超人少年伝説

源氏物語千年 紫式部が突然現れ 紫式部氏思想を書くことになった

原発は嘘である証明

2011-05-30 09:27:22 | Weblog
原発は嘘である。
この文章が本当なら原発は嘘である。
この文章が、嘘であるなら、この文章は本当である。
この二つの文章は矛盾しているので、この文章自体成り立たない。

*。
一体原発って何なんだろう。

妄想であるから、反対者を殺す。
その限り、原発は本当である。

これが日本原子力村の論理である。
原発は否定するものを殺した時、成立する。
日本では原発反対者は、皆殺しされた!

かくして嘘が本当となった!

       *。
異なる意見を持つ権利、それに反対する権利…。

これは無限に循環する自己言及のパラドックスである。

これは真偽を証明できない。
これがKleeneの定理である。

*。
さてどうしましょうか。

人の魂に決定してもらう他ない。
人は自分の胸に手を当て、決定するしかない。

全身金で出来た人は、勿論賛成だ。
魂で出来た人は、そんな質問は聞こえない。

魂にはそんな質問は存在しない。

*。
魂のない人には、効率がすべてだ。
その人には原発は必要であることがわかる。

     *。
日本は金権お上と魂のクール・ジャパンからなることが分かる。

金権お上には、金しかない。
これが日本を支配している。
日本はクール・ジャパンを皆殺しして成り立っている。

問題はそういうことでした!

言霊論

2011-05-30 08:49:03 | Weblog
言霊は、言葉と感情をベクトル化したものだ。
これは日本語だけの特質である。

その他の言葉は、スカラーである。
言葉に感情は入っていない。
だからスッキリした言葉となる。

      *。
言霊は、魂も言語表現できる。

日本の童謡、それに演歌や軍歌は、ベクトルである。
そのため日本精神を歌に出来る。

この軍歌で日本は破壊された。
気持ちと精神が同一化したからだ。

*。
このようにして日本は神となった。
それが国家の「君が代」である。

でも日本は神でなかった。
それは嘘や妄想であった。

このため日常性が、意識の真偽を決定する。
日常性を外すと、言霊は嘘や妄想となる。

民主主義は愛国産業である

2011-05-30 05:44:37 | Weblog
民主主義は愛国産業である。

愛国産業は、人の差異を消し去り、人を国家の機能に代えた。
その結果、愛国産業に取り込まれた人々は、
自分自身の間化を、人間の義務と思い、
葛藤を覚えることなく、暖かい幸福として楽しむのである。

        *。
人は国家の消費財となった。
愛国を通して、人は記号化され、
オリジナルとコピーの違いがあいまい化し、現実は消滅した。
国家は愛国産業となったのである。

国家は国民が考えているようのものではない。
国家の方がわれわれのことを考えているのだ。

*。
このような指導者を民主的に選んだ以上、
国家への軽蔑は、自分への軽蔑の以外の何物でもない。

フセインをテロリストとしたのは国家であるが、
それを望んでやらせたものは我々だ。

それは自分への軽蔑であるが、それを言ったらおしまいだ。

かくして国家は、永遠不滅となる。

      *。
民主主義は多数決を軸に自己完結しており、
あらゆる問題を愛国心に還元し、
愛国心を発振させれば、具体的問題は棚上げできる。

*。
個々の問題の差異は消し去り、
すべてを愛国の問題に還元=発振させ、
愛国心に取り込まれた人々は、
自己否定の肯定を愛国として爆発させる。

かくして自分自身の間化を、愛国心として感動し、幸せになるのだ。

ここには愛国だけがあり、人間は排除された

      *。
人間のいない愛国心、これが国家原理主義だ。
人間を愛国の記号に代えたのだ。

かくして国家権力は自由となった。
反対するものは、愛国の否定として排除される。

*。
国家権力は、唯我独尊となった。
国家は性善説となり、反対はすべて排除するのだ。

このシステムは、日本が純粋培養した。

*。
民主主義は愛国=ファシズム以外のなにものでもない。
これはお上日本が純粋培養し、原発テロとして、世界に撒き散らした!

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2011-05-30 04:53:01 | Weblog
経済成長の対偶は、環境破壊・戦争・経済破壊である。
経済天国は、人類格差の発振であり、生活地獄を作った。
一生懸命働くことで、人は差別される。

        *。
自由経済=自由貿易とは、強者が弱者を殺す自由であった。
自由貿易は殺人の自由である。
ゲーデル論理で証明は出来ない。
だが弱者は消されていく。

強者は、王侯貴族となったのだ。

*。
即ち、経済成長は、民主的王侯貴族制度であった。
弱者を殺す自由は、隠蔽され、それを民主主義と呼ばせるのだ。