旅行社のパンフに面白いコースの紹介があった。ふらふらっとそんな旅に乗っかることにした。たまたま友達の家に遊びに行って旅の話題になったら「俺もいく」と即決。彼も私と同じ独り者。いやぁ~驚いた。旅の中身も何も知らないのに。私には絶対できない決断だ。・・・というわけで世にも珍しい男二人での参加。そうなんです女性同士ってのはいくらでもあるんですが、男ってのはまずないんです。というわけで私83歳相棒は82歳の珍道中が始まります。
新横浜からの新幹線にはお客さん少々。長野県から横浜へ出てきて1年10ヶ月、これまでは前泊か後泊は必須だったのにずいぶん楽になった。
旅の始まりは京都駅集合が12時。新幹線は11:12に到着。連れの男性はどの列車で来たのか知りません。
11月5日は3連休最後の日、京都駅は多くの人で埋まっていました。
こんな看板が目に入ってパチリ。後日確認したらホテルの広告だった。ホテルは下段にチロッとあるだけ、さすが京都というのか粋な広告だ。
観光バスは京都駅をスタート。大型バスに添乗員を入れて12名。ゆったりのびのびの車内だ。
江戸時代、五街道と称する街道があったという。もちろん江戸は日本橋を起点とする路だ。東海道・中山道・甲州街道・奥州街道・日光街道の五本だ。これから私たちの辿る山陰道は、この地図のとおり36の宿場があったという。そんな古の路をたどって約600kmを7日間かけて走ります。
西本願寺だっけ、東だっけ。本願寺であることは間違いないんだけど。
桂川にかかる桂大橋を渡ります。ガイドさんの説明「山陰道」の始まりはここからです。とのこと。私はてっきり三条大橋だと思っていたのに。だって東海道の終点が三条大橋だというのだから、そこが起点になるのではと思っていたんだけど。
そんな疑問を抱えながら桂大橋を渡ります。
そして京都を出て最初の宿場町「樫原(カタギハラ)」にやってきた。現地ガイドさんの案内で狭い街道路を自動車に脅かされながら歩きます。
2019年に「古都京都17すべての世界遺産物語」というツアーに参加したとき、この小旗を持ったボランテアガイドさんが、遺産に到着するたびにそこにいらっしゃるのでした。
歩道にはこんな排水溝が。なるほどなぁと感いるのでした。
郷蔵(ごうぐら) まずこれが目にとまった。公共の貯穀倉庫であり、年貢米を上納するまでの保管などに使われたのだという。私の村にもあった、地域の集会所のそばに、子供の頃「ごぐら」とよんでいた。時代の流れの中に現在その姿は留めていません。
ここ樫原の地には数多くあったとのことですが現在残っているのはこの倉だけだとのこと、そんな貴重な資産の説明立札が何とも哀れ、全然読めません。そのあたまには「西暦702年大宝律令・・・」との字はなんとか読め、所々つまみ読みはできるのですが。せっかくの遺産が可愛そう。
「揚げ素戸、ばったり床机」それは旧家の入り口の横に見えている。その起床を「ばったり」と手前に下ろすと、腰掛けるお休み処となったり荷物の置き場になるのだという。旅人が腰を下ろして一服ということか。不要の時は写真のようにして折りたたんでおく。もうこの街道でこれが残っているのはこのお家だけだという。
この大きなお家が「本陣」だ。江戸時代には参勤交代などの宿場で、大名や旗本、幕府役人など身分の高いものが泊まったところだといいます。
中に入っての見学はできなかったのですが、こんなパンフレットをいただきました
橿原陣屋跡として、長々説明しています。がもっと簡潔に書けないのかなぁが感想。最後に京都市指定有形文化財に指定されていると書かれています。
ヒメウツキ
アザレア
クロユリは向こうを向いていました。
ニセアカシア
スイカズラ
園内散策を終えて売店に「ネペタ」
園内のレストランでランチを済ませて、ガーデンのお別れにもう一枚写しちゃった。これはおばあちゃんのお孫さんに強要されての果てでした。帽子で顔を隠したおばあちゃんがそこにいた。
帽子をお返しして、お孫さんとのお話が弾んでいるようでした。この方お父さんに負けず劣らずの話術の豊かさ。まあこのお二人なら紫竹ガーデンの発展間違いなしと私はみた。
旭川から帯広まで北海道ガーデン街道208㎞ 8カ所のガーデンを楽しく見学が終わりました。たかがガーデンというなかれ、されどガーデンなのでした。
とかち帯広空港発15:25が50分発となり羽田へは17:20の到着となりました。
毎日よく歩きました。均してみたら12000歩/日になっていた。
ズーっと彼方まで真っすぐ延びる道路。こんな変化に乏しい道路では睡魔が襲う運転注意だ。
これは間違いなく馬鈴薯だ。
8カ所目ガーデン街道めぐりもここが最後だ。
紫竹昭葉(あきよ)さん。2021年にお亡くなりになっている。元代表取締役社長、彼女の手によって1987年(昭和62)に手がつけられて今日の日があるといいます。
ここで記念撮影することが義務付けられているみたいにセットされている舞台。帽子は昭葉おばあちゃんの象徴。
おばあちゃんの息子さんに園内ガイドをいただくのでした。その巧みな話術、これがなんとも楽しい時となるのでした。
クレマチス
ヒナゲシ
ネモフィラ
中札内村にやってきた。近くには村役場があり、道の駅もある。あのお菓子で有名な「六花亭」のガーデン「六花の森」に到着だ。入り口がこんなに質素だったっけ。2019年にオープンしたというまだ若いガーデンだ。
お花は「十勝六花」のみの紹介。お花の紹介はあまりしていませんでした。○○館○○館とする建物が並んでいます。
立札を立てて丁寧に花の紹介はしていますが・・・「六花の森」では、あの包装紙に描かれているエゾリンドウ、ハマナス、オオバナノエンレイソウ、カタクリ、エゾリュウキンカ、シラネアオイの「十勝六花」をはじめたくさんの草花が観察できます・・・としているのですが時が少し早すぎたのか、お花にはあまりお目にかかりませんでした。
「ハマナス」がブワァーと並んでた
まだ花の「は」の字もありません。まだ若いハマナスたち
最初に入った小屋が「花柄包装紙館」クロアチアの古民家を移築したギャラリーが点在すると紹介されているなかのひとつ。
壁面いっぱいにお馴染みの包装紙柄が・・・
せせらぎとその静寂さに心洗われます。
そして「サイロ歴史館」
児童詩誌「サイロ」の歴史が綴られていました。
昭和35年(1960)創刊、2020年に60周年を迎えたと紹介されている。
「どんかち」って何だろう。釣ったというのだからお魚かな?
谷川俊太郎さんから寄せられたお祝いのうた。
そしてサイロ表紙絵館も覗いてみました。
最後にショップ&カフェに立ち寄るのでした。入口には包装紙がドン。この旅最後のお買い物時間になりました。
朝湯をいただいた。こんな時間になればもう誰もいません。「モール泉」アイヌの人たちから「薬の沼」と言われていたといい「北海道遺跡」に登録されているという。「モール」とはドイツ語で亜炭などを含む泥炭のことで、地中の亜炭層を通って湧出する温泉をモール泉という。コーラ色と言えばいいのか、お肌ツルツル、すごく薬効ありと思われるような気分にさせてくれる。モール泉は現在全国各地にあるそうですが、発祥の地はここ十勝だといいます。
朝ごはんはおひとり様席でいただいた。外の緑もきれい気分よし。
やはり「でっかいどう」薄い色の畑は麦でしょうか。
馬鈴薯かな、ビートかな
今日のスタートは幸福駅から。まだまだその人気は続いているらしい。この村は「幸震」と呼んでいたようですが、この地に福井県の人たちの入植が多かったことから、「幸」の字と「福」の字を取って「幸福」の地名が生まれたとのことです。
これは2011年(平成23)に訪ねた時の写真。外壁にまで「幸福」を願ってであろう張り紙がいっぱいでしたが・・・この駅舎2013年に修復を行い新しい駅舎(前の写真)に生まれ変わったとのこと。
このとき(2011)は「幸福駅」に行く前に、ここ「愛国駅」にも寄っているのでした。「幸福行きを二枚ください 今度の汽車で出発します 別々に生まれて育った二人が 不思議な出会いで結ばれた・・・」なんて歌った芹洋子の「愛の国から幸福へ」が大ヒット。
愛国駅の前にはこんなに大きな切符が。このときから12年を経過したいま、存在しているかどうかは知りませんが。この切符が1972年(昭和47)には7枚しか売れなかったというのに、1973年(昭和48)は300万枚=6.6億円、最盛期には4年間で1000万枚売れたとも言います。
これは今日の日の幸福駅。駅舎の中は、ほらこのとおり。
天井にもいっぱい。こんな高いところへの行為ができる三脚かなんか踏み台があるのでしょうか。
12年前はこんなに雑然。
幸福の鐘は全く同じ姿で現存していた。右側の三枚の掲示板、ここには歴史などなどいろいろ書かれていました。幸福駅は旧国鉄広尾線に1956年(昭和31)に開設、1987年(昭和62)廃線。 1973年(昭和48)NHKのテレビ番組『新日本紀行』で『幸福への旅〜帯広〜』として紹介されたのをきっかけに、愛国駅から幸福駅行きの切符が「愛の国から幸福へ」のキャッチフレーズとともに一大ブームになったという。奇しくも1974年(昭和49)芹洋子のあの歌も大ヒット。今では列車の走っていないこの駅、周りは畑だけというこの地が、帯広市の観光名所として年間20万人もの人たちがやってくるのだといいます。
2011年の写真、結婚式を後刻に控えているという前撮りさんがいらっしゃった。お嬢さんは日本語が話せて、少々おしゃべりを。はるばる香港からですって。
彼女のカメラで、お二人さんを何枚か写してあげてから、私も仲間に入っちゃった。写真はいいもの、懐かしい思い出です。このお二人さん「しあわせ」な日々を送っていることでしょう。なんたって日本にまで来ての前撮り写真なんだから。
2006年からその選定が始まったという「恋人の聖地」は、2021年現在で長野県と静岡県が9か所で一番多いらしい。ちなみに北海道は4か所、愛国駅と幸福駅は併せて1か所だよとカウントされていた。
駅前のお土産屋さん。きっぷも売っていた。希望するの日付を打ち込んでくれるのかな、私は購入しなかったので分かりません。この大型切符は裏面に願い事など書いて駅舎にベタベタ貼られていたあの切符だ。
「今日の切符売ってます」「お誕生日きっぷできます」なんていってお客さんを誘っていましたが、結婚記念日切符もたぶん作ってくれるでしょうね。
駅ホームには廃線となったこの鉄道を走っていたディーゼルカーが展示されていた。
タバコの吸い殻入れが外されていて、シートは使用感たっぷりだ。
ディーゼル車が2台。ここは現在「幸福交通公園」として管理されているそうです。