ADD?先生の発達障害児 教育応援サイト

ADD?傾向のある塾教師がADHDやアスペルガー症候群の子にどうかかわり教えたらいいのか模索していくブログです。

自分に優しいまなざしを向けるためには、どうすればいいのでしょうか?

2008-05-24 20:34:16 | 番外

自分に優しいまなざしを向ける…それはあの方だけでなくて、私にも必要なことです。自分に優しいまなざしを向けられるためには、どのような方向に努力したらいいのでしょうか・・右も左も西も北もわからないでいるのが私であり、あの方なのでしょう・・それができればひと山越えられるように思います。

というコメントをいただきました。

 
私も以前、同じ場所をいつまでもどうどうめぐりをしているような
むなしい日々を送っていた時期があります。
周囲の期待に応えたい思いから、
自分自身に無理な理想を押し付けて、
現実の自分とのギャップの間で苦しんでいました。

地下の環状線をぐるぐる回っているような当時の私の心は、
その辛い乗り物から 降りることも
外の景色を楽しむこともできない…
不安と安心の間を振動していくだけ…でした。

かなり前にブログで紹介した当時書いた詩です。

       「環状線」
   
   だれかに望まれて
   期待されて
   ほめてほしくて
   認められたくて
   あわてて乗り込んだ列車は
   歩いていくより ずっと速いが
   いつまでたっても どうどうめぐりだ

   始発駅が 終着駅になって
   したり顔で待っている
   
   なんだ環状線か…
   気付いたときには降りそびれ
   不安と安心の間を
   振動してゆくだけ
   もう地下の景色以外
   忘れてしまったよ

   降りない理由?
   本当はどこに行きたかったのか
   思い出せないんだ


あのころは、自分が傷つきたくなかったのです。
何かあると、外の世界に原因があるように感じていました。
それなのに、厳しいまなざしで、自分で自分を
傷つけ続けていたのです。

それに気づいた時、
私はようやくその乗り物から
降りることができました。

自分で自分に優しくすることを学んだ時、
世界はそれほど悪くないもののように感じられるようになりました。

コメントをくださった方は、きっと人一倍
一生懸命な方なのだと思います。
本当は、最低最悪の時でも、
自分は人として尊重される価値があることを知ると
進む方向が見えるかもしれません。
環状線から降りても、歩く速度でしか進めなくても、
自分というのは、とても価値があるからです。
私とぶつかりあっている方だって同じだと思います。
これまで、ブログを読んできてくれた方も
きっと同じ考えだと思います。

 
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どうして日本では、軽度発達障害児の起す事件が多いのか? 2

2008-05-24 12:52:51 | 番外
日本人は言葉を介さないものの影響に鈍感…という
話でしたが、
お友達のブログでも、こんな問題を指摘していました。

どうして、日本のコンビ二には、アダルト系の雑誌が並んでいるのか…?
そういうものは、子どもが目にしない場所で、
大人がそっと購入するように配慮すべきでは…?

というお話でした。

このように大人と子どもの境界線があいまいな環境は、
パーソナリー障害(人格障害)を育てるとも言われています。
日本の場合、家庭だけでなく、
社会そのものが、お金のために、大人と子どもの境界を失っている
印象です。
そのために、子どもの安全が脅かされている事実は
誰もが認めるものだと思います。

そんな中で、そうした環境を良いものに変えようと
声をあげようとする人がいると、
無責任な匿名の声によってたたかれて消えてしまうことが多いです。
そうした匿名の意見はもっともと言えるものも
あります。

子どもの全てが、定型発達の子であった場合には…。

という条件付で。
ゲームやアニメの世界と現実の世界の違いがわからなくなった
子が、凶悪な事件をおこしたらいけないので、
ゲームやアニメから残虐な表現を廃止しましょう…

というと、そんな子いるわけがない。
ゲームやアニメが悪者か?

という意見が必ずでます。
ごもっともなんです。
定型発達の子は、適度なストレス解消に、
こうしたものを楽しむ子もいます。

しかし、軽度発達障害、特にアスペルガー症候群の子は、
こうしたファンタジーの世界にのめりこみ、
現実の世界と虚構の世界のちがいが、わからなくなる子が
多いのです。
あまりにのめりこんで、独り言まで言い出す子もあるそうです。
ある意味純粋すぎるほど純粋なのです。

それくらい、虚構とリアルにへだたりがない
アスペルガー症候群の子たちが、

日本のようにテレビでも、コンビニでも、ネットでも、携帯でも、
雑誌でも、ニュースでも、
犯罪を誘うような、
それを悪いと感じさせない
砂糖をまぶされたような悪趣味なものに
囲まれ続けたら…
そうして何年も育ったなら…
その中に、問題を起す子が出てきても
当然と言えば、当然な気もするのです。

そんな環境にあってもなお、現実には触法行為に走る
アスペルガー症候群の子は、ごくわずかです。

それでも、海外では まれな
凶悪犯罪が起こっているからには、
日本の社会が、子どもが健全に育つ社会を目指して、
変わっていくことが、求められているのでしょう。
 
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どうして日本では、軽度発達障害児の起す事件が多いのか? 1

2008-05-24 07:59:07 | アスペルガー症候群
前回の記事で、
他の国々に比べ、日本だけが異常なほど
アスペルガー症候群の子による重い犯罪が多いことを
紹介させていただきました。
そこで、なぜ日本でそうした犯罪が多発するのか…
ということについて私の個人的な意見を書かせていただきます。

すでに、コメント欄で指摘していただいた意見ですが、
この問題は、
日本の地形と日本人の歩んできた歴史
と切り離せないように思います。

多くの国では、異なる人種がともに暮らす歴史の中で、
お互いの「ちがい」を受け入れながら暮らしてきました。
しかし、日本人は、自分達だけが世界の中心で、
「ちがい」を差別や迫害と言う形で排除してきた国民です。
だから、その迫害の仕方も陰気で残酷です。

学校という集団の場は、
「ちがい」を学びあう所ではなく、
みんなで「ちがわない」存在に近づこうとする場
になりがちです。
そんな中で、親は、軽度発達障害の子の自然の姿を
否定して、「ちがい」をなくすようにかりたてます。

他の国なら、みなとちがうわが子を「ユニーク」な存在として、
応援する親もあることと思います。
教師からも、他と違う自分にほこりを持つように…という
指導もあるでしょう。

そうした中で、当然の権利として、特別支援教育が、
発展してきたのだと思います。

常に自分という存在を否定されながら育ったら、どのような大人に成長するのでしょう?
軽度発達障害でなくても、
社会に適応して行くことが難しくなるはずですよね。

それとは別の問題で、日本人はあからさまに言葉にしたとたん、
問題視して騒ぐ一方、
無意識に与える影響…つまり言葉を介さないものが訴えるメッセージに
すごく鈍感なところがある気がします。

先日
円議員らが「美少女アダルトアニメ雑誌とゲームの製造・販売の規制法制定に関する請願」というのを提出した一件で、
その請願の一部の表現に対して、ネット上で批判したり反発したりする方がたくさん出ている…というニュースを目にしました。

円議員の主張は、美少女アダルトアニメの多くは、小学生の少女をイメージしている
このようなゲームに誘われた青少年の多くは知らず知らずのうちに心を破壊され、人間性を失っており、既に幼い少女が連れ去られ殺害される事件が起きている

確かに、言葉だけを追っていると、ゲームを殺人の原因としているようで、
行き過ぎた発言に見えるかもしれません。
でも、人には何度もテレビで見たタレントに好印象を抱いたり、
周囲で流行っているものが欲しくなったりする
習性があることを思うと、

小学生をイメージさせるアダルトアニメが
青少年にそうした趣味を育てないとは言いがたいんです…

わが子が幼いとき、テレビで「家なき子」(同情するなら金をくれ~)が流行ったときに、
娘の周辺では「万引き」が大流行していました。
ごくまじめな女の子まで、
かっこいいからと…万引きする姿に、
とにかくびっくりしたのを覚えています。

長くなったので続きは次回に書きますね。
 
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