかにした。
すると世界は、まるでスペインがインフルエンザの発症国であるかのように、≪スペインインフルエンザ≫と名付けたの
だ。(当時日本では、風邪とインフルエンザの違いが明らかでなかったため、≪スペイン風邪≫と呼んだのだそうだ。)
ああ、インフルエンザの命名にまで、戦争が影を落としていたのか!
今からでも、このインフルエンザの名称を変えられないものかしら!?
いや、むしろ≪スペインインフルエンザ(風邪)≫の名まえを残し、なぜこの名まえで呼ばれるようになったかを広く知る
ことによって、戦争がこんなところにも影を落としていることを知る方がいいのかも…。
とにかく戦争は、私たちにとって大切な事実をこのように見事に隠してしまうものだということを、今回も思い知った気が
した。
※ところでこの番組では、<与謝野晶子氏>の、スペイン風邪についての発言も取り上げていた。
晶子氏は当時10人の子持ちだったが、子どもの一人が学校でスペイン風邪に感染、たちまち家族全員にうつったのだ
そうだ。
晶子氏はその事実を新聞に寄稿して、次のように当時の政府を批判している。
「政府はなぜいち早くこの危機を防止するために、大呉服店・大工場・学校など、多くの人間の密集する場所の、一時的
休業を命じなかったのでしょうか。」
「社会的施設に統一と徹底との欠けているために、国民はどんなに多くの避けられるべき禍(ワザワイ)を、避けられずに
いるかも知れません。」
この批判を読んでいると、常に時代の流れを鋭くつかみ批判精神を忘れない、与謝野晶子という女性の面目躍如たる
ものがあると思った。
また彼女は、スペイン風邪によって人生観を変えられたと言い、災いの中で生きていく覚悟を、次のように述べておら
れる。
「私は今、この生命の不安な流行病の時節に、何よりも人事を尽くして天命を待とうと思います。」
「私たちは、あくまでも『生』の旗を押し立てながら、この不自然な『死』に対して、自己を守ることに聡明でありたいと思い
ます。」
コロナと共に生きていく覚悟を求められている今、100年前に生きられた与謝野晶子氏のことばが、とても新鮮に響いて
くるような気がした。