超人少年伝説

源氏物語千年 紫式部が突然現れ 紫式部氏思想を書くことになった

国家は産業である

2011-05-03 05:50:44 | Weblog
国家は独占産業となり、ビジネスとなった。

国家は、市民の差異を消し去り、経済成長機能に変えてしまった。
人を国家産業に取り込み、人を殺人要員にすることに成功した。

強者は、金に殺され、弱者は殺人される。
人はこれを生存行為として、疑問の余地なく取り込まれた。

ここに強者も弱者も、自己を楽しく消費する。

*。
国家と国民の境界が曖昧となり、人は欲望の模造品となった。
即ち、人間性の喪失は起こらなかった。
それを望んだのは人でなく、欲望だったからだ。

人は自分に抱いている軽蔑を、欲望化し、賞賛すべき、金権とて消費した。

*。
これが現代人の病理であり、退廃であることは認識できない。

現代人は皆精神障害者だからだ!

*。
国家は産業化され、ビジネス化された。

人は皆精神障害者となったのだ!

だが人はこれを生き難さとして知っている。
人から人間性を排除したのだ。

国家は偽善と欺瞞の演技である

2011-05-03 05:17:08 | Weblog
国家は多数決を軸に自己完結している。
即ち、国家は強者が弱者を自由に支配する隠れファシズムである。

*。
民主主義と資本主義は対偶対称であり、
国家を通して、このパラドックスを自己同一化し、
これは発振であり、自己破壊=ガンである。

*。
国家は国民をガンに掛け、
生きるためにモルヒネを必要とさせ、
これに中毒させ、依存症とさせ、国民を奴隷にする。

かくして弱者は、強者の殺人強盗を生きるしかない。

*。
これが新自由主義だ。

戦争と平和のパラドックス

2011-05-03 04:50:22 | Weblog
平和のためには殺人や戦争が必要だ。
そこには平和はない。
戦争休止期間があるばかりだ。

戦争と平和はパラドックスだ。
いや何時も戦争と休止期間しかないから、パラドックスではない。
人は何時も戦争を生きている。
すると戦争は、国家が生み出したものだ。

*。
理論理性は、国家と生み、
国家と戦争は対偶対称だ。

すると理論理性が問題の焦点だ。
この概念装置が国家を生み出した。

      *。
国家と戦争はパラドックスだ。

国家は戦争によって成立する。
これは理論理性の成果である。

*。
理論理性は必要か、必要でないか。

この文章は二つの文章に分解される。
国家は必要であることを証明できる。
国家は必要でないことを証明できる。

二つの文章は矛盾しているので、成立しない。

*。
即ち、国家や理論理性は妄想でった。

妄想であるから、これに反対するものを排除殲滅する。

これで国家や理論理性はあたかも、存在するのである。

無いものが存在する。
これが妄想の本質だ。

     *。
これを超えた紫式部知性が成立した。

これはゲーデル合理である。

*。
ゲーデルの不完全性定理、
国家を成立するために、戦争をすることは無矛盾である。
この無矛盾は証明されない。

もし無矛盾するなら、それを証明できる。
もし矛盾するなら、それを証明できる。

これは矛盾であるから、元の文章自体が成立しない。

*。
平和のための戦争は必要である。

これは二つの文章に分解される。
それが必要であることを証明できる。
それが不必要であることを証明できる。

これは矛盾であるから、始めの文章が成立しない。

     *。
理論理性や国家や戦争は、理論理性の作った妄想であった。

人類は、妄想を生きていた。

妄想はそれに反対するものを排除する。
排除している時だけ、妄想は実存であり、現存在である。

*。
日本ではこれを共同幻想という。

ここに解放感や躍動感や幸福感を得た。
これは妄想であった。