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天草コレジオ館(2021九州no4)

2022-01-30 | 九州

 港の近くでお昼ご飯。イサキやキビナゴなどをいただくのでしたが、どんなお魚なのか、もちろん知りません。

 しばらく走って同市内の河浦町にあるコレジヨ館にやってきた。コレジヨとは何ぞや。宣教師養成のための神学校だといいます。当時わが国唯一の学校がこの地にあったそうだ。付近の観光案内図には次の写真が紹介している3件と、このあと訪問する崎津天主堂が大きく描かれている。

 時を経過し過ぎたのか、色合いが悪いのか、はっきりしない看板ですが「天正少年遣欧使節団」「グーテンベルグ印刷機」そして「南蛮船」これらに絡む展示がこの館の目玉なのでした。

 当時の日本で、天草は異文化交流の最先端の場所だったと紹介されていて、南蛮文化の資料が展示されている館内を館員さんの説明を受けながら回ります。まず郷土ゆかりの宣教師が紹介されていました。

 少年遣欧使節団が持ち帰ったというこの館の目玉グーテンベルグ活版印刷機。当時「平家物語」や「イソップ物語」などが印刷されたという。これはレプリカですが本物は宣教師の国外追放と共にマカオに送り返されたそうです。

 これで印刷して見せてくれました。これは現役。

 印刷機の奥に飾られている「ラテラノ大聖堂御幸図」1585年5月5日 (天正13年秀吉さんの時代) 大聖堂に向かう一行の行列図との説明があり、下から3段目から2段目に日本からの使節たちが見えている。との説明書きがありますが、それらしき姿は確認できませんでした。

 南蛮船の模型。そこに書かれる説明には、博多で豊臣秀吉が宣教師追放令を出した翌日、1587年7月25日にスペイン船が、1589年にポルトガル船が入港した。と書かれている。なお、この模型はポルトガルから購入したものだとの添え書きも。

 この大きな絵の横には南蛮文化についての説明書きがありましたが、ここに記載するほどのことはないような内容でした。

 これが二番目の目玉。遣欧した4人の少年と行動を共にした神父が描かれています。調べればどこかから出てくるでしょうが、少年たちの年齢は不明。当時ドイツで発行されたという新聞号外をもとにしたという行程図にはイタリア、スペインそしてポルトガルを1582年から8年かけて訪れ、ローマ教皇やスペイン国王にも謁見し1590年帰国などと書かれている。右下の地図は次の写真。

 テイセイラによる日本列島図と説明している。制作年は1595年  日本地図の基本形として、17世紀半ばまで強い影響力を及ぼした日本地図だそうです。琵琶湖らしきところの上にはMEACO(都)京都だといい、四国はTONSA(土佐)九州はBVNGO(豊後)などとプリントされている。北海道がないだけでまさに日本地図だ。

 2階には「世界平和大使人形の館」この男の子と女の子の人形を100か国に平和大使として送ったところ、それに応えて57か国から送られてきた人形が次の写真のように飾られていました。

 

 次に訪れる崎津の海辺の村と天主堂の写真もあった。

 

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