靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

「ギフテッド教育」に思う

2011-10-07 00:11:49 | 「ギフテッド」教育について
こちらには「ギフテッド教育」といわれるプログラムがある。「ギフテッド」は一般的に「先天的に平均よりも顕著に高い能力を持っている人のこと、またその能力を指す。その人物における高能力の傾向は誕生時から生涯にかけて見られる。外部に対する世間的な成功を収めることではなく、内的な学び方の素質・生まれつきの学習能力を持つことを指す」(ウキペディア)。

全米約38州に何らかの「ギフテッド」プログラムがあるといわれている。通常の学級では必要が満たされない生徒への救済措置として、障害のある生徒と同じ「特殊学級」という位置づけで公立学校のシステムに組み込まれている。

アラスカには二種類の「ギフテッド」プログラムがある。「イグナイト(ignite)」と呼ばれ、通常の学校に通う「ギフテッド」と見なされた生徒を週一回集め「ギフテッド教育」を行うというもの。何校かにある。もう一つが「ハイリー・ギフテッド(highly gifted)」と呼ばれる週5日終日のプログラム。一校(近所の生徒が通う通常の学級が3分の2、プログラムには全校の3分の1の生徒)。

「ギフテッド」の選別には学力テストとIQテストが用いられる。それらのテストで「ギフテッド」を見つけ出すことができるかどうかについては長い間議論されているけれど、結局今のところテストを拠り所にするしかない状況と言われている。アラスカの場合、「イグナイト」が認知テスト・学力テストで96パーセントタイル以上、「ハイリー・ギフティッド」が学力テスト98パーセントタイル以上、認知テスト・IQテストで99パーセントタイル以上という基準となっている。

上3人がこの「ハイリー・ギフテッド」プログラムに通っている。

この6年間ほど通ってきた中で様々思うことがある。私自身は上の「ギフテッド」の定義にある「先天的」「生まれつき」という言葉をあまり信じていない。そして多くの子が「ギフテッド」と見なされるポテンシャルを持っていると思う。家の場合は4歳くらいから文字や数などの抽象的概念を学び始めたのだけれど、子供たちの「やる気」「楽しみ」を中心に据えながらもいくつかの教材も試してきた。この4歳以降のやりとりがなければ、5~6歳で受けたテストが「ギフテッド」の基準を満たすことなどなかっただろうと確信している。周りを見ても同じような状況だと感じている。ふってわいたような「先天的ギフテッド」なんて多分このプログラムに通う約150人(年長から6年まで)中数人もいるかどうかなのじゃないだろうか、ひょっとしたらいないかも。これはあくまでも個人的な感覚なのだけれど。

じゃあ「ギフテッド」を「作り出した」のじゃないか、となるわけだけれど、子供たちの興味に答えないことを選択することが、より自然で「先天的」なのだろうか。小さな子の「知りたい、できるようになりたい」欲求はとてつもない強いものだと私は感じている、そしてそれを伸ばす方向へと手伝うのが親の役割なのだと。またその「とてつものない欲求」がギフテッドの特徴ともされるのだけれど、そんな欲求も、周りの接し方で伸びもすれば萎えもする。ここからが「先天的」というような境界を見つけ出すことは不可能であろうし、そしてそんなことに果たしてどんな意味があるのだろう。

プログラムの内容については、詰め込みでなく掘り下げ考えることを重視し、その子のレベルに合わせ学年を飛び越えて学ぶことができる。「退屈させない」ためにチャレンジ満載、方式を教えるよりも方式を考え出すような教え方、ストレートに答えを教えるよりも「なぞなぞ」のような形式。低学年から解剖したり(イカやムースの目や)、様々な分野のかなり専門的な用語も学び、福祉関係のボランティアが授業に取り入れられていたり、と毎日濃い授業内容。進む速度も速く「だいたい通常の学校が3日かけてすることを1日で」と担任の先生が言っていた。教師は皆「ギフテッド教育」専門の資格をもっている。

クラスは少人数、感情面社会性をケアする専門家も配属されている。

夫と私がこのプログラムを選んだ大きな理由が、このカリキュラムの内容そして待遇のよさだった。生徒一人一人がより信頼され尊重されている(先生によって確かに色々あるけれど)。

私が強く思っているのは、子供は「そう扱われることでそうなっていく」ということ。以前このブログに書いたことがあったけれど、イギリスで行われた実験に、学期始めに最下位と最高位のクラスを教師に入れ換えて教えたところ、学期末には最下位と最高位が入れ換わっていたというのがある。一人一人が尊重され「ギフテッド」(与えられたgift)として扱われるのなら、子どもたちはまさしく「ギフテッド」になっていくのじゃないだろうか。

昨夜こんな記事(10月3日のもの)を見つけた。「ギフテッド」という境界を設けることへの批判、そしてDuke大学での実験が紹介されている。10000人の生徒を対象に「ギフテッド」とされる生徒を教えるメソッドを使ったところ、しばらくして「ギフテッド」と見なされる基準に20パーセントの生徒が達したと、通常のメソッドのクラスでは10パーセントだったのに対し。

一人一人が「ギフト」として扱われること、それは教育の根幹にあるべきなのじゃないだろうか。そして「一律のテスト」なんかで掬い上げられた一部だけを「ギフテッド」と呼ぶことのナンセンス。

私自身「ギフテッド」という枠組みに疑問を持ちながらも、そのカリキュラム内容や待遇ゆえに、待ったなしで成長し続ける子供たちをひとまずは通わせている状態だ。子供たちも今のところ楽しそうに通っている。プログラムは高校まで続いており、その後の進路は様々と聞く。大学へ行かない生徒もいる。

一人一人誰もが持っている「ギフト」を最大限伸ばしていくには? 自身に問い続けていきたい。


最新の画像もっと見る

10 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ケンタウロス)
2011-10-07 01:32:42
この間の「仲裁者(ミディエイター)」といひ、

今囘の「ギフテッド」といひ、

日本では聞いた事がなく、

單に私が知らないだけかも知れませんが、

海外は凄いなと思ひました。

日本でも取入れるべきではないかと思ひます。
Unknown (旅人パンダ)
2011-10-07 04:38:31
詰め込みでなく掘り下げ考えることを重視~本当に必要な事ですよね!
Unknown (lesleemama)
2011-10-08 00:30:57
一般の学校も
このような教育を目指して欲しいですよね
急がずゆっくりでも・・・・。


Unknown (OYABAKA)
2011-10-09 13:43:09
ギフテッドねえ...
最初はいいプログラムだなあと思っていたのですが、私も色々疑問を持ち始めています。
疑問というより、経験から感じたこと。。。。
うちの場合は、イグナイトでお世話になったあと、転々と移った学校で兄妹、ギフテッドに入れてもらいましたが、たいていの所では、イグナイトと同様週1日か、多くても2日それも終日ではなく、1-2時間だけのこと。
そしてたいていの場合は、アカデミックのアドバンスプログラムではなく、エンリッチメント、それはそれでいいのですが、ウチの場合、塾にも行っていない、家でも特別に学校よりもすすんでいることを教えていたなかったので、うちの子供達にとっては、
エンリッチメントのために週1、2回にしても一般の授業、特に算数をスキップしなければいけないことは、それなりに痛手でした。
お宅の3人が通っている“ハイリーギフテッド”小学校の様に、終日ギフテッドの子供達だけを対象に、アカデミックな面でもエンリッチメントの面でもも巧みに組まれたスケジュールの中でギフテッドの授業を受けられるのだったら、かなり状況は違うのでしょうが。
なによりも少人数生というのがすばらしいですよね。そういうプログラムだったら絶対価値はあると思います。

今住んでいるカリフォルニアの現状としては。。。
最近財政困難の続くカリフォルニア州では、教育分野でもかなり予算が削られ、一般の公立の学校ではギフテッド(GT)クラスどころではない状態になってます。去年娘の通った小学校では、1クラスが40人近くの大人数、GTクラスは3ヶ月ほどの限定期間だけ週1日だけ授業後に行われました。
今年から通い始めた中学校では、去年までは1年を通して週1日授業後にGTクラスが行われていた様ですが、今年からはその予算が全面カット、先日の学校からの説明では、GTクラスは1ヶ月に1回に減らされるとのこと、その上もしかすると資格を持っている教師ではなく、父兄がボランティアーで教えるかもしれないとのことでした。こうなってしまうと、GTというより、普通のクラブか特別活動のような感じです。というより、私の感想としては、ここでの”ギフテッドクラス”は(この辺りは、教育をかなり重視するアジア人が多くすんでいる地域)、単に親が”うちの子は、普通の子より出来がいいのよ!”というレッテルをはって自慢するだけのようなものの気がする。GTとしての機能を果たしているというより、一種の人種差別のような存在になってしまっている様気がします。

それよりも、中学校から行われている、それぞれの科目によってその子供にあったレベルにすすめるシステムの方がずっと効果的なのかも(例えば、アルジブラ1は普通なら、9年生で習うところだけど、すすんでいる子は7年生や8年生の時に取ることができる。とか、高校に入ると普通のクラスよりもハイレベルなHonorクラスとか、カレッジの単位が取れるAPクラスもある)。でもこういったシステムは、要するにアドバンスの教育を供給していることだけのことであって、”ギフテッド”とクォリファイされた子供達の必要としている学習方法を満たすものではないかもしれませんね。マチカさんが載せていたリンクの記事の様に、理想的に言えばすべての学校が教育を見直してハイリーギフテッドスクールで行われている様な教育方法を取り入れ、先生:生徒の低いレーシオを保って行ければ、普通と思われている子供達にも今までに見られないすばらしい点が発見されるんじゃないかしら。。。マチカさんが書いてた様に、色々な点は違ってもすべての子供がギフテッドだよね。一人一人のニーズにあった教育が行われれば、各々が持っているギフトを見いだせることができるのでしょうけどね、これってホントに理想で、今の現状では悲しいけど、不可能なのでしょうね。

ごめんささい、コメントなのに、かなり長くなってしまいました。
ケンタウロスさんへ、コメントありがとうございます! (マチカ)
2011-10-10 00:44:53
私も日本に暮らしていたら知ることがなかったと思います。日本も取り入れるといいシステムやメソッドもたくさんあるのだと思います。そして日本からもっと発信していったらいいものもあるはずです。

この「ギフテッド教育」という枠組みが日本に浸透しないだろう理由としてウキペディアに「欧米の機会平等主義に対して日本が能力平等主義であること、一人一人の人間が天・神によって創られているという欧米の宗教観に対して日本では血にこだわる素朴遺伝観が強いといった差が要因にあると言われている。」また「欧米では習熟度別指導が早くから導入され,一般化しています。一般的にいわれていることですが,欧米では人間の成長・発達というものは一人ひとり違っているという前提が受け入れられているのです。それに対して,日本では“努力すれば,勤勉であれば,人間は皆同じペースで成長・発達していくものである,あるいは,いくべきである”と考えられています。 実は,欧米では「習熟度別」とはいわず,はっきりと「能力別」というのです。能力というのは生まれつき,その人に備わっているものです。その能力に応じて指導しようというのです。他方,日本語の“習熟”という言葉は,くり返し学習するようにすれば,誰でも一定のレベルに達するべきである,と理解されます。」(加藤幸次)というのがありました。

これを読むと私自身もかなり日本人だなと思います。それでもこちらでも「ギフテッド教育」という枠組みに対しての論争はずっと続いています。取りやめる州も多くなっていると。

私自身も「枠組み」は必要ではない、ただこの「単に覚えるより考える」メソッドはもっと広められるべきじゃないのか、と思ってます。そしてもっと多様なギフトを見出し育てていける方法も開発されていったらと。一人一人の違ったギフトがもっと生かされるようなシステムであったらと。

引用が長くなってしまいました。感謝を込めて。
旅人パンダさんへ、コメントありがとうございます! (マチカ)
2011-10-10 00:50:39
そう思われますか! 私も重要だと思ってます。そして多くの子供たちにとって必要な姿勢だと。
lesleemamaさんへ、コメントありがとうございます! (マチカ)
2011-10-10 00:57:11
私もそう思います。

ペースは速くなくても、詰め込みでなく自身の頭で考え出すような姿勢は多くの子供にとって必要な姿勢だと。そして一人一人のギフトが尊重される教育であったらと。

ありがとう。
OYABAKAさんへ、コメントありがとうございます! (マチカ)
2011-10-10 06:47:06
様々な州を移るなか、終日のプログラムというのはなかなかなかったのですね。週一、二回通常の授業を抜け出し、習うはずだった箇所を飛ばして、というと後から余分に家で補うなど必要になりますものね。しかもエンリッチメントのために、となると納得できなくもなりますね。

週一に通常の授業を抜けるプログラムに入っていたのですが、皆で集まってピザ食べて、時間的にも大したことはできないのに、何だか自分たちはできるんだ、というような変な意識だけが植え付けられているようであまりよいとは思わなかったと言っていた知り合いもいました。彼女は結局ホームスクールをしてました。かといって週一の集まりをとても楽しみにし大満足の家族も知っています。

カリフォルニアの教育費削減のニュースは耳に入ってきます。限られた予算の中でどこを削るかといえば、「ギフテッドプログラム」なのでしょうね。しかも元々進歩的な州、「エリート養成」的なものへの批判は強いですよね。「ギフテッド」という言葉なんか無くしてしまって、こういうメソッドを使ってますが来たい人はどうぞ、学年もないようなものにして、その子その子のレベルに合わせて、というようにしていくといいのに、と思うのだけれど。

授業後に、父母がボランティアで、というのは教える父母によってとてもよいものになる可能性もあると思うけれど、もしただ単にそういった「枠組み」を優位感を持つためだけに、というような集まりなら考えてしまいますね。私自身の内にも、そういった本末転倒なおごりがないか自省していきたいです。

中学からの個人のレベルに合わせてAPやHonorなどのクラスが取れるというシステム私もいいなと思います。そこで掘り下げて考えるようなアプローチがとられていくといいですね。先生によってかなり違いますね教え方。先生の大きさ、身にしみてます。

>理想的に言えばすべての学校が教育を見直してハイリーギフテッドスクールで行われている様な教育方法を取り入れ、先生:生徒の低いレーシオを保って行ければ、普通と思われている子供達にも今までに見られないすばらしい点が発見されるんじゃないかしら。。。

本当にそう思います。「そう扱えばそうなっていく」のだと。理想はありますが、理想から離れたこの現状で日に日に育っていく目の前の子供たちをどうしていくか、と今の時点で最善と思える選択をしていく必要もあり。

システムをよりよくしていくために今できることは、この目の前の子育てでもあり、と自分に言い聞かせています。未来の世界を創るのは子供たちであって。彼らにはこの恵まれた環境を生かし恩返ししていく責任のようなものがあるのだと思ってます。それは多分親の「期待」というようなものを超えたものであるはずで。押し付けのプレッシャーにならないよう、気をつけつつ、「学ぶ楽しみ」をコアに。

様々な事例、とても勉強になりました。息子君、娘ちゃんたちのこれからを楽しみにしてます。感謝をこめて。
Unknown (Kazumi)
2011-10-10 13:39:09
なるほど、ギフテッドってそういう授業内容だったんですね。
私も、ギフテッドの定義の「生まれつき」や「先天的」は信じてません。
そういう人も稀にいるんだろうけど。。。
長女がアラスカに居たときに、ギフテッドの対象になるだろうからテストを受けるようにって言われたんだけど、長女は昔からお絵描きの延長で私と勉強(と言っても本人が楽しめる範囲で)してたのと、負けず嫌いなので成績が良かっただけで、実際の能力は凡人なのはよくわかっていたし。
結局引っ越しでこのテストは受けなかったんだけど、こういうプログラムなら貴重な体験が出来て子供達にとって良い事だね。
それにしても、子供は「そう扱われることでそうなっていく」っていうのには納得。私も子育てしているなかで強く思いました。
人間誰しも自分の小さな努力でも認めてもらえたら、もっと頑張れるし、伸びて行けるもんね。
Kazumiさんへ、コメントありがとうございます! (マチカ)
2011-10-12 06:13:28
確かにものすごい記憶力をもっていたり、瞬時に深く詳細まで把握してしまう、というような人は稀にいますね。

ただトレーニング次第で時間はかかろうともある程度同じようなレベルに達することは可能だと思ってます。教育は全ての子供たちがギフトを持っているという前提の上で、より多くの子どもたちがより深く学べるための学習法の開発改良や多様化にもっと重きをおくべきなのだと思ってます。一部だけを一律の測りでより分けてギフトと呼ぶのでなく。

長女ちゃん引越し前にそういうことがあったんだね。お絵かきの延長でKazumiさんと勉強してたんだ。ママと新しいことを学んだり問題を解いたりして過ごしたこと、長女ちゃん一生覚えているだろうね。小さな時のママと楽しく学んだ体験ってその後の勉強面にとってもとても大きいように感じてます。

プログラムの内容はとてもいいと思ってます。長女ちゃんもきっと楽しむと思いますよ。

Kazumiさんが子ども時代皆にネガティブにとられていた面をある先生にポジティブにとってもらったことがあって、そのときの先生の言葉や出来事が強く心に残っている、と言っていたのを覚えてます。私も似たような経験があります。

可能性を見てもらえる信じてもらえるということは子どもにとってとてつもない大きなことだと自分の体験からも子育てを通しても思ってます。

>小さな努力でも認めてもらえたら、もっと頑張れるし、伸びて行けるもんね。
本当だね、子どもたちにもこういった出会いがあるといいなと思ってます。私自身もそういった姿勢で子どもたちに向き合っていけたら。

シェアしてくれてありがと~。
Have a wonderful week!



コメントを投稿