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京都を発つ(2023山陰街道no1)

2023-11-29 | 山陰

 旅行社のパンフに面白いコースの紹介があった。ふらふらっとそんな旅に乗っかることにした。たまたま友達の家に遊びに行って旅の話題になったら「俺もいく」と即決。彼も私と同じ独り者。いやぁ~驚いた。旅の中身も何も知らないのに。私には絶対できない決断だ。・・・というわけで世にも珍しい男二人での参加。そうなんです女性同士ってのはいくらでもあるんですが、男ってのはまずないんです。というわけで私83歳相棒は82歳の珍道中が始まります。

 新横浜からの新幹線にはお客さん少々。長野県から横浜へ出てきて1年10ヶ月、これまでは前泊か後泊は必須だったのにずいぶん楽になった。

 旅の始まりは京都駅集合が12時。新幹線は11:12に到着。連れの男性はどの列車で来たのか知りません。

 11月5日は3連休最後の日、京都駅は多くの人で埋まっていました。

 こんな看板が目に入ってパチリ。後日確認したらホテルの広告だった。ホテルは下段にチロッとあるだけ、さすが京都というのか粋な広告だ。

 観光バスは京都駅をスタート。大型バスに添乗員を入れて12名。ゆったりのびのびの車内だ。

 江戸時代、五街道と称する街道があったという。もちろん江戸は日本橋を起点とする路だ。東海道・中山道・甲州街道・奥州街道・日光街道の五本だ。これから私たちの辿る山陰道は、この地図のとおり36の宿場があったという。そんな古の路をたどって約600kmを7日間かけて走ります。

 西本願寺だっけ、東だっけ。本願寺であることは間違いないんだけど。

 桂川にかかる桂大橋を渡ります。ガイドさんの説明「山陰道」の始まりはここからです。とのこと。私はてっきり三条大橋だと思っていたのに。だって東海道の終点が三条大橋だというのだから、そこが起点になるのではと思っていたんだけど。

 そんな疑問を抱えながら桂大橋を渡ります。

 そして京都を出て最初の宿場町「樫原(カタギハラ)」にやってきた。現地ガイドさんの案内で狭い街道路を自動車に脅かされながら歩きます。

 2019年に「古都京都17すべての世界遺産物語」というツアーに参加したとき、この小旗を持ったボランテアガイドさんが、遺産に到着するたびにそこにいらっしゃるのでした。

 歩道にはこんな排水溝が。なるほどなぁと感いるのでした。

 

 郷蔵(ごうぐら) まずこれが目にとまった。公共の貯穀倉庫であり、年貢米を上納するまでの保管などに使われたのだという。私の村にもあった、地域の集会所のそばに、子供の頃「ごぐら」とよんでいた。時代の流れの中に現在その姿は留めていません。

 ここ樫原の地には数多くあったとのことですが現在残っているのはこの倉だけだとのこと、そんな貴重な資産の説明立札が何とも哀れ、全然読めません。そのあたまには「西暦702年大宝律令・・・」との字はなんとか読め、所々つまみ読みはできるのですが。せっかくの遺産が可愛そう。

 「揚げ素戸、ばったり床机」それは旧家の入り口の横に見えている。その起床を「ばったり」と手前に下ろすと、腰掛けるお休み処となったり荷物の置き場になるのだという。旅人が腰を下ろして一服ということか。不要の時は写真のようにして折りたたんでおく。もうこの街道でこれが残っているのはこのお家だけだという。

 この大きなお家が「本陣」だ。江戸時代には参勤交代などの宿場で、大名や旗本、幕府役人など身分の高いものが泊まったところだといいます。

中に入っての見学はできなかったのですが、こんなパンフレットをいただきました

 橿原陣屋跡として、長々説明しています。がもっと簡潔に書けないのかなぁが感想。最後に京都市指定有形文化財に指定されていると書かれています。

 

コメント
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