靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

悪口とは、宙を舞う羽毛のようなもの

2013-04-14 05:10:01 | ファミリーディナートピック
ファミリーディナートピック。
(毎週金曜日の夜は、家族で知恵やバリューについての話をしています。我が家は今のところ特定の宗教に属すということはないのですが、宗教的テキストからも大いに学ぶことがあると思っています。)

今週は「言葉の力」について話し合いました。


・ネットのチェーンメールなどでも出回っている話:
癇癪もちの女の子。母と相談し、怒って癇癪を起こすたびに庭のフェンスに釘を打っていこうと話し合います。一日目に20本、二日目に19本、一週間後に15本、そう減っていき、ある日一本も打ち込まなくていい日が!じゃあこれから一回も怒らなかった日には釘を一本一本抜いていくことにしようと。釘が全部抜けた日がやってきます。そこで母親が言います。「釘は確かに抜けたけれど、見てごらん、釘の跡がいくつも残っている。あなたが怒りの言葉を投げつけた相手の心は、この釘の穴のように、決して消えることはないのよ」

どんな言葉を相手にかけるかを気をつけること。


・誰もが良い面悪い面を持っている。悪口は、たとえ本当だとしても、その人の一面だけを強調し、ラベルを貼り、その人をそうしてしまうといった働きがあるということ。子育てにも、自分に向ける言葉にも気をつけたいこと。逆にいい面を強調した言葉かけをするのなら、実際にそうなっていくという面も。


・「悪口は、言った本人と、聞き手と、言われた人物の三人を殺す」(ユダヤの口承律法タルムードより)


・(Levit. Chapter 13聖書より):
Tzara’atという皮膚病にかかった者の治療は、明らかに誰から見てもTzara’atと分かったとしても、 Kohen(世襲の最高祭司)の言葉「unclean」によって治療が始まり、言葉「clean」によって治療が終わる。Tzara’atは悪口(slander)を言ったものに対する「神」の罰だとされる。言葉の罪、よって言葉に始まり言葉に終わると。その治療プロセスは、いかなる集団からも離れ、一人でさまよい、また戻るというもので、これは「悪口」がいかに人と人との間に隙間やひび割れを生み、一人一人に孤独感をもたらすかを、「一人でさまよう」に象徴させているといわれる。

タルムードに見られる悪口の定義とは:
1.例え事実でも、よい目的のない悪口。相手にとってよい目的のある「悪口」は含まれない。
2.事実でもなく、誰かを貶めようと作り上げたもの。
3.聞き手にその人物に対してネガティブな思いを抱かせようと意図した悪口


・古代ギリシャ哲学者プラトンの言葉:
賢者は言うことがあるから話す、愚か者は何かを言わなければならないから話す。(Wise men talk because they have something to say; fools talke because they have to say something)」


・枕から羽毛を取り出し放る。風が吹きあちらこちらに舞い。悪口とは、そんな羽毛のようなもの。全部集めて枕に戻そうとしたって、できやしない。(ユダヤの寓話より)


・私が実父に子供時代言われ、今でも心に刻まれている言葉。

「人と人とを離すことをしてはいけない」

人と人とを離す言葉を用いない。人と人との間を近づけピースを築く言葉を。
「ねえねえ、○○ちゃんあなたのことこう言ってたよ」その「こう」に入れる言葉を気をつけて。 


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