靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

思考を抜ける方法

2011-08-29 00:02:24 | イメージ・ヴィジョン
思考の中でもがいて苦しむ


出口のない思考から抜ける方法に

「観る」ということがあるのかもしれない


一点を観るということに集中してみる

思考にはまっている状態 と 観ている状態 のコントラストを身体で覚えていく


不安や苦しみを感じ始めたら 観ることに集中してみる

頭の中に駆け巡る言葉は遠のいて行き もう思考の中にとらわれていない自分が確かにいる

不安や苦しみは溶け 温もりに身体が包まれていく




このエキソサイズ、私にとってとても有効です。とてもシンプルなことですが。

生まれ変わったかのよう、といっても過言でないほどに。

思考にはまる癖がついているので、コンスタントに。思考面も、感情面も、随分と軽く楽に。


以前の記事「七つの実り」でいうと、オリーブ(もがき)にありながらも、

ナツメヤシ(ピース)の存在を思い出すということなのかもしれない。

思考自体が不必要なのではなく、思考にはまることが不必要なのでしょう。


最新の画像もっと見る

6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (旅人パンダ)
2011-08-29 05:36:43
勉強になります!
返信する
Unknown (こころ)
2011-08-29 09:36:05
思考を楽しむくらいがいいということでしょうか。
返信する
Unknown (よっしー)
2011-08-29 23:34:36
コメントにて失礼させていただきます。

なるほど。一度試してみたいです。最近、考えるということよりも、心にある不満や、不安からか、それを打ち消すための妄想を勝手に作り上げて、ぼおっとしてしまうということがあり悩んでいます。思考とは呼べない、妄想の状態ですが、きっと効果があるかもしれません。

返信する
旅人パンダさんへ、コメントありがとうございます! (マチカ)
2011-08-30 11:57:55
私も勉強中です! こうしてシェアできる方がいて嬉しいです。日々の気づき、ありがたいですね。
返信する
こころさんへ、コメントありがとうございます! (マチカ)
2011-08-30 12:47:23
きっと思考にはまっていない状態だからこそ思考を楽しむこともできるのでしょうね。楽しもう、変えよう、と思考で方向付けしても思考の中にはまっていることに違いはないのかもしれません。思考から抜けるには意味をもった言葉以外のトゥールが有効に感じています。観る、といったような。思考はすぐに観ているものを意味づけ説明したがるのですが。そんな説明に四六時中耳を貸している状態から焦点を移してみる。

そこには圧倒的な静寂が温もりがあるように感じています。

では、耳を澄ます、味わう、匂う、触るなどもトゥールにならないかと試してみてます。耳を澄ますは自然の中の音、触るは何か温かいものがいいように、味わう匂うは自分の気に入ったものがいいのかもしれません。

それでも「観る」が一番手っ取り早くいつでもどこでもできるエキソサイズだと思います。「観る」が一番思考に近いからなのかもしれません、近いからこそ「思考にはまった状態」から「観ている状態」へのギャップは越えやすい。

不安や苦しみの多くは思考にはまった状態からやってくるのだと、自身の体験を通して感じています。痛みや苦しみの伴わない思考の批判反駁は純粋により良きものを目指していくのではないでしょうか。

長くなってしまいましたが、読んでいただきありがとうございます! 日々気づきがもたらされることに感謝を込めて。
返信する
よっしーさんへ、コメントありがとうございます! (マチカ)
2011-08-31 13:10:26
コメントへの返事遅れてしまいました。コメントして下さってありがとうございます。

よかったら試してみてください。私はこれで本当に楽になりました。

この観ることから入っていく状態と、思考にはまった状態、色々と意味づけはできるのでしょうが、ひとまず変化が起こるということは私にとっては事実です。

「不安」を打ち消すために妄想へと入り込んでぼおっとしているんですね。私もこの「不安」のおかげで7年前精神を病みました。妄想に入り込むのは何とかバランスをとろうとしている状態なんでしょうね。

「不安」に向きあい、「不安」を感じている自分を受け入れて、「不安」を感じてもいいと肯定して、「不安」自体になる、「不安」をバネにして、と「不安」への対処のしかたをあれやこれやと試すうちに、「不安」への免疫がかなりついてきたように感じてます。

この「観る」は今のところ突き抜けて効果があります。結局上に並べたのは「思考に対する思考」なのかもしれません。楽にはなりますが、「観る」のようにスカンとはぬけません。

今では「不安」が私にとっていい指標となってます。あ、きた、と思うとズレてきているのだと自覚します。「観る」に移行することで、「不安」は一瞬にして溶けます。

そして身体を動かして実際にできることを精一杯していく。やっぱりすっきりした状態だと何倍もはかどります。

私も妄想だらけですよ。それでも「観る」ことを通して入っていく状態では妄想に振り回されることがない、妄想している自分がいたとしても。そして「観る」ことを通して入っていく状態と同時進行に進む妄想であればあるほど、自身にとって意味を持つ妄想である場合が多いように感じてます。

目の前の現実を越えた妄想のような物語は、自分の多様性を取り戻してくれると感じてます。内の独裁全体主義から抜け出て、自身に幅やダイナミズムをもたらしてくれる。

よっしーさんが内の平安、そして躍動と共にあることを祈ってます。シェアしてくれてありがとう。
返信する

コメントを投稿