3月17日の日曜美術館は、「故郷の海を彫った男 石巻の彫刻家・高橋英吉」と題して、高橋英吉氏の足跡&作品をとり上げていた。
その番組を見るまで私は、≪彫刻家・高橋英吉氏≫の名前も作品も、全く知らなかった。
高橋英吉氏は、明治44年石巻に生まれ、昭和17年に、31歳の若さで戦死する。
石巻は、漁業の街。
英吉氏も漁業にたずさわる家に生まれたが、8人兄姉の中で、彼だけが彫刻家の道を歩む。
「文展」で初入選し、彼の評価を高めた作品‥『少女像』。 (昭和11年 25歳)
だが、彼はそれでは満足せず、新しい表現を求めて、捕鯨船に乗り込み、漁師たちと生活を共にして、彼らの姿を創り出していく。
その中から、『海の三部作』が生まれた。
『三部作』の中で、「文展」で“特選”をとり、彼の代表作とも言われる、『潮音』 (昭14年 28歳)
しかしこの間日本は戦争へと突き進み、彼自身も召集される。
この時は3ヶ月で除隊になったが、再び召集されることを予感してか、彼は、『三部作』の最後の作品・『漁夫像』を彫りあげる。
昭和16年、高橋、30歳の作品。
この作品には『潮音』のような荒々しさはなく、身体全体がきれいに磨き上げられている。
その顔は、漁夫のものと言うより、むしろ仏さまのようだ。
そして、この作品を展覧会場に運んだ直後に、彼に2度目の召集令状がくる。
だから、彼がこの作品を、展覧会場で目にすることはなかったのだそうだ。
そして彼は、昭和17年11月2日、ガダルカナルの戦闘で敵の銃をうけて戦死する。
享年、31歳。
妻のもとには、彼が南方に向かう輸送船の中で、流木に刻んだ『不動明王』と、手作りの彫刻刀が、形見として送られてきた。
左が、手作りの木の彫刻刀。 右が、不動明王。
これが、英吉最後の作品となった。
英吉氏と石巻の人との交流は深く、不断に続いていて、石巻に残された彼の作品は多い。
(その中で、私が特に心を動かされたものを2つ、次に載せておきます。)
一つ目は、彼が(その境内でよく遊んだ)「慈恩院」に納めた、『阿弥陀如来尊像』 (昭15年)
本当に、美しいお顔だ!
次は、石巻の普通のお家に送られた(と言うか、多分買ってもらった)、『母子像』 (昭16年)
慈愛に満ちた母の表情と、赤ちゃんの可愛らしさが表現された、すばらしい作品だと思う。
ところで、高橋英吉氏の作品を展示するためにかって建てられた「石巻文化センター」は、今回の震災で、壊滅的な被害を受けた。
震災後、救い出された彼の作品は、今「宮城県立美術館」(仙台)に移されて、展覧会が開かれている。
そこに、(バスツアーで)片道1時間半の時間を掛けて、大勢の石巻の人々が、英吉さんの像に会いに訪れている。
彼らは口々に言われる。
「英吉さんは、石巻の宝、誇りだもんね!」
「英吉さんの像を見てると、力が湧いてきて、もっとがんばらなあかんと思うもんね!」
戦争の犠牲となって、31歳の若さで、儚く散った高橋英吉氏。
でも、彼の創った様々な像は、はるかな時を超え、今なお石巻の人々の心の拠りどころとなっているのだ!
私は、英吉氏の生き様とその作品に、そして石巻の人々の彼に対する深い想いと、たくましく生き抜こうとされている姿に、強く心を動かされた。