超人少年伝説

源氏物語千年 紫式部が突然現れ 紫式部氏思想を書くことになった

神の試練

2011-04-09 06:04:55 | Weblog
神を信じれば信じるほど、神の試練に会う。
ヨブの問題だ。

信じれば信じるほど、
即ち、信じることが二つあり、ゲーデルの不完全性定理で証明不能だ。

或いは、信じることを信じれば、それは発振であり、解決不能にすることだ。

*。
神の試練とは、嘘や妄想であった。
妄想だから、試練を排除し、決定不能にする。

自己否定の肯定であり、自己破壊だ。

   *。
どんな試練も克服するためにある。

それでもイエスといおう。
ビクトール・フランクルの考えだ。

*。
だが試練の試練は、発振であり、ゲーデルの不完全性定理で証明不能だ。

どんな試練も克服するためにある。
それを試練とするとおかしくなる。

自分への試練を除く、すべての試練に自分への試練は入るか。
だんだんおかしくなってくる!

      *。
対偶対称理論を使うと、
試練にイエスといったことが、殺人国家イスラエルを生んだのではないか。

*。
紫式部思想を使うと、
立身出世を求めないことが、初期条件として設定される。

成功物語は、地獄の作り方であった。
現実がそれを立証している。

*。
繁栄は長寿を求めると、とんでもないことが起きる。
対偶対称で考えれば、その逆の世界が生まれる。

成功物語は、発振であった。

    *。
成功や幸福は、悪魔のお菓子であった。
悪魔地獄に人類は釣られた。

*。
日本も試練に会っている。

これを試練と考えることは、悪魔のお菓子と食べることだ。
いろいろあることの一つ、
これが平常心というのかもしれない。

       *。
家族を失い、すべてを失い、借金だけが残った。
孤児になった人もいる。

それでも死ねない。

これが生きるということなのだろうか。

*。
死の対称は生である。
生の対称は死である。

それが「普通」のことなのだろうか。

*。
誰もが家族によってまれ、
死ぬときは、一人である。

これが人の原点なのだろうか。

民主主義 皆でやればファシズム

2011-04-09 05:00:34 | Weblog
民主主義がファシズムになる瞬間、それは多数決である。

多数決になると、少数は異物排除され、いじめ殺される。
ここには負帰還はなく、システムの発振だ。

力強い。
それはエネルギー散逸系だからだ。

       *。
美しい日本、皆で頑張ろう。

これが愛国日本の正体だ。

*。
そこには、理性的最適の否定だ。

もともと日本には理性はない。

このようにしてお上を祭り上げ、
するとクール・ジャパンが現れて、システムを最適化する。

これが美しい日本の正体だ。

      *。
日本は美しくなるかどうかは、クール・ジャパンが現れるかどうかだ。

これが現れない時は、日本は崩壊したままだ。

*。
世界は知っただろう。
日本のお上は無能の集団だ。

思考能力がなく、ただ威張っているだけだ。

*。
こうして日本は、クール・ジャパンが国家の主体となる。

これが出来ないと、日本はただのヘドロである。
それが帝国日本や自民党帝国であった。

         *。
東洋はただの暴力殺人組織だ。

日本や中国は、人を殺すことで成り立っている。

*。
東洋はパラドックス解消の遅れた、発展途上国だ。

日本では、クール・ジャパンが国家を制御すると美しい国になる。

*。
日本はお上を祭り上げ、クール・ジャパンが主体となるかどうかが鍵である。

役人が、クール・ジャパンの秘書となるかどうかが鍵だ。
役人が主体では、日本は発振したということだ。