モネの池からまた地下道を通って庭園に出て来た。この庭園も広い。
秋も終わりに近づいているのに、まだまだお花がいっぱいだ。
モネが生活していた「モネの家」ここには約10部屋あるそうです。この邸宅の前庭は一面のお花畑なんです。最盛期にはお客さんいっぱいで、このモネの家への入り口には長い列ができるといいますが、私たちの訪問時ほぼ誰もいない感じでした。
入ってすぐ目に飛び込んできたのは何と日本が。びっくりさんでした。
そして次の部屋はサロン兼アトリエだといいます。あんりゃ右上に日傘の人がいる。これルーブル美術館でみたよ。壁一面彼の作品に取りまかれいると思ったんですが、セザンヌやルノアールの作品もあるそうです。もちろんすべてレプリカでしょうが。
自分のお家を背景にしてお母さんとお子さん二人かな。いい画ですね。藤椅子も彼が使っていたものか。「座ってはいけませんよ」と太い糸が張られている。優しい注意の仕方に感心してしまう。
2階には寝室があった。これ皆自分の画なんでしょうか。同じ自然派仲間のもあるのかな。小さい額、近くに寄ってよく観察しなかった。なんだろう。
今度は日本のお家にきた。上の画には「西洋人荷物運送図」と読める。下のは、隠れているところがあるかもしれませんが「信小井合之列田城戦図」と読め、侍の方に「小田井なにがし」「岩津なにがし」という字も読める。こちらは戊辰戦争?っぽいけど。
上の画には「播磨」という字が読め、下には「大はし○○○夕立」と読める。
わんさと浮世絵。モネが傾倒していたという葛飾北斎、歌川広重、喜多川歌麿などの浮世絵が展示されているそうです。手前には白い髭をいっぱい蓄えたモネの晩年の写真が飾られていました。彼はこの家で43歳から亡くなる86歳(1926年・昭和元年)までの43年間を過ごしたそうです。そして最後にあの美術館でみた大作「睡蓮」の連作8枚を描き上げたとのことです。
大勢で食卓に並べそうなダイニング。ここにも日本画。
どちらを向いても所狭しと浮世絵ばかり。彼、日本をどれほど愛しちゃっていたんでしょうか。これ皆本物なんでしょうか。じゃあないでしょうね。
モネの池を見て、お花畑でいやされてお家に入って、この浮世絵を目にしたフランスの人は、どんな感想を持つだろうか。流ちょうな日本語を操る職員さんがいらっしゃったから聞いてみればよかったなんて、今振り返ってみてもせん無いこと。ひょっとしたらホームページには、丁寧な浮世絵解説が乗っかっているかもしれない。
最後に青いタイルが一面に張られた台所をのぞいてモネの家を後にしました。
まだまだ印象派にかかわる旅は続きますが、モネの家を去るにあたって、印象派と言われる言葉が生まれた原点、その画から大きな流れとなった元祖印象派クロード・モネの1872年(明治5) 作「印象・日の出」を見たくてお借りしてきました。今この画どこにあるのでしょうか。
モネの(印象、日の出)はマルモッタン美術館にあります。旅行の最終日にパリ16区にあるマルモッタン美術館まで行き、見てきました。参加者は三人だけでした。思い出のルートマップにもでてます。