靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

善のためにロバに乗り出発したからこそ

2013-06-23 11:38:07 | ファミリーディナートピック
昨夜のファミリーディナートピック。
(毎週金曜日の夜は、家族で知恵やバリューについての話をしています。我が家は今のところ特定の宗教に属すということはないのですが、宗教的テキストからも大いに学ぶことがあると思っています。)

悪について: A Taste of Text―Balak by Chana Weisberg、 Balak: The Talking Donkey by Simon Jacobsenを参考に。

なぜ悪いことが起こるのか? 
一つには、鍛えるため。良いこと続きで緩んだ感覚を揺り起こし研ぎ澄ますため。悪く思えることが起こったならば、鍛えられる機会として、最善を尽くす。よくないと思えることでも、見方を変えるならば、好機でもある。より努力が必要となる、その物事を通して成長させられる、より強くなる、より大きな壁を越えられるようになる。悪には、時に善にはない衝撃や勢いがある。そのはずみ迫力勢力を善へと生かす。


普段から、緩み切らないようにしておく。それが予防にもなる
今自分の置かれたいい悪いといった状況に関わらず、自分のペースでより良き方向へと自分を少しずつプッシュし続ける。少し不快さに身をおき、少しチャレンジを課し続け、自分で少しずつ無理するなら、「し過ぎ・張り過ぎ」にならない加減が分かる。すると、悪いことが起こったときも、乗り越える準備ができていて、また緩み過ぎていないところには、悪いことが入り込みにくくもある。


本質を思い出す
昼間、影遊びしていた子が、夜、壁に映った影を見て怖がる。同じ影であるのに、明るい時は、遊び・楽しむ対象が、暗闇に囲まれた真夜中には、不安を呼び起こすものに。コントロールできていたものに、コントロールされることに。影は、かつて灼熱の陽光からほっと憩いをもたらしたものであり、追いかけ踏み遊んだものであり、視点に奥行きを与えたもの。


「悪は幻」?
アブラハムが善のためにロバに飛び乗り早朝出かけ、その何世紀が後に預言者バラーム(Balaam) が呪いをかけユダヤの国を滅ぼすためにロバに飛び乗る。(聖書より) バラームがロバに飛び乗り早朝出発できたのも、何世紀か前に、アブラハムが善のために同じことをしたからこそ。悪は善の偽モノでしかないと解釈されている。

ユダヤの世界観にある、「悪は幻でしかない、神は絶対的な善であるのだから」

奴隷から始まり迫害され続けた歴史を持つユダヤの世界観に、こうあるのが感慨深い。この言葉を目にするたび、ホロコーストの屍の山が浮かび、なぜそんなことが言えるのだろうと頭を抱える。この世界観を理解するには、肉体、この世、個々の命といったものを超えた、まだ実現していない世界への視線が必要になるのだろう。結局は全て善きことのためだった、そう佇む時への視点。

そんなまだこの世には実現していない理想郷を見上げ続けるのは、確かに、進み続ける力を与えてくれるかもしれない。身近なところから。自身の内のネガティブなエネルギーを、より良い方向へと生かしていくことから。


良心の声に耳を澄ませて
ロバの前に剣を持った天使が立ちはだかる。ロバには見えるがバラームには見えない。なぜ止まるのだと怒り、ロバを打つバラーム。ロバが「なぜ私を叩くのだ、私は今まであなたに忠誠を尽くし続けてきたじゃないか」と口を開く。そこでバラームの「目が開き」、天使の姿が目に入る。(聖書より)

ロバはヘブライ語で「chamor:物質(matter)」という意味。悪の目的のために見えなくなったバラームの目を開かせるために、ロバ(物質)に口を開かせる必要があったと。

預言者バラームのように、最もポジティブになり得る力、霊的な力を、ネガティブな目的に使うほど悪いことはなく、その内面の崩壊も大きい。内面の崩壊は、魂をシャットダウンさせる。良心の声が届く隙間がなくなる。そんな状態の心に、メッセージを届かせるものが「物質」と。「その人が偉大であるほど、その人の悪(evil)の性向も強い」(タルムードより)という言葉があるように、突出した人ほど独特のチャレンジがあり、より強いディッシプリンが必要。

良心の声は、心に、身体に、響き続けている。心柔らかく、耳を澄ませていきたい。

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