靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

いかにここにありつつ

2011-08-11 23:59:42 | イメージ・ヴィジョン
ああだこうだ ああすべきだこうすべきだ と揺れる

この揺れのリズムを観ながら 自身の中心に繋げる


すると 「圧倒的な温もり」が「私」となる

自身の中心は自身がどんな状態にあろうと 常にここにある 


ここでは揺れのリズムも消え ただ圧倒的な温もりそして静寂がある

ここにありながら 世界を見るとき 自身が進む方向が少しずつ見えてくる


日に日に強くなっていく繋がり

いかにここに繋がりつつ いかにここにありつつ生活していくか

いかに ここを体現していくか それが課題


体現される形は 人の数だけある

痛み

2011-08-07 23:20:01 | イメージ・ヴィジョン
内に傷を負う


痛みの中に入る 痛みの中に沈んでいく 痛みが自身となっていく


すると痛みの中心に かすかな温もりを感じ始める

小さな点ほどだったその温もりは 徐々に広がり やがて痛みをすっぽりと包み込む


気がつけば いつしか温もりが自身となっている



この過程は 自身が依拠してきた虚構 痛みの元となってきた虚構 を突き抜け 

自身が自身の中心へと戻っていく過程 とも言えるのかもしれない

方向性をもった力 と 肉体

2011-07-31 23:37:52 | イメージ・ヴィジョン
では 「ある/ ないを超えたところ」 である 「空」 において 

なぜ 方向性をもった力やエネルギーなどが生まれるのか? 


それは 「肉体」があるから に他ならない


肉体が無くなれば 即ち この世での「死」を迎えたときには

「方向性をもったエネルギー」は消え去り 時間も空間も超え ただ有り ただ無い


「肉体」があるからこそ 「変化」を生み出せる



そして この「空」からの方向性をもったエネルギーこそが

自我を超えた自分のため 即ち 他と一体となった自分のため 即ち 自分と他のため 

である流れ を創り出していくのではないだろうか


「いいこと」

2011-07-28 01:24:14 | イメージ・ヴィジョン
内に安らかな温もりを築く すると 外にもいいことばかり起こり始める
 
というのは当たっている


ただ この「いいこと」というのは 自我の頭が描く「いいこと」なのではなく

「いいことばかり起こり始める」 というのは

どんなことが起ころうとも 自我の頭が悲鳴をあげるようなことが起ころうとも

限られた時間や自我の枠を超えたところでは 「いいこと」へ向かっていると感じられる ということ

そして「身体」を その方向へ向けて動かしていける ということ