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クスコの夜(2006南米no25)

2020-09-30 | 南米

  

 遺跡のゲートを出たそこにある唯一のホテル「サンクチェアリ・ロッジ」でお昼ご飯を頂いた。民族音楽の心地よい音色も一緒にいただくのでした。そしてバスで怖いくねくね道を下るのです。

 マチェプチェ村に降りてきた。バスを降りてからは村のメインロードお土産道路だ。話は変わりますが、この村にはすごい日本人がいらっしゃった。現地では何も聞かなかったと記憶しているんですが、帰国後何年後だったのか忘れてしまいましたが、この村をつくった日本人についての報道番組を見たのです。すごい人ということは今でも覚えているのですが、詳細を知りたくて検索してみました。1917年 (大正6) 21歳の時ペルーにわたった野内与吉さん。クスコ~マチュピチュ間の線路の完成に貢献。村に電気をもたらし、温泉をつくり、ホテル建設。そのホテルに役場、郵便局、裁判所など公共の用をなすものは、すべて入ってもらったというのです。そして1941年村が発足すると初代村長になったといいいます。1958年に三笠宮殿下が村を訪問した時に娘さんが花束贈呈。そのことが新聞に載って郷里の親族が彼のことを知ったといい、旅費を工面して日本に呼んだといいます。まさに浦島太郎さんだったでしょうね。村づくりとその発展に命を懸けた人なんだから、銅像とか胸像記念碑などあると思うのですが、さて、どうでしょうか。

 マチュピチュ村のアグアス・カリオンテ駅にやってきた。15:30 に出発です。帰りは、今朝乗車したオリアンティ・タンボ 駅までではなく終点のクスコ駅まで4時間をかける列車旅です。

 車内では、乗務員によるエンターティメントがいろいろ、何を意しているのか分かりませんでしたが、ちょっと変わった趣向に拍手。

 車内サービスのお姉さんも、アルパカ製品を身に着けてモデルさんだ。そしてクスコの駅に着いたのは 19:30 ビデオカメラには、車窓に流れるクスコの夜景がきれいに映っていました。そうなんですビデオテープは DVD となってしっかり保存してありました。動画を見るのはやはり楽しい。バスの中でもガイドさんの声が入ってるし、観光のポイントではその地の肉声が入っている。しかし、ビデオカメラとカメラとの両刀使いはやはり大変だったろうなと振り返る。当時はスマホでチョイってわけにはいかなかったんだから。今回ブログを書くにあたっては、大和市の四つのカメラに随分助けていただいた。

   列車からどなたかがクスコの夜を撮影してくれていた。こんな景色がビデオカメラには流れていたのです。

 「ドン・アントニオ」でのディナーショー。歌と踊り、あの「コンドルは飛んでいく」は当然のごとく歌と演奏。

 お客さんは、ご覧のとおりいっぱい。多分欧米のお客さんでしょう。空港やレストランで演奏していた奏者とは、もちろんレベルが違うでしょうが、私には音楽はどれもみな一緒なんです。いずれにしても楽しいひと時になりました。

 メニューの中にこんなのもあった。食用ネズミ「クイ」 鶏肉に近い感じとか。私はナイフが進みませんでした。

 

 きのう訪ねたアルマス広場はホテルのすぐそこ。チラッと夜の色を写してみました。

 

コメント
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