自分に優しいまなざしを向ける…それはあの方だけでなくて、私にも必要なことです。自分に優しいまなざしを向けられるためには、どのような方向に努力したらいいのでしょうか・・右も左も西も北もわからないでいるのが私であり、あの方なのでしょう・・それができればひと山越えられるように思います。
というコメントをいただきました。
私も以前、同じ場所をいつまでもどうどうめぐりをしているような
むなしい日々を送っていた時期があります。
周囲の期待に応えたい思いから、
自分自身に無理な理想を押し付けて、
現実の自分とのギャップの間で苦しんでいました。
地下の環状線をぐるぐる回っているような当時の私の心は、
その辛い乗り物から 降りることも
外の景色を楽しむこともできない…
不安と安心の間を振動していくだけ…でした。
かなり前にブログで紹介した当時書いた詩です。
「環状線」
だれかに望まれて
期待されて
ほめてほしくて
認められたくて
あわてて乗り込んだ列車は
歩いていくより ずっと速いが
いつまでたっても どうどうめぐりだ
始発駅が 終着駅になって
したり顔で待っている
なんだ環状線か…
気付いたときには降りそびれ
不安と安心の間を
振動してゆくだけ
もう地下の景色以外
忘れてしまったよ
降りない理由?
本当はどこに行きたかったのか
思い出せないんだ
あのころは、自分が傷つきたくなかったのです。
何かあると、外の世界に原因があるように感じていました。
それなのに、厳しいまなざしで、自分で自分を
傷つけ続けていたのです。
それに気づいた時、
私はようやくその乗り物から
降りることができました。
自分で自分に優しくすることを学んだ時、
世界はそれほど悪くないもののように感じられるようになりました。
コメントをくださった方は、きっと人一倍
一生懸命な方なのだと思います。
本当は、最低最悪の時でも、
自分は人として尊重される価値があることを知ると
進む方向が見えるかもしれません。
環状線から降りても、歩く速度でしか進めなくても、
自分というのは、とても価値があるからです。
私とぶつかりあっている方だって同じだと思います。
これまで、ブログを読んできてくれた方も
きっと同じ考えだと思います。
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褒めて、認めて・・・って、いうてるやん?
気付かへんか?
私のコメントが、嫌がらせっていうこと自体が、まだまだ、褒めて光線やん?
私は、あんたのこと思って言うてあげてるんやん?
あんたにとって辛いことかもしれへんけど、もっと自分を見つめなおすべきやわ。
自分の正しさや周囲から褒められたい一心で、犯罪に手を染めてることに気がつかへんって、いったいどういうことなん?
他人に迷惑かけてることに、なんで気つかんの?
あんたのトラブルの根源は、全てそういうあんたやってこと。
トラブルに巻き込まれるってあんたはいうてるけど、あんたがトラブルを引き起こして、大きくしてるってこと。
あんたのその傲慢さが、全ての原因なんや。
こちらの方は、私の大好きだったブログを閉鎖に追い込んだのです。
どれくらい傲慢なのかわかります。
だから、私はスルーしました。
ようこさんも、スルーすればよろしいのです。
ようこさんは、どこからこちらにいらしたのか、私は存じませんが、同じ事を感じるものなんだなあと感じました。
ようこさんと同じ事感じた方は、少なくないと思いますよ。
でも、こちらで、このようなコメントは、お止めになった方がいいと思います。
私は昔某ブログの荒し依頼者にしたてあげられた時期があり…少しなおみ先生のお気持ちが解る様な気がしています。
いろんな衝動を抑えきれない大人も今多いですよね…。
ADDの私もその一人ですが…f^_^;
犯罪とか傲慢とか このような難しい言葉は 忘れたほうが良いのではありませんか
コメントを書かれている方は 私以外は博学で 文才のあるかたばかりです 鋭い感覚が 難しい言葉で良くないほうに傾くと思います 私もバリバリ関西人ですが 関西弁てこんな風だったかな?と ちょっと思い出しています
そんな心すら自分に許さなかったなら、どうやって、自己実現をめざして社会で生きていくのですか?
ただ、私が環状線に乗っていたな…と過去に気づいたのは、それを急ぎすぎる思いや、そうした思いによって自分自身の本当の気持ちや夢を追うことをごまかしてしまったという意味なのです。
なぜか褒められても認められてもむなしい気持ちを見つめる中でそれを理解したのです。環状線に乗ってがんばりつづけている人は、えらい人です。私は、ある意味、自分が楽な道、わがままな道を選んでいます。
あなたのコメントを読むうちに、あなたが私が誰かに褒めて欲しい、認めて欲しいという心を持っていて、ブログを運営しているから腹が立つ…というニュアンスが感じられるのですが、私は聖職者ではありません。煩悩を消して無我の境地で生きるためにこのブログを運営しているわけではないのですよ。
ブログ運営の目的はいくつかあります。
私は作家になる夢を持っているので、毎日、文章を
書いて書く勉強を続けなければならないのです。
それだけでなく、私の文章を読んで感想のコメントを頂くのは嬉しいことです。チャンスがあれば認めてもらいですけど、私が書きたいものはファンタジーの長編小説なので、ここで書いているもので認められるのはどうか…?とも考えています。
でも、「書く」と言う行為は、スポーツ選手が毎日、基礎の運動をするのと一緒で、私が自分に課している課題だし、私の喜びでもあるんですよ。
ようこさんの夢や目標は何なのですか?
人はさまざまな思いを抱くし、それが悪いわけではないけれど、自分の心を丁寧に見つめて、その心が自分に無理をさせていないか、傷つけていないか見つめてみると、夢のために努力しやすいですよ。
でも、いろんな思いに翻弄されていても、(自分以外)の社会の役には立つと思いますよ。
そ知らぬ顔で 再開しまーす てなったら嬉しいですね 私もこっそり応援していた一人ですから
それは、ようこさん以外の多くの方が感じている感情です。
今こちらのブログに来てくださっている多くの方は実はあちらのブログのファンで、今は更新がストップしているので、しかたなく暇つぶしにこちらのブログに来ている方も多いと思います。
そして、このブログの主が傲慢だから困ったものだと思っている方も多いことでしょう。
でも傲慢というのは、性格みたいなもので、なかなか一朝一夕にはなおらないから困りますね。
そんな困った性格の人は放っておいて、あちらのブログ主さんにブログを再会するようすすめてみてはいかがですか?
これまでも懸命に生きてきた方ですし、今もそうしてらっしゃるでしょう。
みんな、こんなところで暇つぶしをせずに、あちらの方の生の言葉を読みたいと感じているはずです。
そして正直な思いから応援しているはずですよ。
私も、あちらの方のブログのファンでしたが、どうした不幸か、たまたまぶつかって動いたひとつの石が、あちらへこちらへ自然にもてあそばれ、多くの他の方の手を経るうちに、巨大な岩石のようなものになっていたことにびっくりしています。
それがあの方のブログを閉鎖に追い込んだのなら、みなで岩をどける手伝いをしなくてはなりませんね。
みんなは会いたがっているし、声を聞きたがっていると思いますよ。
優しさという以前に感情って水と同じで、
周囲への流出を食い止めれば自然と自分に流れます。
まずそこからじゃないかなと思います。
その中でさまざまな葛藤があり、
苦悩があり、やがて優しさに気がつく。
僕はそう思ってます。
何もない場所から感情は生まれないものですよね。
>降りない理由?
本当はどこに行きたかったのか
思い出せないんだ
という部分を拝見した時
「雲ひとつない空。それを自由と呼び前へ進む。だけどどこに進んでいいのか分からず、それに気がつくまで時間が必要だった」というような文章が
脳裏に浮かびました。
よく若者が自由と言いますが、
雲のない空に憧れ、前へ進むといいますが、
方向さえ決めていないのにただそうしたい…
そういう風景に憧れる。
そんな感じですよね。
(え?違う?www)
それと次に個人的意見です。
僕がなおみさんを知ったきっかけも
多くの人同様あの人のブログです(以下Aさん)。
けど正直言ってAさんとなおみさんが
親しい仲であろうが、最悪の中であろうが、
それはどうでもいい事。
妻には子供との「親子関係」があれば、
妻には夫との「夫婦関係」がある。
子供からしたら夫婦関係は分からないものでしょう。
僕もAさんのブログは読んでたし、
Aさんの環境が僕の保育園の友人家庭と同じなので、
がんばってほしいと思ってます。
だけどそれと僕となおみさんの関係は違う事。
Aさんにがんばってほしいなら
ここに来なければいいだけの話しですし、
なおみさんのブログに興味を持つのなら
ここに来て意見を出し合えばいいし、
ここでAさんの事を定義するのは場違いでしょう。
というか僕はなおみさんが傲慢とは感じず、
Aさんと比べ、その違いをなおみさんに問うから
そういう感じになるのでは?
社会全員が同じ顔、同じ声、同じ性格では
ないですからね。
ユーチューブなどの動画のサイトで検索すれば見ることができます。
子どもに思いを届けるために頑張っているお母さんたちに聞いてもらいたいです。
LGYankees Dear Mama feat.小田和正
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発達障害には関係ないかも知れないけど、お勧めさせて下さい。