ファミリーディナートピック。
(毎週金曜日の夜は、家族で知恵やバリューについての話をしています。我が家は今のところ特定の宗教に属すということはないのですが、宗教的テキストからも大いに学ぶことがあると思っています。)
梯子の上の自分と梯子の下の自分(“Jacob's Ladder & The Baal Shem Tov’s Inferno”by YY Jacobseonを参考に):
ジェイコブは夢を見た。天へと続く梯子を下り上りする天使。梯子の上には「神」がいる。[Genesis 28: 12-13]
天使はなぜ下って上ってを繰り返していたのか?
様々な解釈がある中、ここでは「タルムード」の解釈を。
天使は、梯子の下にあるジェイコブのイメージと、梯子の上にあるジェイコブのイメージを何度か行き来し見比べていた。そして嫉妬により熱くなる。神は天使たちの嫉妬の炎を冷まそうと、上から扇であおっている。[Talmud Chullin 91b]
人には二つのイメージがあるとされる:
1.今の自分の姿(Who you are) 梯子の下のイメージ
2.自分がなれるだろう姿(Who you can be) 梯子の上のイメージ
1は、今この時点での姿。2は、自分であることを最大限生ききった姿。あなたはこうなれると「神」に元々形作作られた姿。この世に果たすために来たミッションを完遂した姿。真の姿。
夢の中の天使達は、ジェイコブの1と2が全く同じイメージであることに驚嘆し、こんな人間は見たことがないと嫉妬したと。「選択」というものは、人間にのみ与えられている。人間には瞬間瞬間の選択により、1と2のイメージを合わせていくことが可能。一方天使には、「選択」というものが与えられていない。
ジェイコブの息子ジョセフは、兄達に売られ、エジプトで奴隷として仕えていた主人の妻に、言い寄られる。故郷を離れ、奴隷として働くその家のみが、生きていくための全て。17歳の健やかな身体、目の前の誘いに今にも身を落とそうとする時、窓に、父ジェイコブの姿が映る。そして一気に自分を取り戻し、その場から走り去る。ジェイコブの1と2が合わさったイメージに、息子ジョセフは、梯子の上の自身を思い出したと。[Talmud and Zohar]
ウォーターゲート事件で辞職したニクソン氏。ホワイトハウスを後にする時、壁に並べられた歴代大統領の肖像画を眺め、JFKの画の前でこう話しかけという。「君がどうしてこれほどまでに人気があり続けるのか。君と私の違いが何か分かるかい? 君は国民が『こうなりたいと望む姿』なんだよ、私は国民の『今こうであるという姿』を代表しているんだ」
ユダヤには、「地獄」とは、炎燃えたぎり、ぐつぐつ煮える鍋に落とされ、針の山に横たわり、といったものではなく、二つの鏡を見比べることだという説明がある。「実際に生きた人生」と「生きることができたであろう人生」が映された二つの鏡を見比べること、その「違い」が大きければ大きいほど「地獄」なのだと。
ラクダの親子が話している。
ママ、どうして僕たちにはこんなぺちゃんと平たく大きな足があるの?
砂の上をはるか遠くまで歩くためよ。
じゃあどうしてこんなに長いまつげがあるの?
宙に舞う砂から目を守るため。
じゃあね、どうして背中にこんなコブをしょってるの?
長い間水や食物がなくても生きていけるように、脂肪を蓄えてあるのよ。
ふ~ん、じゃあもう一つ聞いていい?
ええもちろん。なに?
だったらね、どうして僕たちはこんな檻の中に暮らしているの?
多くの人生は、こんな動物園のラクダのようであると。これほど与えられているのに、活用するということがない。
自分自身の梯子の上のイメージを見つめてみる。そして、他者を前に、その人の梯子の上のイメージに向き合ってみる。
それは、師が生徒に対して、親が子に対して、という場合にも覚えておきたいこと。その子の、梯子の上の姿を見つめてみる。持てる力を最大限発揮する姿を。
ある夫婦が、ラビに相談に来る。父親が言う、9歳の息子にほとほと困り果てています。言うこと聞かず、嘘ばかりつき、盗みはするし、問題ばかり起こしている。私は分かっていたんです、あの子が三歳の時にこうなるだろうことを。あの三歳の時点で、あの子はもうこうなるだろうサインをいくつも放っていましたから。
ラビは答える。ではなぜ嘆くのですか? あなたの期待通りに成長しているじゃないですか。
子供達、かなり感じるところがあったよう。自分の梯子の上の姿、まだまだ出し切っていないポテンシャルを見つめるということ。
そして最後の9歳の男の子の話、ママよく考えてねと、長男長女。(笑) 確かに、子供達、私が何を見ているかに敏感に反応します。そういう目で見ないで! そういう話し方しないで! 彼彼女から、そんな言葉を聞くことがありますが、それは「そんな僕/ 私であらせないで!」という叫びでもあるのかもしれません。目の前の今ある姿を見止めつつも、その子のどんなイメージを見つめていくのか、心に留めていきます。
ママも心がけるね。あなたたちは、周りがどんなあなたを見ようが、どんなあなたを示してこようが、あなた自身で最大限の自分を見つめ続けてね、そんな言葉をかけつつ。
(毎週金曜日の夜は、家族で知恵やバリューについての話をしています。我が家は今のところ特定の宗教に属すということはないのですが、宗教的テキストからも大いに学ぶことがあると思っています。)
梯子の上の自分と梯子の下の自分(“Jacob's Ladder & The Baal Shem Tov’s Inferno”by YY Jacobseonを参考に):
ジェイコブは夢を見た。天へと続く梯子を下り上りする天使。梯子の上には「神」がいる。[Genesis 28: 12-13]
天使はなぜ下って上ってを繰り返していたのか?
様々な解釈がある中、ここでは「タルムード」の解釈を。
天使は、梯子の下にあるジェイコブのイメージと、梯子の上にあるジェイコブのイメージを何度か行き来し見比べていた。そして嫉妬により熱くなる。神は天使たちの嫉妬の炎を冷まそうと、上から扇であおっている。[Talmud Chullin 91b]
人には二つのイメージがあるとされる:
1.今の自分の姿(Who you are) 梯子の下のイメージ
2.自分がなれるだろう姿(Who you can be) 梯子の上のイメージ
1は、今この時点での姿。2は、自分であることを最大限生ききった姿。あなたはこうなれると「神」に元々形作作られた姿。この世に果たすために来たミッションを完遂した姿。真の姿。
夢の中の天使達は、ジェイコブの1と2が全く同じイメージであることに驚嘆し、こんな人間は見たことがないと嫉妬したと。「選択」というものは、人間にのみ与えられている。人間には瞬間瞬間の選択により、1と2のイメージを合わせていくことが可能。一方天使には、「選択」というものが与えられていない。
ジェイコブの息子ジョセフは、兄達に売られ、エジプトで奴隷として仕えていた主人の妻に、言い寄られる。故郷を離れ、奴隷として働くその家のみが、生きていくための全て。17歳の健やかな身体、目の前の誘いに今にも身を落とそうとする時、窓に、父ジェイコブの姿が映る。そして一気に自分を取り戻し、その場から走り去る。ジェイコブの1と2が合わさったイメージに、息子ジョセフは、梯子の上の自身を思い出したと。[Talmud and Zohar]
ウォーターゲート事件で辞職したニクソン氏。ホワイトハウスを後にする時、壁に並べられた歴代大統領の肖像画を眺め、JFKの画の前でこう話しかけという。「君がどうしてこれほどまでに人気があり続けるのか。君と私の違いが何か分かるかい? 君は国民が『こうなりたいと望む姿』なんだよ、私は国民の『今こうであるという姿』を代表しているんだ」
ユダヤには、「地獄」とは、炎燃えたぎり、ぐつぐつ煮える鍋に落とされ、針の山に横たわり、といったものではなく、二つの鏡を見比べることだという説明がある。「実際に生きた人生」と「生きることができたであろう人生」が映された二つの鏡を見比べること、その「違い」が大きければ大きいほど「地獄」なのだと。
ラクダの親子が話している。
ママ、どうして僕たちにはこんなぺちゃんと平たく大きな足があるの?
砂の上をはるか遠くまで歩くためよ。
じゃあどうしてこんなに長いまつげがあるの?
宙に舞う砂から目を守るため。
じゃあね、どうして背中にこんなコブをしょってるの?
長い間水や食物がなくても生きていけるように、脂肪を蓄えてあるのよ。
ふ~ん、じゃあもう一つ聞いていい?
ええもちろん。なに?
だったらね、どうして僕たちはこんな檻の中に暮らしているの?
多くの人生は、こんな動物園のラクダのようであると。これほど与えられているのに、活用するということがない。
自分自身の梯子の上のイメージを見つめてみる。そして、他者を前に、その人の梯子の上のイメージに向き合ってみる。
それは、師が生徒に対して、親が子に対して、という場合にも覚えておきたいこと。その子の、梯子の上の姿を見つめてみる。持てる力を最大限発揮する姿を。
ある夫婦が、ラビに相談に来る。父親が言う、9歳の息子にほとほと困り果てています。言うこと聞かず、嘘ばかりつき、盗みはするし、問題ばかり起こしている。私は分かっていたんです、あの子が三歳の時にこうなるだろうことを。あの三歳の時点で、あの子はもうこうなるだろうサインをいくつも放っていましたから。
ラビは答える。ではなぜ嘆くのですか? あなたの期待通りに成長しているじゃないですか。
子供達、かなり感じるところがあったよう。自分の梯子の上の姿、まだまだ出し切っていないポテンシャルを見つめるということ。
そして最後の9歳の男の子の話、ママよく考えてねと、長男長女。(笑) 確かに、子供達、私が何を見ているかに敏感に反応します。そういう目で見ないで! そういう話し方しないで! 彼彼女から、そんな言葉を聞くことがありますが、それは「そんな僕/ 私であらせないで!」という叫びでもあるのかもしれません。目の前の今ある姿を見止めつつも、その子のどんなイメージを見つめていくのか、心に留めていきます。
ママも心がけるね。あなたたちは、周りがどんなあなたを見ようが、どんなあなたを示してこようが、あなた自身で最大限の自分を見つめ続けてね、そんな言葉をかけつつ。
ありがとうございます!