遺跡「ベン・メリア」をあとにしたすぐそこにありました。熊本ライオンズクラブ小学校。
遺跡近くになるとこうしたお店が並んでいます。
「女の砦」という意味を持つという世界遺産「バンテアイ・スレイ遺跡」の見学です。
赤い土「ラテライト」の上を歩くと入場券確認所。係員が珍しくマスクしてた。私たちは旅の間ほぼマスクの着用はなしで過ごすのでした。
そして外周を囲んでいる第一周壁の東門にやって来ました。ここから遺跡見学のスタートです。
門の上。すごいなぁと思って撮影したのですが、こんなの序の口でした。
参道を進むと第2周壁が見えてきた。左の水たまり。右にもあります。遺跡をぐるっと取りまいている環濠。このお堀、乾季の今はこうして枯れていますが、それ以外の時は水を満々と湛えているといいます。
12世紀初頭に建造されたというアンコール・ワット、日本の年代に照らすと鎌倉時代になる。ところが、ここバンテアイ・スレイは、967年着工と書いてある。この旅の前に訪ね歩いた京都の世界遺産の数々平安時代と一緒だ。後世に「アンコールの宝石」「クメール美術の至宝」などと称えられることとなった遺跡を巡ります。
前の写真の入り口みたいなところをズームしたら、その奥はこんなだった。
今まで見てきた「アンコール・ワット遺跡群」の寺院とはどうも様相が違う。赤い砂岩を主建材に使っているといい、建物全体が赤っぽい。それに彫り物彫刻がめっちゃ多い。
これだ。日本でいう「河童」みたいな顔をした像。これが至る所に鎮座している。これは今までどこでも目にすることななかった像だ。そして後ろのデバター像、右側の彼女の顔が削りとられちゃってる。
このデバターの姫たちがあちこちに。後ほど紹介しますが「東洋のモナリザ」と呼ばれるアンコールの美女たちなのです。
デバター像は、この3基ある祠堂の壁面に彫り込まれています。1基4面に8体合わせて24体のデバターが微笑んでいます。そして「地球の歩き方」は書いている。・・・赤色砂岩とラテライトを多用することによって、中央の伽藍は燃える炎のように感じられる・・・と。
驚きです。この繊細さ。ゾウ・馬・鳥や、まだまだいろいろ、もちろん人間も彫られている。これだけの作品を創り上げた当時の彫工たちの職人魂やいかに。
フランスの作家で元文化大臣の若かりし頃 (1923年)、女性像に魅せられ、この遺跡のデバター(女神像)を盗掘しようとして逮捕されたことで一躍注目を集めたというこの遺跡。「地球の歩き方」が紹介している「東洋のモナリザ」が右側のデバターです。次にその写真を貼ります。
その豊かな感じが「東洋のモナリザ」と呼ばれる所以かもしれません。と「歩き方」は言う。
遺跡そのものはそんなに大きくありません。周囲が約400mというコンパクト寺院なので見学は小回りにゆっくり。それに相変わらず観光客は少ない。
デバターと呼ばれる女性像、浮き彫り細工のレリーフ、繊細な彫刻などなど堪能の時間を終えて帰ります。民族音楽らしきが流れていた。遠目からで定かでありませんが、体が不自由みたいな方もいた。地雷の被害を受けたのでしょうか。最後にちょっと悲しい時になってしまった。
バスの乗降時には必ずこれ、アルコール消毒は欠かしません。ホテルまで約1時間の行程を走ります。
稲わららしきを積んだ車が走ってた。
これも稲わららしきか。何に利用するのでしょうね。常夏の国なのだかから緑餌には困らないと思うんだけど。