学校で学級崩壊が起こったとき、
クラスには、
問題を起している生徒と、
いっしょになって騒ぎを大きくしている生徒と、
そんな中でもまじめに学習に取り組もうとしている生徒が存在します。
後者のまじめな生徒の親は、当然、
こうした事態に怒り、困惑し、被害者だと感じたり、
学習進度のことで気を揉んだりすることになります。
私はこうした時、
親が当事者の子ども以上に、
その問題について、自分の意見(クラスの問題児のことや、
先生の対応のことなど)をあれこれ言い過ぎたり、
逆に純粋な子どもの心を傷つけまいと
子どもの耳に入れないところで、親だけで話をし続けたりするのは、
どうかなぁ? と思っています。
子どもは学校で、ただ学習のカリキュラムをこなすだけでなく、
学校生活を通じて、
感覚の機能…現実をよく見て、正確に観察し、把握する力。
感情の機能…他人から攻撃を受けても、自分自身の心を傷つけずに、
上手に対応する…といった力。
直感の機能…可能性を見出す力。洞察力。
思考の機能…物事を論理的に考える力。
の4つを自分の中にしっかり育てていかなければ
なりません。
こうしたものをバランスよく発達させないと、
公式を当てはめる問題や、一度教えてもらった問題は解けるけれど、
最近の新傾向問題(写真右)にあるような
現実の生活で学習したことを応用させて解くような問題になったとたん、
たちまちお手上げになる優等生が多いのです。
また、子どもが大人になって「教師」という職業に就いたとき、
勉強では悩まず来れたのに、
感情のからんだトラブルに巻き込まれたとたん、
自分で自分を無能に感じてしまうようなこともあると思います。
また他の職業であっても、
4つの機能をバランスよく使ってはじめて、
仕事はスムーズに進むものなので、
とりあえず資格を取ることだけを目標にして、
駆け足で来た人々は、当然のように現実の厳しさに痛めつけられているようです。
ですから、
学級崩壊というのは、とても困った現実ではあるけれど、
その出来事を
子どもが自分の目できちんと観察し、(感覚の発達)
いじめられればそれをかわす術を学び、(感情の発達)
いじめはいけないという決意のようなものを自分の心に刻み、
自分がどうすべきか…?
勉強が学校で進んでいないなら、
赤ちゃんのように「かわいそうに」と言われて満足するのでなく、
学校は騒がしいから、今のところ家でまじめに勉強しておこう…
という自分のできることの可能性をさぐり、(直感の発達)
また自分の頭で、こうした事態について、
しっかり言葉に表しながら考えてみる…(思考の発達)
という経験につなげていかなければならないのだと
思うのです。
一番よくないのは、親が神経症的に、
授業妨害による
学習進度の遅れを気にすることだと思います。
「他人のせいで勉強ができない…」という被害者的な子どもの思いを刺激して、
学習を怠ける理由を作ってしまいます。
社会がぶっそうになると、
子どもに無垢で純粋でいることだけを
求めることは危険なように感じます。
よい子がいきなり殺人事件に巻き込まれることも
めずらしくない昨今です。
4つの心の機能を使って、
自分の目の前の難問にどう対応するのか…?
頭の良し悪しとは関係なく、
現代っ子が、自分の中に育てていかねばならない
必須の課題だと思います。
↑励みになります。応援ポチをお願いします
写真は、文部科学省「生きる力」より引用
クラスには、
問題を起している生徒と、
いっしょになって騒ぎを大きくしている生徒と、
そんな中でもまじめに学習に取り組もうとしている生徒が存在します。
後者のまじめな生徒の親は、当然、
こうした事態に怒り、困惑し、被害者だと感じたり、
学習進度のことで気を揉んだりすることになります。
私はこうした時、
親が当事者の子ども以上に、
その問題について、自分の意見(クラスの問題児のことや、
先生の対応のことなど)をあれこれ言い過ぎたり、
逆に純粋な子どもの心を傷つけまいと
子どもの耳に入れないところで、親だけで話をし続けたりするのは、
どうかなぁ? と思っています。
子どもは学校で、ただ学習のカリキュラムをこなすだけでなく、
学校生活を通じて、
感覚の機能…現実をよく見て、正確に観察し、把握する力。
感情の機能…他人から攻撃を受けても、自分自身の心を傷つけずに、
上手に対応する…といった力。
直感の機能…可能性を見出す力。洞察力。
思考の機能…物事を論理的に考える力。
の4つを自分の中にしっかり育てていかなければ
なりません。
こうしたものをバランスよく発達させないと、
公式を当てはめる問題や、一度教えてもらった問題は解けるけれど、
最近の新傾向問題(写真右)にあるような
現実の生活で学習したことを応用させて解くような問題になったとたん、
たちまちお手上げになる優等生が多いのです。
また、子どもが大人になって「教師」という職業に就いたとき、
勉強では悩まず来れたのに、
感情のからんだトラブルに巻き込まれたとたん、
自分で自分を無能に感じてしまうようなこともあると思います。
また他の職業であっても、
4つの機能をバランスよく使ってはじめて、
仕事はスムーズに進むものなので、
とりあえず資格を取ることだけを目標にして、
駆け足で来た人々は、当然のように現実の厳しさに痛めつけられているようです。
ですから、
学級崩壊というのは、とても困った現実ではあるけれど、
その出来事を
子どもが自分の目できちんと観察し、(感覚の発達)
いじめられればそれをかわす術を学び、(感情の発達)
いじめはいけないという決意のようなものを自分の心に刻み、
自分がどうすべきか…?
勉強が学校で進んでいないなら、
赤ちゃんのように「かわいそうに」と言われて満足するのでなく、
学校は騒がしいから、今のところ家でまじめに勉強しておこう…
という自分のできることの可能性をさぐり、(直感の発達)
また自分の頭で、こうした事態について、
しっかり言葉に表しながら考えてみる…(思考の発達)
という経験につなげていかなければならないのだと
思うのです。
一番よくないのは、親が神経症的に、
授業妨害による
学習進度の遅れを気にすることだと思います。
「他人のせいで勉強ができない…」という被害者的な子どもの思いを刺激して、
学習を怠ける理由を作ってしまいます。
社会がぶっそうになると、
子どもに無垢で純粋でいることだけを
求めることは危険なように感じます。
よい子がいきなり殺人事件に巻き込まれることも
めずらしくない昨今です。
4つの心の機能を使って、
自分の目の前の難問にどう対応するのか…?
頭の良し悪しとは関係なく、
現代っ子が、自分の中に育てていかねばならない
必須の課題だと思います。
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写真は、文部科学省「生きる力」より引用