靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

パートナー、見上げる方向

2012-03-21 00:39:52 | 夫婦ノート
「口承律法」が収められたユダヤの聖典タルムード(ヘブライ語で「研究」の意)には「律法」と共にそれらの「律法」に関する何千年にもわたる様々な賢者の議論解説が書き記されている。一つ一つの「律」への様々な角度からの細密な議論展開が記されたタルムードを読むとき、ユダヤの「理性と信仰は共にあれる」という言葉を思い出す。

パートナーとの関係についての知恵として、強く心に残っていることの一つにこのタルムードにある「離婚」の項目をラビYY Jacobsonが論じたものがある。この論に触れた当時は頭で理解はしたもののなかなか心の奥深くにまで届くということがなかったのだけれど、後になってじわじわとその意味を噛み締めるようになっていった。

ラビYY Jacobsonは、タルムードの「夫が妻の内にふさわしくないモラル的問題(‘ervas davar,)を見出し、もし妻が夫の目に好意を見出さないとき、夫は離婚を決めることができる」”It will be if she does not find favor in his eyes, for he found in her an unseemly [moral] matter, an ‘ervas davar,’ then he may write a divorce." (Deuteronomy 24:1.)という箇所についての3つの異なる意見について論じている。

その3つの意見とは、
1. Shammai学派によるもの:厳しさで知られた学派。
衝動的でなく最大限慎重な調査に基づいた上で、モラルに反する不貞(infidelity)が認められたときのみ離婚できる。
2. Hillel学派によるもの:慈悲深さ(leniency)で知られた学派。
「例え妻が皿を焦がしたとしても」離婚が許される。
3. ラビAkivaによるもの:その妻レイチェルに対する献身と感謝が伝説になっているほど妻思いのラビ。「夫が妻より美しい女性を見つけたなら夫は妻と離婚してよい」

1は分かるけれど、2と3はどういうことなのか。字面通りとったらまるで「ハリウッドの倫理」のようじゃないか!とラビYY Jacobson。(笑)

2については、読み込んでいくと「わざと悪意をもって」夫に嫌がらせをし苦しませ続ける妻のことが取り上げられていることが分かっていく。それほどまでに妻が夫を疎ましく憎んでいる場合は離婚可能という意味。

3については、まずはラビAkivaについて知る必要がある。Akiva ben Joseph (ca.17–ca.137 CE)は貧しい羊飼いの出で読み書きもできなかった。裕福な雇い主の娘レイチェルは密かにAkivaが勉学することを支え、それを知った父親はレイチェルを勘当する。極貧の中でレイチェルはAkivaを支え続け、やがてAkivaはユダヤの中で最も知られた賢者の一人として語り伝えられることになる。2万人近い弟子を引き連れ帰宅したAkivaはレイチェルを指し「今の私があるのも今のあなたたちがあるのも、全て彼女のおかげだ」と言ったと伝えられている。

タルムードの議論の中心的存在でもあるラビAkivaの言葉には常に慈悲が愛が溢れている。

では、この3はどういうことなのだろう?これは「タルムードバージョンの男女関係、ロマンス」について述べているとYY Jacobsonは言う。離婚は「2つのレベル」で起こる、内面的と外面的。3は内面的離婚のメカニズムを表しているのだと。3の言葉の裏に真のパートナーとのあり方が表されている。ラビAkivaとレイチェルの見つめ合う姿が浮かび上がる。

魅力的な異性に溢れる世の中、隣で年老いていくパートナーが自身にとって一番美しく愛おしいと思える気持ち、それほどまでの内面的結びつき。外面的形だけのパートナーでない、内面的パッション・慈しみ・愛情・結びつきの深さ。様々な価値観の行き交うこの世の中で、私自身さまよい時には溺れもしてきたこの社会的価値観の中で、3のラビAkivaの言葉は見上げていく方向を示してくれる。


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