のんスケの‥行き当たりバッタリ!

ぐうたら人生を送ってきた私が、この歳になって感じる、喜び、幸せ、感動、時に怒りなどを、自由に書いていきたいと思います。

背割り堤の帰りに、中津公園へ。

2013-04-02 16:41:13 | 日記

 昨日は背割り堤から比較的早く帰ってきた。

 中津に着いたとき、まだお天気が良く(と言うか、背割り堤にいる時よりお天気はさらに良くなり)、ピッカピカの太陽が射していた。

 こんなにいいお天気は、これからそうあるものではない。

 そう思った私は、自分のマンションを通り越して、直接中津公園に向かった。

 

 この間公園に行くには行ったが、あの時は、昨日みたいにお天気が良くなかった。

 太陽の光を受けて輝く桜を見るのは、今日を置いて他にはない!

 

 市営住宅のチューリップ畑で、この間より、色とりどりのチューリップが元気よく咲いていて、ホッとした。

 心配していたチューリップ畑の主のおじ様にもお会いすることができ、お元気であることが分かったので。

              

 

 

 公園のソメイヨシノは、まさに満開!

 お日様の光を浴びて輝いていた。

             

 

 

 公園の一隅には、薄いピンクの枝垂れ桜もある。

             

 

 それが、ソメイヨシノの更に薄いピンク(ほとんど白にちかい)と、木の新芽の緑と混ざり合って、きれいだった。

            


背割り堤の桜

2013-04-02 16:36:54 | 日記

 京都・八幡市は、木津川・宇治川・桂川の3つの川が合流して、一つになる場所だ。

 世に言う、「三川合流の地」だ。

 そして、木津川と宇治川の間は高い土手(堤)になっていて、それが1.4キロくらいにわたって続いている。

 その土手のことを、人々は『背割り堤(せわりづつみ)』と呼んでいる。

 背割り堤の道の両側には、ソメイヨシノが植えられていて、この時期になると、見事な桜の風景となる。

 

 今年の春は、お天気がちっとも安定しない。

 カラッと晴れたお花見日和が、本当に少ないのだ。

 でも昨日は、予想してたよりはいいお天気になった。

 そこで私は、急に思い立って、『背割り堤の桜』を見に行くことにした。

 

 京阪の八幡市駅を降りて、木津川に架かる橋の上まで来ると、眼前に、背割り堤の桜が姿を現す。

            

 

 

 橋を進むにつれて、桜の並木が大きさを増してくる。

             

 

 

 橋のたもと付近では、こんな感じ。

             

 

 

 堤に到着すると、両側の桜を見上げながら歩いて行く。

 桜の木の中には、結構な古木もある。

               

 

 

 路の右手は、宇治川だ。

 宇治川の水は青緑色をしていて、とてもキレイだ。

 垂れ下がる桜の枝とよくマッチして美しい。

            

 

            

 

 

 川の向こうの木々もだいぶ緑の新芽を出している。

            

                

 

 

 昨日の私には、1.4キロを全部歩く元気はなく、3分の2くらい歩いたところで、木津川の土手に下りた。

 下りて、土手に覆いかぶさるように咲いている桜を見上げる。

      

            (下りて右手の方の桜)                             (左手の方の桜)

 

 

 土手には、(今年、私にとっては初めての)タンポポが、アチコチに咲いていた。

 そして、タンポポ摘みをする子や、土手を勢いよく駆け下りる子など、元気な子どもがたくさんいる。

 その元気さ、可愛さに惹かれて、思わずシャッターを押してしまう。

        

 

         

 

 

 土手下を、入り口の方に向かって歩いていく。

 入り口に近づくにつれ、桜の木はますます大きく、重量感を増してくるように感じられた。

           

 

 

 桜の前に、濃いピンクの(多分)桃の花が咲いていて、ピンクの濃淡が美しかった。

              

 

 

 帰り際、(多分、かなり高齢の)団体さんが、楽しそうに記念写真を撮っておられたので、私も横から撮らせてもらった。

                

 

    

    

 

 

 

   

 

               

 

 


石巻の誇り!(今も被災者を励ます)≪彫刻家・高橋英吉≫

2013-04-02 14:31:28 | 日記

 3月17日の日曜美術館は、「故郷の海を彫った男 石巻の彫刻家・高橋英吉」と題して、高橋英吉氏の足跡&作品をとり上げていた。

 その番組を見るまで私は、≪彫刻家・高橋英吉氏≫の名前も作品も、全く知らなかった。

 

 高橋英吉氏は、明治44年石巻に生まれ、昭和17年に、31歳の若さで戦死する。

                 

 

 石巻は、漁業の街。

 英吉氏も漁業にたずさわる家に生まれたが、8人兄姉の中で、彼だけが彫刻家の道を歩む。

 

 「文展」で初入選し、彼の評価を高めた作品‥『少女像』。 (昭和11年 25歳)

           

 

 

 だが、彼はそれでは満足せず、新しい表現を求めて、捕鯨船に乗り込み、漁師たちと生活を共にして、彼らの姿を創り出していく。

 その中から、『海の三部作』が生まれた。

 『三部作』の中で、「文展」で“特選”をとり、彼の代表作とも言われる、『潮音』 (昭14年 28歳)

          

 

 

 しかしこの間日本は戦争へと突き進み、彼自身も召集される。

 この時は3ヶ月で除隊になったが、再び召集されることを予感してか、彼は、『三部作』の最後の作品・『漁夫像』を彫りあげる。

 昭和16年、高橋、30歳の作品。

           

 

 この作品には『潮音』のような荒々しさはなく、身体全体がきれいに磨き上げられている。

 その顔は、漁夫のものと言うより、むしろ仏さまのようだ。

                

 

 そして、この作品を展覧会場に運んだ直後に、彼に2度目の召集令状がくる。

 だから、彼がこの作品を、展覧会場で目にすることはなかったのだそうだ。

 

 そして彼は、昭和17年11月2日、ガダルカナルの戦闘で敵の銃をうけて戦死する。

 享年、31歳。

 

 妻のもとには、彼が南方に向かう輸送船の中で、流木に刻んだ『不動明王』と、手作りの彫刻刀が、形見として送られてきた。

      

   左が、手作りの木の彫刻刀。 右が、不動明王。

 

 これが、英吉最後の作品となった。

 

 

 英吉氏と石巻の人との交流は深く、不断に続いていて、石巻に残された彼の作品は多い。

 (その中で、私が特に心を動かされたものを2つ、次に載せておきます。)

 一つ目は、彼が(その境内でよく遊んだ)「慈恩院」に納めた、『阿弥陀如来尊像』 (昭15年)

       

 

 本当に、美しいお顔だ!

 

 次は、石巻の普通のお家に送られた(と言うか、多分買ってもらった)、『母子像』 (昭16年)

                

 慈愛に満ちた母の表情と、赤ちゃんの可愛らしさが表現された、すばらしい作品だと思う。

 

 

 ところで、高橋英吉氏の作品を展示するためにかって建てられた「石巻文化センター」は、今回の震災で、壊滅的な被害を受けた。

 震災後、救い出された彼の作品は、今「宮城県立美術館」(仙台)に移されて、展覧会が開かれている。

 そこに、(バスツアーで)片道1時間半の時間を掛けて、大勢の石巻の人々が、英吉さんの像に会いに訪れている。

 彼らは口々に言われる。

 「英吉さんは、石巻の宝、誇りだもんね!」

 「英吉さんの像を見てると、力が湧いてきて、もっとがんばらなあかんと思うもんね!」

 

 戦争の犠牲となって、31歳の若さで、儚く散った高橋英吉氏。

 でも、彼の創った様々な像は、はるかな時を超え、今なお石巻の人々の心の拠りどころとなっているのだ!

 私は、英吉氏の生き様とその作品に、そして石巻の人々の彼に対する深い想いと、たくましく生き抜こうとされている姿に、強く心を動かされた。

 

 

 

 

 

     

 

 

 

 

            


「終わりの花」&「咲き始めた花」&「咲き続ける花」

2013-04-02 09:43:30 | 日記

 今年になって次々と花を咲かせていた山茶花が、3月の下旬に最後の(もう一つ蕾は付いているが‥)花を咲かせた。

             

 

 

 その後ちょっとして、それまで沢山蕾を付けていたマーガレットが、やっと一つ花を開いた。

            

 

 その他にも、冬を越してふたたび花を付け出した花も、幾つかある。

       

 

               

 

 

 それらにひきかえ、昨年夏からずっと咲き続けているのが、ハイビスカス!

 もちろん途中(次の花芽ができるまで)しばらく中断することはあったが、次々と蕾をつけ、花を開いている。

             

 

 ハイビスカスは、日光と適度な温度に恵まれさえすれば、一年中咲き続けるのだろうか?

 私はうれしいような、ちょっと不安なような、複雑な気持ちで、咲いたハイビスカスを眺めている。