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靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

「本気」

2011-01-03 00:00:58 | 思うに
十数年前、まだ学生だった頃、熊野を旅した。

海岸の寝袋のなかで一晩明かし、ふらりと立ち寄った雑貨屋で、「修験道に会わせてあげよう」、という話に。

絵描きの奥さんと二人で暮らす修験道といわれる方の家で、様々な話を聞く。

壁には「本気」という文字。

「気の本。私は、本気で歩き、本気で食べ、本気でトイレに行き、本気で坊主をしているのです。」


新年を迎え、「本気」ということを思った。はちゃめちゃだった懐かしい昔を少し思い出しながら。

「本気」、で暮らしてみよう、と。


ユダヤとの交流、そして「日本人・日本的なるもの」

2010-12-02 00:57:33 | 思うに
過去にユダヤ教のラビ一家と家族ぐるみで親しくしていた時期があった。たくさんのことを学んだように思う。外から覗いた立場だったけれど。

ユダヤ暦に従い、年に何度か行われる祭や儀礼。それらの意味が、明確に何千年もの間受け継がれている。用いられる道具や食べ物一つ一つの象徴的意味までも。

例えば「ハヌカ」でいえば、油を使った料理は紀元前150年頃に起こった聖油の奇跡を、ドレイドル(独楽)ゲームは教典の勉強をギリシャ人により禁止されたときのこと(独楽回しで教典の勉強をしていないふりをした)を、象徴している。何千年もの間、毎年繰り返される祭や儀礼を通し、何代にも渡りユダヤの歴史が明確に受け継がれていく。

祭・儀礼だけでなく、日々の生活の隅々まで行き渡る何千年も受け継がれた決まり。一つ一つの決まりに関する何世代にもわたる議論が書き記される教典もある。

書かれた歴史、受け継がれるシステム。度重なる迫害・離散を経たことがこういったシステム確立を促していったともいえるのだけれど。


こちらに暮らし、母となり、「日本人であること・日本的なるもの」を伝えるシステムの未熟さを痛感している。

元々、根がアナーキーなのでそもそもそういうことを伝えていくことの意味も考えてしまう。

多分、「いいとこどり」でいいのではないだろうか。過去の過ちを反省しつつ、悪かったことにもきちんと向き合いつつ、「日本的」ないいもの、他の文化・人々のいいところ、それらを組み合わせて「地球的ないいもの」を創っていく。「日本人・日本的なるもの」を掘り下げていくのはその「地球的なるいいもの」創造の過程という文脈でこそ意味を持つ、というように。

では受け継いでいきたい「日本的なるもの」とは。模索していきたい。

最近の一言二言

2010-10-04 00:00:17 | 思うに
仕組みにフィットできず 外れてしまう者に

生きるために最低限の環境を提供するのは

その仕組みのなかで富を享受する者の 責任なのかもしれない


たまたま今回生まれ出た仕組みのなかで

うまく泳いでいける 

環境や 考え方に恵まれただけのこと


仕組みをはずしたところに 残るものは 

受け取る受け取らない

2010-09-22 00:01:31 | 思うに
小学校で娘が担任の先生から聞いた話。


先生の娘さん、ある日泣いて帰ってきた。

先生の娘: 何々君がね、私のことバ~カって言ったの。

先生:   それで貴方は貴方のことバカだと思うの?

先生の娘: ・・・。思わない・・・。

先生:   だったらそれはもう貴方の問題じゃなくて、何々君の問題よ。あなたが傷つく理由は何もないのよ。


こういった教え方をするんだ、と少し驚く。身に覚えのない罵りから、自身の心を守る法を小さなうちから身につけておくのは素晴らしい、と思う。

受け取る受け取らないを自身で判断する練習。


ただ気をつけないと諸刃の剣でもあるな、とも思う。

世界的な批判を浴びながらもアメリカが突き進んでいった内の仕組みが少し見えた気にもなる。

「的を得た指摘」が「身に覚えのない罵り」へと自身の内ですり替わり、果ては「相手の問題」で終わる。自らを省み改善していく機会を失ったまま、とならないよう気をつける必要があるのだろうな。

自戒。

80 と 20

2010-07-06 00:01:12 | 思うに
80パーセントできていて、20パーセントできていない。


80パーセントのできている部分を、認識しあい、祝いあい、感謝しあう。

その上で20パーセントのできていない部分をどうするかの話し合い。
批判に終始するのでなく改善策、解決策を創造的に生み出すような話し合いへ。


忙しく話し合う機会が少なくなるほど、
口を開ければ20パーセントのできていない部分への批判的言及のみ、となることが多い。

忙しく話し合う機会が少ない時ほど、
80パーセントを認識しあい祝いあい感謝しあう努力を。


できている80パーセントを互いに認識しあえているという土台がしっかりしているほど、
残り20パーセントが改善されやすい。
土台がしっかりしているのなら、不可能に思われたことを可能にさえできる!場合もある。(笑)


80・20という割合は、事象によって変わるというより、常に80・20くらいの割合で、できている・できてない部分をとらえるというイメージ。
必ず80パーセントはできている部分があるはず。



近い関係ほど、忘れてしまいやすいこと。

今日の一言二言

2010-06-25 23:00:57 | 思うに
言葉を発するのは いずれは崩れる積み木を 積み重ねる作業に似ている

天までとどけと積み重ね続け 高くなればなるほど崩れ落ちる確率も高くなる

崩れ落ちた後の静けさ

この静けさに出会うために 今日も言葉を発するのかもしれない

今週の一言引用と一言

2010-06-22 23:55:45 | 思うに
「教育とは、バケツを満たすようなものではなく、火を点けるようなものだ。」

"Education is Not the Filling of a Pail, but the Lighting of a Fire"
                   by William Butler Yeats (Poet, 1865-1939).



「火を点ける」には、まずは教育者が内に炎を燃やし続けているか、だ。

自身の内の炎が消えてしまっていては、相手の火を点けることなどできやしない。

相手をインスパイアーするには自身が常にインスパイアーされているか、だ。

まずは自身が「そうある」こと。