靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

他者に対しては

2011-09-07 21:48:29 | イメージ・ヴィジョン
「どう反応するかは自分の選択」

というのは自分が自分に向ける言葉


目の前で悲しみ苦しんでいる人に

「それはあなたの選択なんだ、あなたが苦しむと選択しているからなんだ」

と言うのは 

傷を負ってどくどくと血を流している人に

「痛いと思えば痛くないから」

と言っているようなもの


目の前で悲しみ苦しんでいる人がいるのなら

傷の手当てをし 痛みに共感し 寄り添う


他者に対しては 共感し寄り添う

それが他者に対する自分というものの役割

思考を抜ける方法

2011-08-29 00:02:24 | イメージ・ヴィジョン
思考の中でもがいて苦しむ


出口のない思考から抜ける方法に

「観る」ということがあるのかもしれない


一点を観るということに集中してみる

思考にはまっている状態 と 観ている状態 のコントラストを身体で覚えていく


不安や苦しみを感じ始めたら 観ることに集中してみる

頭の中に駆け巡る言葉は遠のいて行き もう思考の中にとらわれていない自分が確かにいる

不安や苦しみは溶け 温もりに身体が包まれていく




このエキソサイズ、私にとってとても有効です。とてもシンプルなことですが。

生まれ変わったかのよう、といっても過言でないほどに。

思考にはまる癖がついているので、コンスタントに。思考面も、感情面も、随分と軽く楽に。


以前の記事「七つの実り」でいうと、オリーブ(もがき)にありながらも、

ナツメヤシ(ピース)の存在を思い出すということなのかもしれない。

思考自体が不必要なのではなく、思考にはまることが不必要なのでしょう。

内に無限の源があるとして、

2011-08-26 03:26:43 | イメージ・ヴィジョン
内に無限の源があるとする

ではその源に触れることで この現実の生活にどんな変化が起こるのか


「自分のエゴを太らすため」が「自分のため」である

という「錯覚」から覚めてくるのかもしれない

エゴが自分の生存に必要だという「錯覚」から 覚めていく


エゴを太らすという方向の先にあるのは 

結局は自分という肉体を存続させる環境の滅亡 

すなわち自分という個の消滅である


無限の源では自分と他人という境界などない

それでも現実の世界では肉体という境界によって分けられる個が存在する

それらの個にエゴがまとわりつかないのならば 

真にそれぞれの個が持つ異なる力を合わせることができ 

「自分のエゴのため」や「他人のエゴのため」でなく

真に「自分のため」であり「他人のため」である環境作りが 可能となっていくのだろう

夢物語のようだけれど



ところでこの「エゴ」がまた曲者だ

善の姿をした「エゴ」もあれば

悪の姿をした「エゴなし」もある

そして油断しているといつのまにかするりと 目的地が「エゴを太らす」にすり変わっていたりする


無限の源に触れ続けること それがエゴを察知しエゴを掃除していく方法なのだろう 

相反して見える

2011-08-24 03:33:55 | イメージ・ヴィジョン
相反して見える存在


改善の余地が大有りで 

あるがままなんかでいいわけもなく 

前へ進み続けるからこそどうにかなるはずである という存在


同時に


そのままで既に欠けるものなどなく 

かつてそしてこれからも完璧でなかったことなどなく 

どこへいかずとももう完全である という存在



有限であり 無限であり

人は相反して見える構造から成る存在なのかもしれない

生には相反する両者があり 死は後者のみ



もし 前へ進む過程で 疲れたり 傷ついたり もうだめだと思うのならば

自身が常に相反する存在であったことを 思い出してみる


常にあるがままで既に完璧であり 

何が起ころうとも 何ものによっても 損なわれることも傷つけられることもない自身であったことを


自身でありもう自身でもないこの無限の自身に触れることで 

癒され 再び前へと進む力が 湧き起こるだろう 

その部屋を飛び出して

2011-08-19 02:22:43 | イメージ・ヴィジョン
自分がどんな部屋にいるのか「分かった」と思うのなら

その部屋を飛び出してみる


命が躍動し始める


分からない部屋で 無我夢中に動いてみる ぶつかりながら

ここに壁があり そこには机があって 窓から差し込む光はあそこまで達し


再び元の部屋に戻るとき 分かりきっていたはずの部屋にも 

まだまだ分からないことがたくさんあったと 気がつくかもしれない



そんなことを繰り返すうち 

自身の中心にある 分かった/ 分からない を超えた感覚は 

ますます「感覚としてのみ」 身体に染み付いていくのかもしれない

その物語を

2011-08-17 00:00:13 | イメージ・ヴィジョン
その物語にどっぷりと浸っていればいるほど 

その物語を手放すことでたどり着く感覚が より確かなものとなる


その物語を築くことに無我夢中であるほど 

その物語を手放すことでたどり着く力が 身体に染みわたる 


その物語を信じれば信じるほど 

その物語を手放すことでたどり着く力のすさまじさを 知ることになるだろう


目の前に垂れ下がる

2011-08-15 00:37:52 | イメージ・ヴィジョン
日常が全くの同じ繰り返しで つまらないものに見えることがある

そんなときは 自身が作り上げた同じ映像を 繰り返し見ているだけであったりする


目の前に垂れ下がるスクリーンを外し 今の情景を 今の動きを見る

すると 日常が生き生きと鮮やかに 色を 匂いを 躍動を 取り戻すかもしれない