次女のサイエンスフェア・プロジェクト。クリスタルの実験をしたいと。ネットで調べて塩と砂糖のクリスタルが形成される過程や出来上がりを比較しようということに。
翌日夫と一緒にネットを見ていた次女、ロックキャンディー(砂糖クリスタル)を作ってみようというユーチューブを見てすっかりその気に。カラフルなロックキャンディーを作りたい!
次女の頭の中ではロックキャンディーと塩クリスタルの形成過程や出来上がりを比べよう!とできあがる。
ロックキャンディーを作るには容器に垂らした糸のみにクリスタルが形成されるよう溶液の表面や底にクリスタルがたまらないようかき混ぜたり、3日ごとに容器を交換する必要がある。
「ロックキャンディーを作るという目的と砂糖と塩のクリスタルができる過程や出来上がりを比較観察していこうという目的は同時には成り立たないかもしれないね。比較というのはなるべく同じ環境を整えるものでね、どちらかだけ違う手順をとっていたら比較ということにはならないのよ」と私。
「2年生なんだからそんな厳格に比較環境を整えるなんてことしなくてもいいんじゃない」と夫。
ここで一旦停止、次女にちょっと別のことをしていてと伝え夫と話し合い。
「科学的な実験というのは・・・」と私。
「楽しむというモーティベーションを大切にしてこそ・・・」と夫。
小さな子に対しての普段の姿勢を象徴しているような互いの言い分。私「教えていかなくては」、夫「まずは楽しく」。大きな子に対しては私「楽しさ」、夫「厳しさ」と立場が逆転してくる傾向があるのだけれど。
普段のわだかまりなども噴出し結構こじれて感情的な言い合いになる。(笑) 互いにちょっと頭を冷やして。
結局どちらも大切なことじゃないか、と同意。サイエンス・フェアは科学的な手順を習う機会でもあり、それでも楽しむというモーティベーションは大切。科学的な手順を学びながら楽しむということは可能なはず。
両方しようということに。砂糖と塩クリスタルの形成を同じ環境で比較観察しつつ、別のいくつかの容器にロックキャンディーも作っていく。「砂糖クリスタルでこんなこともできる!例」として。
次女大喜びでとりかかる。
1人では見えなくなっていく部分がある。見え方の違いを互いに尊重しつつ、見えない部分を照らし合えるような関係を築いていけたら。違いにイライラする、から、違いを生かしていこう、という発想の転換。洒落にならないバトルから小さないざこざまで日々体験しつつ、ようやく気づきつつある感覚。
共に創りあげたものは、1人で取り組んだものより何倍も豊かになっているはず。しかも「互いに違う」からこそより豊かに。シナジーというのはこういうことなのかもしれない、そう少しずつ学んでいる。
翌日夫と一緒にネットを見ていた次女、ロックキャンディー(砂糖クリスタル)を作ってみようというユーチューブを見てすっかりその気に。カラフルなロックキャンディーを作りたい!
次女の頭の中ではロックキャンディーと塩クリスタルの形成過程や出来上がりを比べよう!とできあがる。
ロックキャンディーを作るには容器に垂らした糸のみにクリスタルが形成されるよう溶液の表面や底にクリスタルがたまらないようかき混ぜたり、3日ごとに容器を交換する必要がある。
「ロックキャンディーを作るという目的と砂糖と塩のクリスタルができる過程や出来上がりを比較観察していこうという目的は同時には成り立たないかもしれないね。比較というのはなるべく同じ環境を整えるものでね、どちらかだけ違う手順をとっていたら比較ということにはならないのよ」と私。
「2年生なんだからそんな厳格に比較環境を整えるなんてことしなくてもいいんじゃない」と夫。
ここで一旦停止、次女にちょっと別のことをしていてと伝え夫と話し合い。
「科学的な実験というのは・・・」と私。
「楽しむというモーティベーションを大切にしてこそ・・・」と夫。
小さな子に対しての普段の姿勢を象徴しているような互いの言い分。私「教えていかなくては」、夫「まずは楽しく」。大きな子に対しては私「楽しさ」、夫「厳しさ」と立場が逆転してくる傾向があるのだけれど。
普段のわだかまりなども噴出し結構こじれて感情的な言い合いになる。(笑) 互いにちょっと頭を冷やして。
結局どちらも大切なことじゃないか、と同意。サイエンス・フェアは科学的な手順を習う機会でもあり、それでも楽しむというモーティベーションは大切。科学的な手順を学びながら楽しむということは可能なはず。
両方しようということに。砂糖と塩クリスタルの形成を同じ環境で比較観察しつつ、別のいくつかの容器にロックキャンディーも作っていく。「砂糖クリスタルでこんなこともできる!例」として。
次女大喜びでとりかかる。
1人では見えなくなっていく部分がある。見え方の違いを互いに尊重しつつ、見えない部分を照らし合えるような関係を築いていけたら。違いにイライラする、から、違いを生かしていこう、という発想の転換。洒落にならないバトルから小さないざこざまで日々体験しつつ、ようやく気づきつつある感覚。
共に創りあげたものは、1人で取り組んだものより何倍も豊かになっているはず。しかも「互いに違う」からこそより豊かに。シナジーというのはこういうことなのかもしれない、そう少しずつ学んでいる。
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