靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

「ギフテッド」教育について、その四

2013-03-03 01:42:33 | 「ギフテッド」教育について
子供の力を伸ばすには
プログラムに子供を通わせる周りの方々を見ていて思うのは、親がいわゆる「エリート」かどうかということに関わらず、小さな頃からその子の好奇心を大切にし、興味を持つことに対して一つ越えたのならばまた次へと、陰からハードルを少しずつ高くしてやることに長けている方が多いということです。
プログラムに入っていようが入っていなかろうが、子供の能力を引き出し伸ばす子育てに共通するのは、周りに比べてのハードルの高さではなく、その子自身に向き合うことで調節される高さを用意し、自分でできた!という喜びを繰り返し繰り返し体験させ続けることだと思っています。目先の結果よりも、できるようになっていく過程を、親子で楽しんでいるような家庭が、子供の持てる才能を最大限引き出し伸ばしていくのではないかと感じています。  

努力の継続
 家の子供達は、謙遜でも何でもなく本当に普通です。「ギフテッド」の特徴としてよく挙げられる、「小さな頃からこれが他の子より際立っていた!」、そういったことはほとんど思い出せません。歩くのも一歳過ぎ、言葉も達者だったというわけでもなく、文字数字も三歳四歳から「教えられて」覚え始めましたし(二歳で勝手に読み始めたんです!というようなことは全くありませんでした)、パズルや何かを組み立てたり迷路などが大好きでしたが、それらも一緒に何度か遊ぶ内にそうなっていったのです。
 敢えて言うのなら、人の気持ちやその場でどう振舞ったらいいかについてはやけに敏感だったかなとは思います。やけに泣き虫だったり、過剰にお友達に気を遣ったり、小さな頃から周りのサインや張り紙を読んで欲しがり自分はここで今何をしたらいいのかと気にしたり(もっと伸び伸びしたらいいのにと気の毒に思ったものです)。それらの特徴も人の間で揉まれる内に、過度という程ではなくなっていきましたが。
 それでも、とにかく勉強面は亀の歩みでした。周りの子がぽんぽんと覚えていくことも、ああこの子達には何度か繰り返す必要があるんだな、よくそう思ったものです。そこで例え人より何倍も時間がかかったとしても、こつこつ歩き続けていこう、そう覚悟を決め歩き続け、そうして気がついたら、「ハイリー・ギフテッド」といったラベルをいただいている、今までの歩みをまとめると、そういったことのように思います。
 今、こうして「ギフテッド」とされる子供さんを持つ家庭と付き合う機会も多いのですが、「一回で覚えてしまって」「いつの間にかできるようになってたんですよ」、そんな言葉を聞くたびに、「そんなことがあるんですねえ」と感心してしまう私達です。
 家はこうして「こつこつ続ける集団」ですが、プログラムの中には、ああこういう子を天才というのかな、そう思うような子も確かにいます。それでもよく見ていると、その子達も、かなりの努力をしていることに気がつきます。しかもその努力というのも、ものすごい食いつき方と勢いと迫力なのです。そしてその勢いを情熱をキープし続けられる。「天才は99パーセントの努力」、そして「努力を努力と思わないのが天才」それは本当にそういうことなんだな、彼ら彼女たちを見ているとそう気がつきます。
 要は、周りなどはそれほど気にせず(ついつい比べて落ち込んだりしてしまうものですが)、その子にあったペースで、やり方で、こつこつ続けていくことです。周りのママやパパさん達が、自分の子供さんを指して「この子はどうせだめなのよ」と言うのを聞くことがありますが、家の子達の始まりよりもずっとずっとできてますよ、そう言いたくなることが多くあります。
歩き続けていく過程で、高いテストのスコアや、「ギフテッド」というような名称を手にすることもあるかもしれません。それでもそれらは目的なのではなく、その子の持つ才能が開花する過程に過ぎません。「ギフテッド」プログラムを卒業する子供達の進路も様々です、ストレートに大学に行き専門職につく子もいれば、シェフになりたい、まずは世界中を旅したいと、大学に進むことなく独自の道を歩いていく子もいます。
 家の子達も、今たまたまラベルをもらっていますが、それも、歩き続ける途中でいただいた、ほんのちょっとした印のようなものです(このラベルのおかげで、恵まれた学習環境を提供していただいていることは、ありがたく思っています。そしてこの環境をいただいた恩返しをする責任のようなものがあるのだとも)。自分たちにできる限りをし続ける、成長し続ける、日々こつこつと、そう進み続けていきたいです。


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