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島原城(2021九州no14)

2021-06-25 | 九州

 東京都小池知事が体調不良とかで休養に入られた。大都市を抱えている上に、オリンピックだコロナださらにはワクチンときた。お休みの時間などあろうはずもない。登庁時か退庁時か知りませんがよくマイクの前に立っていらっしゃる。総理のそれはあるのでしょうか。設定された時だけじゃないかなぁ・・不意を食らうのが嫌じゃないのかなと私は勘ぐってしまう。どこかの調査機関で調べてほしい「露出度はどっちが多いの」って。オリンピックが秒読みになった。世論がどうあろうとトップのお方は「安心安全」しか繰り返さない。でも、どうなったら安心でも安全でもなくなるのか、こいつがひとつも分からない。指標が欲しい。

 23日に2回目のワクチンを打った。巷では副反応という言葉があふれている。特に2回目がひどいと。でも、私はほんとにワクチン打ってくれたのだろうかと疑うほど日常生活に何の変化も起きなかった幸せ者でした。ところで我が地域の保健所管内が長野県で唯一レベル4になってしまった。ついこの頃までレベル2だったのに、あっという間にまた飲食店のみなさんがご苦労する事態だ。

 雨の中を島原城に向けて歩きます。

 天守閣一階のキリシタン展を見学した。江戸時代のお城の絵がありました。後ろに控える山は雲仙岳か。

 1920年に大阪で見つかったというフランシスコ・ザビエルの肖像画。日本にキリスト教を伝えた人。説明書きにはいろいろ書かれていますが、ここでは割愛します。

 右の屏風絵は「雲仙地獄切支丹迫害図」オランダ生まれの宣教師モンタアヌスの作品。1669年アムステル版よりと書かれていて原版は銅板だとしている。

 影踏と踏絵。左はレプリカで右は島原藩のオリジナル踏箱と説明している。多分誰でも知っている。江戸幕府がキリスト教の信徒(キリシタン)を発見するために使用した絵だ。これを踏むのを拒否して信仰を続け隠れ住んだ人たちを隠れキリシタンって言ったっけ。

 原の城攻防図模型を南有馬中学校の生徒たちが作成したといいます。「島原の乱」のとき一揆軍が立てこもった原城跡のようです。幕府軍の総攻撃を受けて落城。ここにあの天草四郎の名前が出てくる。そしてこの戦を契機に長い鎖国への道へと繋がったらしい。

 こんな絵もありました「島原の乱大手門の戦い」

 「島原城七万石武将隊」のお一人か。雨の中の見学ありがとうございました。とお見送りをいただきました。

 見学の後お城を振り返りました。島原の乱での炎上を免れ、地震や津波にも打ち勝ってきた天守閣も明治の時になって廃城となり解体。石垣とお掘だけを残す姿になってしまったそうです。お城の復活を願ってこの天守閣が完成をみたのは1964年 (昭和39)だそうです。

   ランチは姫松屋。郷土料理「具雑煮」をいただきました。島原の乱のとき一揆軍の総大将だった天草四郎が3万7千の農民や信徒たちと原城に籠城した際、山や海からいろいろな材料を集めて雑煮を炊いたのが始まりとか。さっぱり味でとても美味しかったですよ。

 絵はがきを意識して撮影したわけではありませんが、島原城の入場記念としていただいた絵はがきが、左右の邪魔者を切り取ればまったくこの構図でした。

 そして島原駅舎から島原城を見ればこれ。左端に島原の子守歌像が影絵のように入り込んでいました。駅前はほんとに質素なたたずまいでした。

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