靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

子供とパン、生き続けるということ

2014-02-02 06:50:28 | ファミリーディナートピック
ファミリーディナートピック
(毎週金曜日の夜は、家族で知恵やバリューについての話をしています。我が家は今のところ特定の宗教に属すということはないのですが、宗教的テキストからも大いに学ぶことがあると思っています。)

ダビデ王の死体と腹をすかせた犬("A Dead King and Hungry Dogs" by YY Jacobsonを参考に):

 ダビデ王は、庭の階段から落ち、亡くなった。ステップのひとつがはずれたためという。『トラ』(聖典、広義には「人生の知恵」)を学び続け、落ちた瞬間に学ぶことを止めた途端亡くなり、天使が迎えに来る。その日は、サバス(完全なる休息日)。「サバスに弔ってならない」という戒律があるため、ダビデ王の死体は、庭に横たわったままとされた。
 ダビデ王の息子が賢人に尋ねに来る。「父の遺体が庭に横たわっています。太陽に照らされ、腐敗が進んでしまう。父の犬達が腹をすかせて吼え続けています、餌をあげるべきでしょうか?」
 賢人は答える。「犬に何か動物の死体の餌をやりなさい、ダビデ王の死体の上に子供かパンを乗せ、家の中に運びなさい」
『トラ』より


ダビデ王の息子の質問、そして賢人の答えの意味とは?

 後世までユダヤの英雄と語り継がれるダビデ王、その背景には、人妻の夫を戦いの前線に送り、夫が亡くなるとその妻を娶った(その妻との間にソロモン王が生まれる)など、ネガティブに噂される面もあった。「盗み」は高さのある崖から落とされるという罰が当時あり、階段のステップがはずれ落ちるというのは、その罰に違いない。またベッドではなく、突然階段から落ちて亡くなるなんて、やはり、報いを受けることになったのだろう。亡くなった後の準備がされることなく、王が突然いなくなった国では、そんなゴシップも沸き立っていた。

 「犬が吼え続ける」とは、このゴシップを言う人々を象徴している。犬が象徴する「忠誠」には二種類あるという。1.どんなことがあろうとも主についていく忠誠、そして、2.誰であろうと何かを与えてくれる者に尻尾を振りついていく忠誠。このゴシップをいう人々はこの2にあたる。彼らがダビデ王に対してネガティブなこと言い続けるのは、善悪を正すためではなく、ただ新しい国でのよい立場が欲しいだけのこと。キャリアを与えてやりなさい、彼らの望むポジションを与えてやりなさい、そうすれば彼らは黙る。そして新しい主にも喜んでついていくだろう。

 ダビデ王の上に乗せられる「子供かパン」は、彼が「この世に残したもの」を象徴している。学び続けること、「教育」の大切さを体現し教え伝え、物質的にも精神的にも人々を豊かにしたダビデ王。それらを死体の上に乗せることは、ダビデ王は今も生きていることを意味する。生きている人を家の中に運ぶことは、何ら戒律に触れることはない。


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ある師と学生が歩いていると、強烈な死臭がただよってくる。炎天下に横たわる死体。学生が鼻をつまみ「うわあ、こりゃ堪えられません」と悲鳴をあげる中、師は「見てごらん、あの歯の白さを!」と示す。

師は、どんな時でも、その者の光る面を見い出す姿勢、ネガティブ面に、光る部分を覆い隠させない姿勢の大切さを教えたという。

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先週、子供達を公園で遊ばせながら、学校のこと、子育ての悩み葛藤についてなど話していると、「結局、こうして生きている意味って、どれだけ次の世代に残せるかってことなのよね」とさらり言う友人。一瞬びっくりして「えっ?」と彼女の顔を見る。するといつものようにニコニコとしながら、もう一度同じ言葉を繰り返してくれた。目の前の日常が、はるかかなたの視線と合わさった瞬間。ダビデ王の話を読みながら、あの公園での瞬間を思い出した。


・人に物事に、光る部分を見出し続けていくこと。

・過去未来の中継者としてできる限りをしていくこと。


思い出していきます!


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